リリア・フラヴィーニ



「はぁ……」

 リリア・フラヴィーニはため息をつく。

 ハーテイル宮殿内禁書庫に、その姿はあった。


 八百年の歴史を誇るエルセナ皇国が、長い時を経て集めた蔵書の数々が保管されている宮殿内の図書館。その深部に禁書庫は存在する。


 非人道的な魔法を集約した魔法書。皇国の凄惨せいさんな過去が如実に語られている歴史書。焚書ふんしょにされ、今では希少価値の非常に高い書物。

 理由は様々だが、禁書庫内に眠る蔵書の全ては、各々の理由により閲覧が制限されている。


 閲覧が許可されているのは皇国内でも一部の者。皇国軍杖聖隊じょうせいたいに所属し、類稀たぐいまれなる魔術師であるリリアもその一人だ。


「収穫はナシ、かなぁ……」

 疲れたような独り言を漏らし、読み込んでいた禁書を覆うように机に突っ伏する。

 肩にかかるほどの亜麻色の髪がはらりと落ち、徒労感と僅かな眠気が、心地よくリリアを襲う。


 読んでいたのは『アルスリア戦記』。

 作者、編纂年不明のその著書は、全二十七巻からなる大作であり、祝福の大地と呼ばれるアルスリア大陸創生の歴史を詳しく記していた。

 広く一般に普及し、皇都セーヴィルで……いや、皇国中で親しまれているアルスリア戦記は、この著を簡略化したものと言われている、いわば原本である。しかし——


「史実としての信憑性は薄いよね……」

 間近にある、原本に語りかけるように呟く。


 神話の時代の神の降臨。三神の戦い。魔神イスティフの襲来。

 記されているのは事実が疑問視、もしくは誇張されていると現代では語られる物語ばかりだ。


(正確な史実から、あの時の真実を読み解かないと……)

 禁書庫内の原本でさえ、今リリアが求めている知識を得るには頼りなく思えた。

 怠慢な動きで顔を上げ、右側に積み上げられた原本の山に、新たに一冊を積み上げる。

 積み上がった山は二十六冊。


(これが最後の一冊、か)

 陰鬱な目で大作の最後の一巻を手に取る。

 表紙を開き、中身を流し見るが、書かれているのは眉唾物の内容。


 『アルスリア戦記』は二十六巻でひとまずの完結を迎えていた。最後の二十七巻には物語の補足、あるいは伝承が語られている。

 リリアは心の内で落胆する。


(意味がない、ことかもしれないよね)

 創作された歴史に、リリアの求める答えはない。

 気が滅入るのを感じながらも、今の自分にできるのはこのくらいであると思い出す。


「よしっ」

 自らを鼓舞するように声を上げ、頬を両手で叩く。

 表紙を見開いた最後の一冊。章題は『しるべの光』。

 再び感じる陰鬱さを見なかった事にして、リリアが読み進めようとした時——


「リーリちゃんっ」


 気配もなく背後から耳元に掛けられた陽気な声に、ひぅっと情けない声をリリアはあげた。


「パメラ……」

 左耳を押さえながら振り向くと、杖聖隊じょうせいたいの同僚、パメラ・クレールが、いたずらが成功したような顔をして立っていた。


「もうほんと、やめて」

「ふふふ、驚いた驚いた」

 非難的な目を向けるリリアと対照的に、パメラは愉快そうに笑う。


「どう?気配なかったでしょ。斧聖ふせい様なみに」

「なかったけど……。驚かせないで」

 ふふふ、と上機嫌に笑うパメラに、反省の色は無さそうだ。


「はぁ……。わたしの邪魔をしに来たの?それとも暇つぶし?」

「そんなんじゃないけど……。ん?リリちゃんはお勉強中だった?真面目だねー」

「できることも少ないから。まぁ、収穫はなさそうだけど」

 手元の禁書に視線を落とす。


「アルスリア戦記……。創作を過分に含んだと言われる歴史書から、リリちゃんはいったい何を得ようとしてるのでしょう?」

「欲しいのは正確な史実なんだけどね。これほど親しまれている物語。その中に、僅かでも真実があるかもしれないから」

 頁を閉じ、表紙をひとなでする。年季のはいった見た目とはうらはらに、滑らかに指が滑る。

 高度な保護魔法が張られている禁書庫内では、劣化さえも止まっているようだ。


「あんまり根を詰めすぎちゃだめだよ。杖聖じょうせい様が心配してたよ。あの子は非番でも修行か仕事しかしておらん。って」

 杖聖じょうせい様を真似たつもりの口調だろうが、全く似てはいない。


「あははっ。することもないしね。それに大陸中央地域では争いが絶えないもの。またいつ皇国に飛び火してくるかも分からない。今のうちに対抗手段を……解決策を模索しておかないと」

「……あっ!そうだよリリちゃん報告だよ」

 リリアの言葉に、パメラは何かを思い出したようにポンっとこぶしを上下に叩く。


「皇国南部に隣接する中央地域の争いは収まったみたいだよ」

 四ヶ月ほど前、皇国国境付近で大きな勢力同士の衝突が起こった。今現在の情勢においては、ひとたび戦いが起きれば飛び火する。


 未曾有の被害を出した先の大戦——列国戦争。

 ひとまずの終結を迎え、皇国には平和が戻ってきてはいたが、戦いの余波は周辺国、特に決定的な強国を生み出せずにいる中央地域で、しきりに新たな戦いを呼んでいた。


「皇国にも飛び火してこないか心配だったけど、今回は大惨事になる前に事が落ち着いたみたい」

「そう。国境の警戒にあたっていた剣聖様は帰還されるの?」

「もう皇国中部の街まで帰還されているみたい。あと一週間もしたら皇都に着くんじゃないかな?」


 皇国はアルスリア大陸北部に位置している。その皇都があるのは皇国の更に北端。


「皇都まで、何事もなければいいのだけれど……」

 言いつつ、何かあっても剣聖様なら容易に事を片付けて帰還されるだろうとリリアは思う。

「剣聖様なら何かあっても大丈夫だよ」

 思考を見透かしたように、パメラが答えた。


「そうね……。それで、偵察に出ていた“彼ら”は戻ってきているの?」

「戻ってきてるみたいだね。早いよねー足が。今回の一連の戦いについても、もう報告が上がってきているみたい」

 “彼ら”——国境警備の剣聖隊を指したものではない。紛らわしい言い方になってしまったが、パメラはリリアの言わんとしている部隊を察したようだ。


「今回の争いでもそうだね。消えてるね、遺体が。装備を残して」


 多くの死者を出した列国戦争。混沌を極めた戦いの裏では、装備だけを残して遺体が消えるという事態が併発していた。

 全ての遺体というわけではない。今のところ、規則性は掴めていないが、戦いに従軍した戦士が国や所属、力量を問わずに服や持ち物を残して消失していた。

 そしてそれは、戦争終結後、周辺地域で繰り広げられた大小問わず多くの戦いで同じ現象が見られた。

 リリアが非番の休日を削ってまで調べ物に精を出しているのは、この事態の調査推測の為でもある。


「髪の毛一本残さず塵にされた。なんてこと、そう多くはないと思うのだけど」

「そうだね。皇国に伝わる魔法や体術で、複数人を塵に変えるなんてこと簡単にはできないね。そんな使い手なら名が知れ渡ってるし……そもそもそんなことされたら服だってびりびりだよ」

「遺留品の装備に外傷は?」

「もうありまくり。斬って刺されて焼かれて踏まれてる」


 それはそうだろう。なんたって戦争だ。あらゆる武器が使われ魔法だって飛び交う。仲間の死を嘆く暇もない戦闘の最中において、わざわざ遺体を回収している時間はない。場に落ち着きが戻り回収が始まった頃には、頑丈な鎧だって鉄屑同然となっているはずだ。


 恐らくこの不可解な遺体消失は他国も気づいている。大々的になっていないのは、国の上層部が取るに足らない事態と判断したのか、それとも——


「他国で開発されたまったく新しい魔法や兵器が使われたのか、もしくは……」


——遺体が他国により回収された。


「……回収されたとして、どういう意図で回収しているのかしら。研究、とかかな?」

「分からない。ただ、密偵に出ていた“彼ら”からの報告によると、目新しい派手な魔法や兵器は確認できなかったみたい。それと、今回見つかっていない遺体の多くが、名のある使い手のものだったみたいだよ」

 これまでの戦いで帰ってこなかった遺体に、規則性はなかった。それが今回、その多くは名のある使い手のもの。


「やっぱりわたし達の知らない、感知できないような未知の魔法の研究が、他国で進んでいたりするのかな」


 リリアは戦火を思い出す。

 多くの死傷者を出した先の大戦は、若い才だけではなく、幼い才までも戦場に駆り立てた。

 恵まれた血筋に生まれ、当時早々に頭角を表していたリリアも、戦争に従軍した一人であった。


 再びの平和を取り戻した皇国。

 その皇国に、再び戦火の火種が降りかかろうとしている。そんな不安が胸をよぎる。

 気を紛らわせるように、リリアは右耳のピアスに触れた。

 形見のピアス。

 皇国軍として戦争に従事し、遺体さえも帰ってこなかった、記憶の中の優しい母親のもの。


「わたしはまったく別の可能性を考えているの」


 パメラの言葉に、リリアは不思議そうに顔を向ける。

 表情の消えた、白く端正な顔が寄せられ囁く。


「きっと、遺体に欲情する変態が収集してるんだって」

「……そんな人間が何人もいたら堪らないわよ」

 破顔したパメラに、冷たく言い放つ。

 リリアの胸中を察したパメラの冗談は、大変不評であった。


「えー、事態は実はすごくシンプルってこともあるかもしれないのに」

「あの戦火の中を?何年もかけて?各国で?」

「それが情熱」

 誇らしげに胸を張るパメラを、心底残念なものを見るような目で見遣る。

「あ、違うよ。わたしはそんな性癖じゃないよ?わたしはちゃんと生きた生身の……」

「いや、いい」

「えー、リリちゃん違うよー」

 二人しかいない禁書庫内に、パメラの慌てふためく声が響く。


 リリアはパメラから顔を隠すようにそっぽを向き、口元を綻ばせる。

 リリアとてパメラの冗談を間に受けてはいなかった。

 皇国軍内でも友人と呼べる数少ない存在であり、同じ戦火、痛みを共有した同じ歳の同僚。二人の生きた時間に比べると、その付き合いは長いものになる。

 嫌な憶測ばかりを考えてしまう癖のあるリリアに、程よく緊張の糸を緩めてくれるパメラの存在はありがたいものだった。


「ふぅ……。それで、今日は報告だけ?」

 弛緩した表情を呼吸を一つ吐き整え、元気をなくしたように項垂れていたパメラに声をかける。

「ん?うん、報告……だけ?ん?……あぁっ!」

 突然声をあげたパメラに、耳の奥がすこし痛むのを感じながら続きを待つ。


「リリちゃん任務だよ。杖聖じょうせい様から招集がかかってるよ。今回はわたしも一緒。時間ないかも。早く行こ」

「……そういうことは先に言って」

 発言の割に慌てた様子のない友人に呆れつつ、片付けを始める。


しるべの光…)

 読みきれなかった最後の一巻。その最初の章題を心の中で呟いてみる。

(任務が終わったらまた来よう)

 皇都の守護が主な務めとなる杖聖隊の任務は、短期で終わることが多い。

 忘れないうちにまた手に取る事を決め、パメラと二人で禁書庫を後にする。


——禁書庫内で、物色するように本棚を見つめる大柄な男に、二人が気づくことはなかった。


 図書室を出て、宮殿内の廊下を歩いていると、外から子供たちの賑やかな声が聞こえてきた。

 窓から外を見下ろすと、ライナス広場で遊ぶ親子連れが目に入った。

 この世界で最も安全とも評される、ハーテイル宮殿。

 その宮殿に併設されるように広がっているライナス広場は、皇都の住民たちにも開放されている。


 休日や晴れの日にもなると、多くの親子連れや友人、恋人たちが訪れる。

 今日の青空の広がる快晴の日にも、多くの人々が訪れ、それぞれの時間を培うことに費やしていた。

 数年前までは大きな戦争に巻き込まれていた皇国は、もはやその悲劇を忘れたかのように平和に向かっていた。


(この平和は、当たり前のものではない。多くの犠牲、多くの尽力、多くの悲劇の上に成り立っている)

 脳裏に、もはや戻ってこないものたちの顔が思い浮かぶ。

 大国として、脅威などなにもないように、当たり前のように平和が築かれているような皇国でさえ、多くの犠牲を払って今日という日を迎えている。

(次は、私たちが……)

 繋いでもらった平和を繋ぐため、また誰かが犠牲になる日がきっと来る。

 その時身を捧げるのは、いま目に映る皇都の住民たちではなく、軍に身を置く自分たちだろう。


「晴れ」

 空を見上げて、リリアは呟く。

 雲ひとつなく澄み渡った青色の空が、リリアは好きではなかった。

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