皇聖隊



 さとしとボンボルは、二人で教会近くのベンチに腰を下ろした。

 炊き出しも相まって人通りの多いこの時間。たまたまベンチが空いていたわけではない。住民が、綺麗に二人を避けていた。


「おい兄ちゃん、なんかしたのかよ?みんなお前に引いてるぞ?」

「……鏡とかって見たことあるか?どう考えてもお前のバーサーカーみたいな見た目のせいだろ」


 まともには見えないボンボルを先頭に無人も同然の道を歩き、ベンチを一つ確保することに成功した。


「まぁ冒険者ってのは舐められちゃ良くねぇ。舐められるくらいならビビって道を譲られるくらいのほうが冒険者に向いてるってもんだ」


 そんなものか?と、怜は大して興味もなさそうに尋ねる。

 そんなものだ、とボンボルは呟き、嬉しそうにシチューをかき混ぜる。


 ふと、かき混ぜていた手が止まり、視線が街の一点へと向かう。

 疑問に思った怜は、ボンボルの視線を辿っていくと、冒険者数人が、依頼を終えたのか街の中を歩いていた。


 各々の冒険者の表情はひどく暗い。全身は魔物の返り血や土などでひどく汚れており、依頼明けというのがすぐに分かった。鼠色の雲が空を覆い隠した薄暗い天候が、満身創痍の冒険者たちをさらに疲れたように見せていた。


 だが、その表情の暗さは天候のせいでも、依頼明けのせいでもないだろう。

 冒険者たちは、毛布に包まれたなにかを簡素な担架の上に乗せ運んでいた。中身がなにかは怜にも分かった。仲間の、遺体だ。


「……冒険者ってのは過酷な仕事だ。明日の命の保証だってねぇ。必要以上の馴れ合いなんてものは良くねぇ」


 珍しく真剣な表情で語るボンボルを、怜は意外に思った。


「意外だな。木偶の坊ならなんにも考えず冒険者どもに話しかけて仲良くやってるのかと思ってたぜ」

「俺だって傭兵上がりなんだからよ、昨日まで笑い合ってた仲間が今日には死んでるなんてことは日常茶飯事だったさ。冒険者は傭兵ほど危険はねぇが命をかけてるのには変わらねぇ。先立たれる度に心を痛めてちゃあ体ももたねぇさ」


 自分自身に向けてか仲間を失ったであろう冒険者へ向けてか、ボンボルはひとりごとのように呟いた。


「あいつらの仲間は残念だったみてぇだな。冒険者は魔物と戦う力はあっても訓練を積んだ戦士はすくねぇからな。あぁいうことはよくある」


 神妙な面持ちで自身の手元を見つめるボンボルの視線の先には、炊き出しのシチューが握られている。だが、瞳に映っているのはシチューではないはずだ。


 思い出しているのは戦死したという師匠のことか行方知れずの相方、レンカのことか、それか怜の知らない過去の仲間たちかもしれない。

 どちらにせよ、目の前からいなくなった者たちに想いを馳せていることは、容易に想像がついた。


 怜は一度視線を空へと向ける。空を覆っていた鼠色の雲は、さらにその厚さを増し、雨の気配を運んでいた。

 先ほどよりも冷たい風が吹き抜けると、大粒の雨粒が一つ、ボンボルの首筋に落下した。


「うがあぁぁぁぁぁあ」


「……なんだ今の?オーガみたいな声でたな」

 記憶の海に潜っていたであろうボンボルは、突然首筋に感じた冷たい感覚に驚き飛び上がった。それと同時に、炊き出しのシチューは地面に裏返り飛び散った。


「あ、あぁぁぁ」

 情けない声をあげ、地面に膝をつくボンボルは溢れたシチューに嘆き悲しむ。


「お、俺様のシチューが……まだ……まだ一口も口にしてねぇのに……」

「まぁ残念だったな。大人しく店で食えよ。女の子の手料理が食いてぇなんて理由で炊き出しせしめてきたんだから創世神様のバチがあたったんだろ」

 怜は悲しむボンボルを無視することに決め、本格的に雨が降り始める前にと、シチューを口にしようとする。


「兄ちゃん……」

 口に運びかけていたスプーンを止め、視線をよこす。

「冒険者ってのは……過酷な仕事なんだ……見舞われた悲劇にも……ぜってぇに涙を見せないことだ」

 振り向いたボンボルの顔は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。


(こいつ……情けねぇ……)


 みっともない姿を見せる大男に、シチューの入った器を差し出す。


「は?なんだ?」

「俺のをやるよ。恥ずかしいから泣きやめ」

 雲行きが怪しくなり、屋内へと避難を始める人々も出始めたなか、未だ街中には人通りも多い。

 怜は号泣するボンボルに集まる好奇の視線に耐えられなくなり、自分のシチューを差し出した。


 絶望していたボンボルは潤んだ瞳に、感動の感情を覗かせた。

「おにいちゃん……」

「殺すぞ」

 受け取ったシチューを嬉しそうにかき込む姿に、怜は大きなため息をひとつ漏らした。


「すまねぇ兄ちゃん、この世の終わりかと思ったぜ」

 シチューを平らげ、大袈裟な表現をするボンボルは満足そうにお腹を叩き、ドカッとベンチに腰を下ろした。雨がぱらついてきてはいるが、まだ本降りにはなりそうにない。


「冒険者は油断大敵だ。常に警戒を怠るなよ」

 怜の言葉に、ボンボルはキョトンとした表情をするが、すぐに表情を崩し笑った。


「あぁそうだな。兄ちゃんの言う通りだ。雨粒一つにびびってちゃあ冒険者失格だ。だいぶ分かってきたじゃねぇか。うし、昼からの体術の訓練は気合い入れて相手してやる」

「は?俺体術はからっきしだぞ?加減しろよ。お前に殴られたらミンチになっちまう」


 分かっているのかいないのか、豪快に笑うだけのボンボルに、怜は不安を感じる。


「ところでよ兄ちゃん、皇国に行った後の話なんだが、兄ちゃん皇国にいったら仕事はどうすんだよ?」

「仕事か?そうだな、現時点では皇国でも冒険者としてやっていこうかって考えてるとこだ。それ以外に仕事なんて知らねぇしな」

「ねぇぞ」

「ん?」

「皇国に冒険者はいねぇぞ?」

「……は?」

「だから皇国に冒険者ギルドはねぇんだよ。言っただろ?冒険者は小国や国の線引きの曖昧な地域で国の手の回らねぇ治安維持を任されてんだ。皇国なんて大国になりゃあ冒険者がいなくても手は足りてる。皇国軍っていうでっかい軍が冒険者の分まで働いてんだよ」

「まじかよ……」

 クロトヴァ滞在中の一ヶ月で、冒険者としてある程度形をつくり、皇国でも同じように生活しようとしようと考えていた怜の計画は、そもそも冒険者が皇国に存在しないということで頓挫した。


「じゃあ木偶の坊、お前はどうすんだよ?」

「俺様は皇国軍に士官するつもりだ。軍の入隊条件は皇国の臣民であることだからな。今はこうやって他国で冒険者してるが元は俺様も皇国の小さな村の出身だ。あの国には簡単な戸籍があるからな。五歳まで皇国で過ごした俺様も入隊条件は満たしているはずだ」

「うそ……だろ……」

 自分のみが皇国で職を失う可能性があることに、がっくりと項垂れた。


「兄ちゃんは皇国の人間じゃねぇだろ?てっきり向こうに仕事のあてがあって渡るのかと思ってたぜ」

「……ねぇよそんなもん。大戦を乗り切った大国に移り住んだら最低でも命の保証がある元生活できると思ってたんだよ」

「なるほど。大国の威を借りに行こうとしてたってわけか。小せぇ兄ちゃんだ」

「仕方ねぇだろ……戦いなんてものはごめんなんだよ……命の危険がないとこで悠々としててぇんだよ」

「ま、まぁ戦い疲れたってのはなんとなく分からなくもねぇな。皇国も皇都にいけばなにかしら仕事はあるかもしれねぇ。なんなら友である俺を頼れよ。その時は仕事の一つでも紹介してやれるかもしれねぇ」

「裏切りものが。お前なんて友でもなんでもねぇよ。ただの一時的な仕事仲間だ。俺を置いて仕事を見つけやがって」


 職を得たと思えば近いうちにニートに舞い戻ることが判明した怜は、やさぐれ気味に言葉を返した。


「ほら、俺が皇聖隊こうせいたいにでも配属されたら、助手とかいう立場で兄ちゃんを雇ってやれるかもしれねぇ。俺と兄ちゃんのタッグなんて命の保証があるようなもんだろ?そう悲観することねぇさ」

 そんなものか?と疑問に感じるが、ボンボルの強さなら後ろでちょろっと魔法を使うだけでもだいたいの窮地は乗り切れるだろう。


「その皇聖隊こうせいたいってなんだ?皇国軍のことか?」

「皇聖隊ってのは皇国軍の中の部隊のことだ。軍の中でも特に秀でた戦士や魔術師が配属される。皇聖こうせいって呼ばれる五人……いや今は六人か。まぁその皇聖っていう六人の強えぇやつらを頭に更に六つの部隊に分けられて、皇国全体を守護してる。戦争ともなればその皇聖隊が前線に立つことになるな」

「ほーう。皇聖な……そのうちの一人は剣聖か?」

「おっ!さすがに知ってたか。あぁ、兄ちゃんの言う通りその内の一人はかの有名な炎の剣聖だ」

 怜の記憶の中には、剣聖と言われて思いつく人物は一人しかいない。自身を……イスティフを討ち取った、光の剣士だ。

「まぁ同じ炎使いだもんな。知ってて当然か。いくら兄ちゃんでも皇聖くらいは知ってたんだな」


 皇聖——。

 剣聖がその一人ということであれば、怜には心当たりがあった。

 当時脅威を振るっていたイスティフの暴虐に対抗すべく、人々は六人の戦士を中心に立ち上がった。そのうちの一人は最終的にイスティフを討ち取った剣聖だ。


「イスティフを討ち取るべく立ち上がった六人の戦士の流れを汲んでるんだろ?」

「あぁそうだ。まぁちょっとちげぇけどな」

「ん?なにが違うんだ?」

「五人だよ。イスティフに立ち向かったのは五人だったからよ。剣聖、弓聖きゅうせい槍聖そうせい槌聖ついせい、そして杖聖じょうせいの五人が元々の皇聖だ」

「は?でも今六人って……」

「皇聖ってのはそれぞれその名に関する武器や技に秀でた者しか名乗ることができねぇ。剣聖なら剣、杖聖なら魔法だな。でもよ、その武器に秀でてなくとも皇聖に匹敵するような力をつけた戦士も出てくるわけさ。そういう奴らにはそいつの扱いこなす武器や技を冠する聖が、一代限りってことで与えられる。過去には体術に秀でた『闘聖とうせい』や鎌を使いこなした『鎌聖れんせい』ってやつらも居たらしい」

「……なるほど。それで今も、その皇聖に匹敵する戦士が存在してるってことだな」

「あぁ、そういうことだ。今皇聖として数えられてるのは『斧聖ふせい』ってやつだ。噂ではもうべらぼうに強えぇらしい」

「はーん」

 つい、怜の口からは興味のなさそうな返事が漏れた。


 興味がなかったわけではない。むしろその逆だ。

 イスティフの記憶に、自身に立ち向かってきた戦士は確かに“六人“いた。

 しかし、今ボンボルの口から語られた人数は五人。

(一人、いなかったらことになってるな。……まぁあいつは他と比べて異端だったからな。居ない方が都合がいいか。それとも自分から表に出ることを嫌ったか?あいつらの過去は知らねぇからな。考えても無駄だろうけどよ)


 怜が今覚えている記憶は、自身がイスティフとして覚醒し、討伐されるまでの記憶。

 それ以前は自分がなにものであったのか、もしくは無から唐突に生み出されたものなのかさえ分からない。

 自身のことも分からないでいる自分が、他人の過去についてのことなど知っているはずもなかった。


(まぁそこら辺のことを知れる機会もこの先あるかもしれねぇな。とりあえず皇国ってのが俺を滅ぼしたあいつらを元に建国された国だってことは分かった。——ならば、皇国に行けば、あいつのことを……)


 怜は脳裏に、剣聖の姿を思い浮かべる。その姿を思い出すと、怜の胸中には、形容し難い感情が渦巻いた。

 前世で自身を殺した男。因縁と呼べる敵と味方の関係であったのは明白だ。

 やつの剣に切り裂かれた記憶は覚えている。果てしない憎悪を抱いても当然なのだろう。

 だが、なぜか形容できない感情を、怜は感じている。

 イスティフとして、その感情の正体に行き着く事はできない。なら高橋怜として、その感情を理解しようと考える。

 剣聖に対して感じる感情。それは——それは——


「うひゃあぁぁぁぁあ」


 首筋に感じた冷たい感触に、悲鳴をあげて飛び上がる。

 ベンチに座るボンボルが、我慢できないとばかりに吹き出した。

「ぷっ……あっはっはっはっ。に、兄ちゃん乙女みてぇな声だしてたぞ?冒険者は油断大敵だ。常に警戒を怠るんじゃねぇぞ」

 自身の首筋に手をやり、空から落ちてきた雨粒が当たったのだと理解する。

 先ほどのボンボルと全く同じ反応を見せた自分に、感情が昂る。


「そ、そろそろ雨も本降りになるかもしれねぇ。はえぇとこ宿に戻るぞ」

 立ち上がるボンボルを待たずに足早で怜は歩き始める。ちらちらと街中に目をやる。住民の多くは室内に避難し終えているようだ。自身の情けない姿を、多くの住民の目に晒さなかったことに安堵する。


「こりゃあなかなかの雨になりそうだな。そんな雲が覆ってやがる」

 空を見上げながら口にするボンボルの頭上には、パラパラと雨粒が頻繁に落ちるようになってきていた。

「昼からの体術の訓練は中止だな。こんな天気じゃできっこねぇぜ。残念残念」

 言葉とはうらはらに、怜の口からは喜悦を含んだ声が出た。


「は?なに言ってやがんだ兄ちゃん。訓練はするに決まってんだろ。戦場で雨だから戦いは中止。なんてあると思うか?兄ちゃんも傭兵だったんだからどんな天候の中でも戦ってきただろうよ。初日から雨ならちょうどいい。負担をかけてこその訓練だからな」

「……まじで?」

「ったりまえよ。宿屋で少し休んだら出かけるぞ。びっしびしいくから覚悟しとけよ」


 満面の笑みを向けてくるボンボルに、訓練と称して一発殴ってやろうと心に決める。

 出会って数日。しかしその間に怜をイラつかせることは何度とあった。訓練で間違えて殴っちゃった、という反撃くらいなら許してくれるだろう。

 小さな反抗心を胸に秘めると、不思議と怜の機嫌も少しはましになった。

 だが、そんな機嫌を邪魔するように、降りかかる雨粒は勢いを増していく。


「雨」

 空を見上げて、怜は呟く。

 どんよりとした灰色の空が、怜は好きではなかった。

 

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