とりあえず作戦A
「おげえぇぇぇぇぇぇぇ」
馬車に揺られる
理由は二つある。
一つ目は馬車が走っている場所だ。
現在、怜たちは宿屋とクロトヴァの街の中間地点を走っていた。
宿屋と街の付近の道は、定期的に魔術師や業者が雇われ整備されているとのことだが、それらを繋ぐ中間地点の道は、舗装が行き届いておらず、大きな凹凸を作っている箇所も多々あった。
ダイレストに伝わってくる揺れは、昨日走っていた街道より大きく伝わり、怜は何度も街道に吐き散らした。
そして二つ目は寝不足だ。
『赤の商人』を探していたというボンボルの元連れ——レンカの話を聞いた昨晩、怜は眠りにつくことができなかった。
不審な、考える点が多々ある話だった。
追い詰められていた様子のレンカに、一般人には話すことのできない『赤の商人』。服も金も持たずに消えたそいつは、〈
レンカがどこで『赤の商人』という怪しげな商人の情報を仕入れたのか、ボンボルは知らないとのことであった。
ただ何かに巻き込まれて、そして消えた。それだけが、今レンカについて分かっていることだった。
ボンボルとレンカが行動を共にしていたのは、今向かっているクロトヴァの街ではなく、ボンボルが前まで拠点にしていたフィラーテの街ということだった。
二人がフィラーテで泊まっていた宿はケドキナ——怜が最初、目的地として定めていた宿だ。
これは偶然か?と、疑念が湧きあがったが、すぐに邪推だと判断した。
聞けばフィラーテの街でケドキナはそれなりに有名な宿らしい。豪華絢爛な宿屋ということではないらしいが宿代はリーズナブル。付近でとれた食材を使った料理を振る舞うとのことで、旅の冒険者や街に立ち寄った商人には好んで利用されているとのこと。
なにより怜は宿屋のことをリアから聞いた。
物理的な距離さえも離れた村娘と二人の冒険者、両者を繋ぐような事実はなにもない。
お互いがお互いを認識してもいないだろうこの二つは、単なる偶然が重なったものだろう。
レンカ——怜が大切な魔法だと認識している、〈
「うっぷ……な、なっさけねぇぜ兄ちゃん!……う、うおぉ……ば、馬車酔いなんて、冒険者のすることじゃ……くおぉ……ねぇぜ」
「てんめぇふざけんなよ木偶の坊!こっちは寝不足も相まって死にそうなんだよ!だいたいお前なんだよ昨日のイビキと寝相!隣でジタバタ暴れやがって!!一睡もできなかったじゃねぇか!」
昨夜は、簡易的に用意されていた街道沿いの野営地で一晩を過ごした。
商人から借りたテントに二人で潜り込んだが、眠りながら殴りかかってくるボンボルの豪快な寝相に、怜は一睡もできはしなかった。
「だ、だって仕方ねぇじゃねぇか……昨日は気にせずゆっくり休んでもらって構わねぇって、依頼主が言ってくれたんだからよぉ……休める時にしっかり休まねぇと……うっぷ……」
「俺らが馬車酔いで役立たずだったから気遣ってくれたんだろうが!!昨日の失態取り返すくらい今日は働かねぇとまじのお荷物だろ俺ら!!……うっぷ……」
昨晩は呑気に爆睡していたにも関わらず、今日も具合の悪そうなボンボルに怜は大声をあげる。興奮した分、必死に押さえ込んでいた胃の内容物が、外に出ようと迫り上がってきた。
「で、でもよぉ兄ちゃん。俺らの仕事って護衛だぞ?魔物の一匹でも襲ってこない限りは仕事なんてありゃしねぇ。いざという時のために、なんにもねぇ今のうちに吐き戻しとったほうがいいと思うんだ」
昨日は吐くなと言っておきながら、今日は吐けと先輩からの立派なご指導が飛んでくる。
言い切るとともに荷台の後ろから顔を出し、吐き散らすボンボルを見て怜は——
「それもそうだな。……おげえぇぇぇぇぇぇぇ」
二人で並んで、街道に吐瀉物をぶちまけた。
「お、お二人とも、そろそろ休憩を挟みますので、もうちょっとだけ辛抱してください。今日も危険はないと思いますので、是非ともゆっくり休んでいただければ……」
昨日と同じ御者が、心配そうに声をかけてきた。
連日にわたって痴態を晒す怜たちを見ても、心の底から心配してくれている様子を感じる。いいやつのようだ。木偶の坊は見捨ててもこいつは見捨てない、と怜は誓う。
カンカンッと、前方から金属を叩き鳴らす音が聞こえた。止まれの合図だ。
「あ、ほら。言ってるそばから休憩のようです。頑張りましたね!ゆっくり休めますよ!」
(頑張れてねぇんだがな……めちゃめちゃ吐いたけど)
馬車は徐々に減速を始め、しばらくすると完全に止まった。
「ちょっと待て」
御者台から降りようとしていたところを、ボンボルが声をかけ止める。
「どうしました?しばらく休憩になりますのでゆっくり体調を整えていただいても……」
「ボンボルさん!」
御者が言い終わるより前、ヴァレミーが慌てた様子で駆け寄ってきた。
「右側に魔物が!群れをなしてるようです!」
慌てながらも端的に伝えてきたのか、慌てているから端的な言い方になってしまったのか。
だがそれだけで、二人は自分たちの出番だということを察した。
「あー、きもちわりぃ……兄ちゃん、お待ちかねの仕事だぞ」
「……分かってる……うっぷ……」
のろのろと荷台から降りて、広い草原に目を移す。
大小入り混じった陰が、こちらを目指して向かってきているのが目視で確認できた。
「ヴァレミーさんたちは一箇所に集まって馬車の後ろに隠れていてくれ。兄ちゃん……エックスが守ってくれるからよぉ」
ボンボルが偉そうに指示を出すと、ヴァレミーたちは言われた通りにひとまとめになり、馬車の陰に隠れた。
商人たちはぎゅうぎゅうと身を寄せ合い、一つの大きな塊のようになっていた。
「……一箇所に集まれとは言ったけどあんなに身を寄せ合う必要はないんだがな……まぁいい、やるぞ兄ちゃん。びびってねぇだろうな?」
「なに言ってんだよ。さっきまでゲロってたやつが。調子はすこぶる絶好調だ……うっぷ」
「吐きたきゃ今のうちに吐いとけよ。すっきりした頃には俺の方も終わってるからよ」
ついさっきまで馬車に負けていたボンボルだが、今はもう先ほどのような今にも吐き出しそうな気配はない。
これが戦闘になった際の冒険者の切り替えか、と怜は素直に感心する。
「見たところゴブリンにコボルト……でけぇのはオーガか?確かに群れてはいるが数だけで大したことはねぇ」
ボンボルが目視による確認で魔物の種類を伝えてくる。イスティフの時代にも生息していた魔物だ。脅威ではないと判断する。
(むしろ、今の状態の俺の魔法がどの程度のものか実験するにはちょうどいい。だが……)
「珍しいな、あいつらがこんな真っ昼間から野戦を仕掛けてくるなんてよ」
ストレッチで体を伸ばしているボンボルに声をかける。
魔物には総じて夜行性のものが多い。森や洞窟を主な棲家とし、開けた土地に姿を現すのは縄張りの移動や群からはぐれた魔物が迷い込んでくる時くらいのものだ。
「言ったろ?四ヶ月くらいに前に勢力同士の衝突があったってよ。この草原の向こうはまさにその戦地だ。追いやられた魔物が最近はこの街道付近に流れてきてんだよ」
「まだやってんのか?その衝突とやらは」
「あぁ。まぁ本格的な衝突はおさまっただろうよ。だがなぁ、一度衝突が起こると飛び火して次々と別の衝突が始まりやがんだよ。今は中央地域は常にピリピリしてるからな。本当に国を作りたいのかそれとも暴れたいだけか……血の気の多い奴らは困っちまうぜ」
「……その見た目でよく言うよな」
誰よりも血の気の多そうな見た目をしたボンボルに、怜はつい思ったことを口にした。
「傭兵なのにそんなことも知らなかったのか?兄ちゃんは」
にやにやしながら聞いてくるボンボルにイラっとするが、目の前に迫ってきている魔物に気を引き締める。
魔物の姿ははっきりと目視で確認できるほどに近づいていた。
醜悪な姿をした小さな魔物が二種類。
それぞれ短刀や見窄らしい弓を携え、草原の草花に隠れるようにして行進していたが、隠れ切れてはいなかった。
三メートルほどの一際大きな魔物はオーガだろう。分かりやすく、七体の姿が確認できた。
お世辞にもよくできるとは言えない棍棒を手に持った個体が五体ほど。残り二体は、どこから持ってきたのか、ボンボルが担いでいる大剣と同程度の大きさの剣を片手に歩いていた。
「作戦Aでいいのか?」
「あぁ、俺が突っ込む。兄ちゃんは魔法だ。——任せていいか?後ろのやつらは」
怜は後ろを振り返る。不安そうな顔をした商人たちが、視界に映った。
「……あぁ、分かった」
「よし!じゃあ……任せたぞっ」
言うと同時に、ボンボルは大きく踏み込み魔物の群れへと向かっていった。
最初に到達したのオーガの一匹。だが……戦闘にはならなかった。
オーガは反応する間もなく……いや、ボンボルを知覚する間もなく、頭から真っ二つに両断された。
突然の出来事に、周りのオーガたちは「ンガッ?」と声をあげ、血を吹き出しながら倒れた仲間の巨体に不思議そうに目線を移す。
大剣を振り下ろしていたボンボルを確認すると、少しの間の後、敵の襲来を悟ったのか雄叫びをあげてボンボルに切りかかった。
オーガの巨体から、大ぶりに棍棒が振り下ろされる。その一撃を、難もなく受け止めたボンボルはゴブリンを蹴り飛ばす。
蹴り飛ばされたゴブリンは付近の別のゴブリンやコボルトを巻き込むと、爆散するように絶命した。
受け止めていた棍棒の一撃を押し返すと、オーガは大きくよろめく。
無防備に晒された腹部に、ボンボルは大剣で横薙ぎに斬りかかり上下に分断した。
「うおらあぁぁぁぁあぁぁぁぁ」
勢いをそのままに、その場で一回転する。
次々に襲いかかろうとしていた魔物たちは、動きを止めた。
攻撃の手を止めたわけではないと、すぐに分かった。
襲いかかろうとしていた魔物たちは、その場で血を吹きだし、次々と、地面に沈んだ。
「えぇ……」
敵のど真ん中で惨劇を作り出すボンボルを、なんとも言えない気持ちで怜は見守っていた。
「強くね?あいつ……蹴り飛ばしただけでゴブリンが爆散するのかよ……」
ボンボルが強者であることは、直感的に分かっていた。しかしいざ目の前で実際に見てみるのとではわけが違う。次々と魔物の屍を積み上げるボンボルを、魔物より遥かに恐ろしい存在として認識していた。
「もう……もうあいつに舐めた口きくのはやめよう……塵にされちまう……」
遠い目をして怜は呟く。
一定の力量に達した剣士なら、今ボンボルが繰り広げている芸当は難しいことではないだろう。
しかし、年齢的なものを考慮すると、剣士の才に恵まれた逸材だったのだろう。
「やっぱあいつも年齢サバよんでんじゃねぇか?どう考えても二十歳じゃねぇだろ。特に見た目」
それともこの時代ではボンボルと同等の強さの剣士がゴロゴロいるのかと戦慄が走るが、商人たちの「すげぇ」「やっぱ強えぇ」「戦闘では頼りになるな」と、後ろから聞こえてくる賞賛に、木偶の坊が異常だと安心する。
「兄ちゃん!そっちいったぞ!」
魔物を狩り続けるボンボルから声がかかる。
オーガが二体と複数のゴブリンとコボルトが、こちらに向かってきていた。
ボンボルの方にはオーガが三体とその他魔物が挑みかかっている。
魔物は知性は低いが馬鹿ではない。強敵と見るや、群れを分断し、こちらに標的を変更してきたようだ。
「木偶の坊一人がお荷物返上してるのも気に食わねぇしな」
昨日は全くの役立たず。今日も馬車の中で吐いているだけだった怜とボンボル。
急な願いにも料金も取らずに乗せてくれた恩もある中、ボンボル一人に仕事をこなされては怜の立つ背がない。
(……というかあの馬車って明らかに客を乗せるような作りじゃねぇよな?荷物同然に乗っけられてね?……そもそも金なんて払う必要なんてなかったんじゃ……)
乗り心地最悪の馬車でここまで揺られてきたお荷物の怜は、自分が文字通り荷物同然であった可能性に思い至る。
嫌な考えに至っていた怜に向けて、ゴブリンから矢が放たれる。標的は怜だけではないようだ。適当に放たれたように見える矢は、馬車や商人を含めた広範囲に放物線を描いて向かってきていた。
怜は、右腕を素早く一閃する。
直後、怜たちと魔物を隔てるように、炎の壁が舞いあがった。
〈
だが、ゴブリンの放った力のない矢くらいなら、容易に防ぎ切る。
ゆったりとした放物線を描いては、炎の壁に着弾し、燃え尽きる。
全ての攻撃が燃えつくされたあと、消えた炎の向こうでは、ゴブリンたちが地団駄を踏んでいた。
「よーし、お仕事の時間だ。名誉挽回だ」
馬車酔いの吐き気は消えていた。
自分にも冒険者としての素質があるのか?と、怜は少しだけ笑った。
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