荷馬車は酔う



「よし、準備完了」

 宿屋の部屋で、さとしは少ない手持ちの整理をしていた。準備というほどの準備もなく、確認程度の作業を終える。

 昨晩は木偶の坊との夕食を終えた後、宿屋の風呂にはいり、仮眠をとった。

 窓の外を見ると朝日が昇り始めていた。出立の時間も近いだろう。

 時間になれば木偶の坊が呼びにくると昨晩言っていた。暇を持て余し、質素な作りの部屋を見まわして見るとふと、備え付けの鏡が目に止まった。


 鏡の前に立ち、身なりを確認する。

「別におかしいところはねぇよな?」

 仕立て屋の主人が言っていた通り、これが今の時代の冒険者の一般的な姿だろう。昨晩食堂でも、今の怜と同じような格好をした冒険者達を見かけた。


「……ん?」

 怜は鏡に写る自分の姿に、気になるところを見つけた。

「……俺の目って、赤色だったか?」

 この世界に来てから自分の顔を確認したのは一度だけだ。泉に自身の顔が写った一度きり。

 その時自分の目は青色であったような気がする。

「まぁあの時は気が動転してたしな、赤って言われちゃあ赤だったかもな」


 怜は顔に写る自分の顔を凝視する。

 高橋怜とは似ても似つかぬ顔つき。かといって、異形の姿をしていたイスティフとしての顔とも大きく違う。

 怜は、自分の赤い目を睨め付けるように見る。

「これは……イスティフとしての名残か?」

 イスティフであった頃の瞳は、血が燃えるような赤色をしていたのを覚えている。

 今、鏡に写る目はその名残か、この瞳に一体いくつもの悲劇を映し出してきたのか、怜はもう覚えていない——


「ならこの黒髪は高橋怜か?」

 一転、呆れたような笑みを浮かべる。

 黒髪黒目の平均的な日本人のなりをしていた高橋怜は、特に特徴のある人生を送っていたわけではなかった。

 そこそこ裕福な家庭の三兄弟の末っ子として生まれ、特に勉強や運動ができるわけでもなく高校を卒業したら働き始めた。

 エリートでもなく落ちこぼれでもない、平々凡々とした生活。明日の心配はない。未来に絶望しているわけでもない。今がそこそこ幸福だった。そんな生活が、何故かもう、懐かしい。


 しばらく高橋怜としての他愛もない日常を思い出していた怜であったが、顔を引き締め、再度鏡に写った顔を確認する。

「……じゃあ……この顔は?」

 瞳はイスティフ、髪は高橋怜。その名残だとすると、今自分の顔の全体を占めているこの配置、この顔つきは誰のものだ?


 さとしの記憶に、このような顔の人物に心当たりはない。少なくとも、全てを覚えている高橋怜の人生においては。

 それならば、記憶の曖昧なイスティフとしての頃のものか、それとも——怜自身思い出せていない、イスティフとしてでもなく高橋怜としてでもない、ありし日の自分自身のものなのか……


「おーい兄ちゃん!そろそろ出発だぞ、起きてるかー」

 ドアの向こうから聞こえる声に考えるのをやめる。時間のようだ。

「おーう、今行く」

 扉を開けて部屋から出ると、でかい男が立っていた。

「うし、ちゃんと起きてたな。昨日は眠れたか?」

「まぁほどほどだ」

「そうか……とりあえず降りるぞ。護衛の商人も今支度中だ」

 木偶の坊の後を追い、宿屋の一階に降りる。受付の女に出立を告げると、部屋はそのままでいいとのことなので、そのまま宿を後にする。


 外に出ると、商人の一団が準備を進めていた。

 木偶の坊はまっすぐと一人の男のところまで歩み寄り、声をかける。


「おーう、おはようございますだヴァレミーさん」


 ヴァレミーと呼ばれた男は荷造りの手を止め、木偶の坊に目を向ける。今回の依頼人だろうが、背の低い中年の男だった。


「おはようございますボンボルさん。三日ほどになると思いますが、よろしくお願いします」


 ボンボル?と疑問に思うが、どうやら木偶の坊のことらしい。


「三日もかかるかなぁ……今日は天気もよさそうだし、これは二日もしたらクロトヴァの街までつくんじゃねぇか?」

「はははっ、何事もなく順調に進めたらいいんですがね」

「……ところでよ、今日はちょいと紹介したいやつがいるんだが、今大丈夫か?」


 構いませんよ、と言うヴァレミーの前に、怜は木偶の坊に腕を引かれて連れて来られる。

「こいつは昨日出会った冒険者仲間だ。拠点を決めてねぇらしくてよ、クロトヴァの街まで連れて行こうと思うんだ。——どうやら戦闘能力はあるみてぇだし、金なら出させるから一緒に乗せてってもいいか?」


 はぁ?と怜は思う。

(俺金出すの?——いやまぁ乗せてってもらうんだから当然だろうけどお前事前に言っとけや)

 脳内で一発木偶の坊をぶん殴る。実際に殴りかかれば返り討ちにされるだろうが、妄想の世界なら怜は無敵だ。


「まったく問題ありませんよ。私としては護衛の方が増えて心強い限りです。お代もいただきませんので、どうぞ乗っていってください」

 報酬は出来高ということでお願いしたいですが、とヴァレミーはにこやかに快諾した。

(なんだこのちっちゃいおっちゃん。いいやつじゃねぇか)

 怜の中で、ヴァレミーへの好感度が木偶の坊を上回る。


「ありがとよヴァレミーさん!——やったじゃねぇか兄ちゃん。タダ乗りさせてくれるってよ、儲けもんだな!ほら、兄ちゃんも自己紹介しろ」

 依頼人の前で下世話な話をする木偶の坊に、今日も絶好調でデリカシーが欠落していると確信する。

 怜はヴァレミーの前に出て、言われた通り自己紹介を始める。


「魔術師エックスだ。ちょっとばかり魔法を使う。クロなんちゃらの街まで、よろしく頼む」

 うっわ、と怜は内心頭を抱える。

 木偶の坊に釣られてか、初っ端から依頼人へとタメ口を聞いてしまった。快くタダ乗りさせてくれるというちっちゃいおっちゃんに申し訳ない気持ちになる。


「初めましてエックスさん。私はクロトヴァの街で店を構えさせてもらっておりますヴァレミーといいます。どうぞ数日間、よろしくお願いします」

 ヴァレミーは気にした素振りもなく、平然と挨拶を返して準備へ戻る。木偶の坊とは育ちの良さが違うようだ。


「おいおい兄ちゃん……なんだよさっきの挨拶……」

 ヴァレミーに聞こえない距離にまで移動したあたりで、木偶の坊が声をかけてきた。


(いくらこいつでも依頼人にさっきの挨拶では失礼だと思ったか?——これでも冒険者としてはこいつが先輩だ。大人しく注意を受けるか……)


「かんっぺきな挨拶だったな!!さすがだぜ!依頼人への挨拶は大切だからよぉ。——もう、挨拶に関して兄ちゃんに教えることはなにもない。免許皆伝だ」


 ——なにか教えてもらったか?と怜は思うが口には出さなかった。やはりヴァレミーと木偶の坊では育ちが違うようだ。


 二人で歩いていると、昨日訪れた仕立て屋が目にはいった。

 今日はまだ営業していないようだ。愛想の悪い主人にまた顔を出すと言っておいたが、その時間はなさそうだと諦める。


「ところでエックスってなんだ?」

 隣から木偶の坊に声をかけられる。

「世をしのぶ俺の偽名だ。昨晩必死に考えた。——イカしてるだろ?」

「あー、おう、そうだな。——いいんじゃねぇか?兄ちゃんらしくてよ」

 歯切れの悪そうな木偶の坊の様子から悪くないと判断する。ちっちゃい脳みそのこいつなら、気に入らなければ暴言を吐いてくるはずだ、と。


「……ボンボルってなんだ?木偶の坊のことか?」

「おうよ。冒険者として俺が名乗ってる偽名だ。どうだ?強そうでイカしてるだろ?そう、俺様は冒険者ボンボルだ!」

 胸を張る木偶の坊に、怜は無視を決め込んだ。きっとそう、自分には分からないこの世界の感性があるはずだ。


「お二人ともー!準備できましたよー!そろそろ出発です!」

 準備を終えたらしいヴァレミーが、大声で怜たちに声をかけてきた。

 今行くと返事を返し、二人で商人の一団の元へと向かう。

「……ヴァレミーってのもイカした名前だよな。実物はあんなんだが強そうな名前をしてやがる」


 なるほど。どうやらこいつは濁音が好きなようだ。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「うぅ……無理。無理そう」

 街道を進む商人の一行。三台の馬車が縦に並んで進むその最後車両の荷台の中、さとしは胃から込み上げてくるものを必死に堪えていた。

 いくら魔法で舗装された道とはいえ、多少の凹凸おうとつはある。馬車からダイレクトに伝わってくる振動は、出発早々から怜を追い込んでいた。


「情けねぇ……兄ちゃん馬車だめだったのか?」

 余裕の表情のボンボルが、呆れたように声をかけてくる。

「あぁ……やばい。初めて乗ったがこれはやばい。気抜いちまうと全部でる。今にも出そうだ」

「おいおいやめてくれよ。依頼人の馬車だぞ?クロトヴァの街でも何度か顔を合わせることになるだろうしよ、絶対出すな。飲み込め」

 非情な命令を受け、迫り上がってくるものを必死に飲み込み押さえ込む。


「すみません、あんまり性能のいい馬車ではなくて……そろそろ休憩に入りますので、もう少しの辛抱です」

 馬車を操る御者が、心配そうに覗き込んできた。

 親指を上げて、了解の合図をしめす。今はもう、極力喋りたくもない。


「今まで移動はどうやってたんだ?ずっと徒歩か?」

「……徒歩だ」

「それはまた……気合い入ってるじゃねぇか……俺と出会ってなかったらどこまで行くつもりだったんだよ?」

「……フィラーテって街だ。一週間ほどで着くって聞いてる」

「フィラーテ!?俺がこの間まで拠点にしてた街じゃねぇか……。あそこは馬で二週間はかかるぞ?どこのスピード自慢に聞いたんだよ」

 正気の沙汰と思えない、という表情のボンボルに、ただの村娘だと心の中で返事を返す。

 一度行ったきりと言っていたリアの記憶も曖昧なものだったのだろう。信じて向かっていれば途中でくたばったかもしれない。冷や汗が滲んだのはきっと馬車酔いのせいだ。


「そのフィラーテに何をしに行く予定だったんだ?」

 特に目的があったわけではなかった。正直に答えようとするも、宿屋の名前を思い出した。

「ケドキナって宿に行くつもりだった。特に目的はなかったが、知り合いに勧められてな」

「……おいおい兄ちゃん……俺が泊まってた宿じゃねぇか……もしかして、俺を追ってか?」

「んなわけねぇだろ」

 気持ちの悪いボンボルの推測を即座に否定する。

「んまぁそうだよな……まぁでも兄ちゃんがどうしてもってんなら、サインの一枚でも書いてやるからよ。遠慮すんじゃねぇぞ?」

(こいつは自分の事をなんだと思っているのか?アイドルのつもりか?珍獣の方がしっくりくる。ステージよりも檻の中がお似合いだ)

 馬車酔いの苛立ちも相まって、怜は内心暴言を吐き散らす。


「おいおいなんだよその目は……俺はこれでもそこそこ名の売れた冒険者なんだぜ?そりゃファンだってそこそこいるだろうさ」

 信用ならない言葉に御者に目を移す。

「本当ですよ。ボンボルさんは腕利きの冒険者として、フィラーテでもクロトヴァの街でも有名です」

 肯定が返ってきたことに意外に思う。どうやら嘘ではないようだ。ファンの方も……まぁいるかもしれません、と歯切れ悪く付け加えたのがその証拠だろう。少なくともこの御者はボンボルのファンではない。

「そいつは頼もしい先輩だ。冒険者としての指導が楽しみだ」

 軽口をたたいた怜の横で、ガタッと音を立ててボンボルが立ち上がった。


「なら早速ここで一つ教えといてやる」

 ボンボルは怜に真剣な目で一瞥を送ると、ガタガタと揺れる荷台の後方に向けて歩き始めた。

 開けっぱなしの荷台の後方から顔を出すと、四つん這いになり——

「おげえぇぇぇぇぇぇぇ」

 盛大に吐き散らした。後ろから、御者の悲鳴が聞こえてきた。


「は?は?お前なにやってんの?はぁ?」

「兄ちゃん……はぁはぁ……冒険者ってのはな、うっぷ……過酷な仕事なんだぜ……おげえぇぇ……どんなに辛い状況でも表情に出さずに……うっ……決してっ……内心を悟られないことだ……おげえぇぇぇ」


 顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしたボンボルが、説得力のない言葉を口にする。

「お前も馬車苦手だったのかよ!なにが情けねぇだ俺より先にへばってんじゃねぇよ木偶の坊!!」

「冒険者は……内心を……おげえぇぇぇぇ」

 一度出だすと止まらないようだ。馬車の後方に吐瀉物を撒き散らすボンボルを見ていると、怜も吐き気が一気に高まってきた。

「……うっぷ」

 口を押さえなんとか堪えようとするが、どうやら今回は無理そうだ。

「あっ!あっ!だめですよエックスさん!吐くならせめて外に!外に!!」

 御者の焦ったような声が聞こえる。うるせぇ、と怜は思う。


 未だ吐いているボンボルの横に移動すると、同じように荷台の後方から顔を出し——


「「おげえぇぇぇぇぇぇぇ」」


 二人で仲良くぶちまけた。

 後ろでは、御者が悲鳴をあげていた。


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