人違いでは!?
「こわかったなー」
タデラの店から出た
見返してみても字は読めない。
「なにあれ?服屋?あれは絶対シノギだ。本業はやばいブツとかさばいてる……まぁ服も着替えられたしいいけどよ」
無愛想な店主を思い浮かべて断定する。
「しかし、あの子俺に施しすぎだろ……大丈夫か?今頃泣いてても返してやれねぇぞ?」
拳に握りしめたお金を確認する。リアからもらったものだが、想像以上の額に多少顔が引き攣った。
「年下の少女からの施し……情けねぇ。……でもまぁ、そのおかげで宿にも泊まれそうだ。リア様に感謝だな」
お金を懐におさめ、宿屋を見上げる。
街道沿いの宿屋は怜が想像していたより立派なものだった。
二階建ての建物は高さこそないがおおきな正方形を描き、宿泊する部屋数は十分以上に揃えられているようだ。
外から覗き見た限り、一階では食堂らしきフロアで数人が食事を楽しんでいた。
怜は宿屋の扉を開けて中に入る。
ギギィと、立て付けの悪そうな音がした。中で食事をしていた三人……いや、四人の男たちがこちらに視線を移し、少し驚いたような表情をするが、すぐに食事に戻る。
(隣の店のおっちゃんもなんか一瞬驚いてたよな?……服装は一般的なものなんだろ?俺なんかおかしい?)
気にしていない風を装い、受付らしきカウンターに向かう。
「いやっしゃいませ!お食事ですか?宿泊ですか?」
受付は若い女だった。
先ほどの店のタデラとは違い、愛想のいい笑顔を浮かべていた。
「えーっと……宿泊!とりあえず一泊したいんですけど」
宿泊という言葉に力が入った。受付は一瞬だけびくりと体を震わすが、銀貨一枚と銅貨五枚ですと、すぐに事務的な返事をよこした。
手持ちの金を確認する。貨幣価値は正直言って分かっていなかったが、銀色と銅色の硬貨を言われた枚数分抜き取り、受付に渡す。
目線だけでさっと確認した受付は、ちょうどですねと、部屋の鍵を渡してくる。
「階段を上がって奥から三番目のお部屋になります。お隣のお部屋が本日ルームメイクの予定ですので、物音がするかもしれないですがご了承ください」
こちらにしゃべる隙を与えないような、一息に告げられた情報を頭で整理する。
視界の隅では、食事をしていた男たちが出立の準備をしているのが目に入った。
「わっかりました……ご飯とかでるんですか?」
「朝夕の二食ご用意はできます。ただお酒などはお出ししていません。持ち込みいただくには構いませんが」
「なるほど……とりあえず今からなにかしら食べたいんですけど。いやほんと、もうなんでもいいんで」
かしこまりましたとの返事を受けるとともに、追加の代金を支払って席に向かう。
食事を終えたのであろう先ほどの男たちが前から歩いてくる。皆同じような白のローブに身を包んだ一行だ。
パーティなのか所属を同じとする軍人かは分からないが、統一されたローブは怜の着ている安物などではなく、それなりの値がはりそうだ。
(絡まれねぇよな……)
不安がよぎるが杞憂に終わる。
お互いに軽い会釈を交わし、怜の隣を、三人の男たちが過ぎ去った。
(ん?)
違和感を覚え振り返る。
(四人……じゃなかったか?)
初め、怜は四人の男たちが食事をしていると認識していた。すれ違ったのは、三人。
(……まぁ、気のせいか気のせい)
三人の男の後ろ姿を見送り、感じた疑問はすぐに霧散する。
「とりあえず飯だな。あー、腹減った」
席へ着こうと再び振り返る。
振り返りざますれ違った、一際大柄な男に、
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「んぇっ?」
目を覚ますとともに、
食堂にて腹を満たした後、まっすぐ部屋へ向かいベッドに倒れ込んだところまでは覚えている。
気付かぬ内に寝ていたようだ。
「ひっさびさにぐっすり眠ったな。やっぱりめちゃめちゃ疲れてたのでは?」
身体的疲労はさほど感じてはいなかった。しかし精神的疲労は確実に怜のなかに蓄積されていたようだ。
「……そういえば夢みなかったな」
ここ最近、高橋怜を悩ませていたもの。奇妙な夢を今回は見なかった。
「……世界が変わったから見なかったのか?結局分からずじまいでおしまいか」
謎の老人に謎の言葉。頭を悩ませていた問題が図らずも消え去り、かなりの嬉しさと——夢の意味を突き止められなかった、多少の残念さを感じる。
「まぁ悩みが減るにこした事はねぇ。……てか俺どんぐらい寝てたんだ?」
硬いベッドから体を起こし、部屋の窓を覆うカーテンを開ける。
外からは黄昏時の西陽が強く室内へ入り込んできた。
「……めっちゃ寝たな。ベッドに倒れ込んだのなんて朝なりたての時間だったぞ」
もうそろそろ夕食の時間が迫っているはずだ。食事の前に固まった体をほぐそうと、軽めの柔軟を始める。
「これからどうすっかなぁ……」
コキコキと鳴る自分の関節の音を聞きながら考える。
夕食を終えたらまたすぐに出立しても構わない。一晩歩き続けたが魔物に遭遇するようなことはなかったし、道は綺麗に舗装され、街灯に照らされ歩きやすかった。
道中に不安があるわけではない。これからの怜の、この世界の人生について不安が残る。
今自分がこの世界に戻ってきた意味は検討がつかない。
イスティフであった時と決定的に違うのはその内面。
憎しみも、なにも感じない。おおよそ高橋怜のままであると思ってもいい。
力に任せて世界を蹂躙をする気もなければ、武勲をあげ、この世界で成り上がりたいという野心も今のところ怜にはない。
目的のない放浪の旅——現代日本では実行するのになにかと障害の多いであろう遊学に身を興じるのも悪くはないかもしれない。
戦いに明け暮れるような日々は、平和な日々を送ってきた高橋怜の意識が忌避している。
それに、不安もある。
目を閉じて、木製の床に
深く息を吐き、自分の内面に意識を向ける。
暗い視界に、青い炎のような揺めきが映し出される。
実際に瞼の裏に景色が映っているわけではない。
これは、怜の内側にあるもの——『魔力』だ。
「……やっぱりか」
ゆっくりと目を開けて呟く。
「はぁ……めっちゃめちゃ弱体化してるだろこれ」
怜の中に今、イスティフとして大陸を蹂躙した頃の魔力は感じられない。
無尽蔵かつ禍々しい魔力。それがイスティフであった頃、自分の内面から感じていた気配だ。
だが今は、歴戦の猛者さえ感知しただけで戦意をへし折られたような禍々しい魔力は鳴りを潜め、魔力量に至っては何十分の一程度だろう。
それでも人の身としては恐ろしいほど膨大な魔力量だろう。だが今の状態ではイスティフとして使いこなしていた魔法のほとんどは質と量、両方の理由から扱いこなすのは難しく思えた。
リアの言葉が正しければ、自分が討ち取られてから千年もの時間が経過している。
千年は長い。その間、魔法も体術も飛躍的に進歩を遂げているはずだ。
今の怜では太刀打ちできないほどの魔法が、誕生している可能性もある。
もし戦いの場に身を置くとして、情報の不足している現時点では生き残れる自信を持てなかった。
「うん、やっぱり腕っぷしで生きていくのは危険だな。……でも俺それ以外できることなくね?」
明るい観測のできない自分の未来にため息が漏れる。
「……農業か?土木業か?……それとも漁師?いや、やってみたら案外裁縫の才能も実はあったりして……」
危険の少なそうな職業を考えながら柔軟の続きをはじめた
「ウギッ……」
思案に耽いりながら首を回していた怜は、突然の来客に首をおかしな方向に捻った。
「お客様、夕食の準備ができました」
扉の向こうから朝聞いた受付の声が聞こえる。どうやら呼び出しのサービス付きだったようだ。
「おー、ありがとう!も、もうすぐいきます」
扉の前から遠ざかっていく足音を聞きながら、捻った首を逆方向に回してみるが痛みが取れる気配はない。
首を触りながらノロノロと立ち上がり部屋を出る。
「あててて……」
廊下にはもうすでにだれもいなかった。階下に向かう階段を目指し歩いていると、誰かが階段を上がってくる音が聞こえた。
木製の宿の階段は軋みやすい。怜が登った時もキイキイと音を立てていたが、今回はそれより派手に音を立てている。
男だと分かった。それも体格のいい男。
朝方は食事をしていた男たち以外に人を見なかった。宿泊客が少なかったわけではない。ただ朝が早く、起きていた人間が少なかっただけだ。
(絡まれねぇよな……)
今日二度目の警戒を心の中で口に出すが、一度目が杞憂で終わったぶん、今度は本気ではなかった。
夕食への期待から、鼻歌交じりに廊下を階段へ向け歩いていく。
階下から、階段を上がってきていた男の顔が見えた。
スキンヘッドの頭に黒い瞳、強面風の顔には、上下に両断するように右頬から鼻を通り左頬に向けて傷跡がついていた。
筋骨隆々の体つきに大きな剣を担いだ男の服装は、朝方見かけた男たちと比べると見窄らしく汚れており、体の要所を傷ついた防具で守っていた。
(冒険者ってやつか?)
野蛮人のような見た目の男の隣を、会釈をして通りすぎようと考えていると、男と目が合った。
瞬間、ピタリと男の動きが止まる。
釣られるように怜も足を止め、見つめ合うような形になる。
数秒無言の時間が流れるが、気まずさに耐えきれられなくなった怜は、男に向けて軽く微笑む。
「こ、こんばん……」
「てんめぇ今までどこに行ってやがった!!!」
夜の挨拶を口に出そうとした怜を遮るように、男は距離を詰めて肩を掴んで揺さぶる。
「んぁっ?ふぇっ?……へっ?」
訳も分からず
「一言も言わねぇで急にいなくなりやがって!!どんだけ心配したと思ってんだよこら!!!」
(え?俺絡まれてる?これ絡まれてるよね?)
心の中であたふたするが、男の必死の剣幕に押されて上手く言葉が出てこない。
「ちょ、ちょっと落ち着いて——」
「これが落ち着いてられるか!!戻ってこねぇ思ってたらこんなとこにいやがったのか!!これまで何してた!?言ってみろ!」
揺さぶられる度に痛めた首が悲鳴を上げる。
(いってえぇぇぇ!!くびっ!くびっ!)
心の悲鳴は男には届かない。
涙が溢れ始めた怜は、渾身の力で声を張り上げる。
「人違いではあぁぁぁぁぁ!?」
怜の渾身の大声に、男の動きが止まった。
「あぁ?……ん?……いや確かに、よく見たら違う?……いや、違うな」
掴まれていた肩がパッ、と離された。
持ち上げられるように揺さぶられていた怜は、その場で尻もちをつく。
「いやいや悪いな兄ちゃん。人違いだ。他人の空似だドッペルゲンガーだ」
「せめて……せめて丁寧に下ろせ」
「いやー、ほんとわりぃな。兄ちゃんのその腑抜けたにやけ顔が連れと似てたからよぉ……悪かった悪かった」
「てめぇ謝ってんのかそれ?ぶん殴るぞ」
男の背後から階段を駆け上がってくる音がする。
騒ぎを聞きつけた連中が様子を見にきたようだ。「なんだどうした?」「誰が揉めてる?」「喧嘩か?」と、様々な声が聞こえる。
冒険者たちが階下から顔を出し、尻もちをついた怜とその前で仁王立ちの男の姿を確認する。
その姿を見られた男は——
「……ふっ。はっはっは。……うわっはっはっはっはっ」
大声で笑って誤魔化そうとした。
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