街道沿いの仕立て屋
朝日が照らし始めた街道を
暗い夜道を照らしていた街灯の灯りは、周囲が明るくなると同時にポツポツと消え始めた。どうやら本当に時間によって起動する魔道具が使われているらしい。
唐突に消え始めた街灯は、思考の渦にのまれていた怜を覚醒させる。
(まだちょっと暗いな……寝れずに歩いてきちまった)
リアと別れてから、フィラーテの方向へとひたすらに歩を進めた。街道には宿屋が建っているところもあると聞いていたが、見える範疇にそのような建物は見当たらない。多少の疲労感を感じはするが、今すぐに休息を欲するほどではない。
(やっぱ前と比べて体力は化け物だな)
高橋怜として日本で暮らしていた頃なら、一晩も寝ずに歩こうとすれば途中で根を上げていたことだろう。
魔力を所有しているからかそもそもの人間としてのつくりが前の世界とは異なるのか、有り余る体力の自分に内心驚く。
(一人で考えても分かりそうもねぇよな……一晩寝れずに歩いて考えても、なーんにも分かりそうになかったしな)
目的地への到着を早めたいため、一晩歩き続けていたわけではなかった。
怜は二つの疑問を考えていた。
一日のうちに体験した怒涛の体験——知らない世界へ一人放り込まれ、魔法を行使し、命懸けの戦いに身を興じる。そして——『イスティフ』としての記憶。
「……いや、ここが知らない世界ってわけではなかったな」
覚えている。忘れられない記憶。かつて自分は、この世界で猛威を振るった——
それ以前のことは全く持って記憶にない。
あの日、突如として自我が芽生えた。魔神イスティフとしての自我が。
覚えているのは身を焦がすほどの憎しみ。特定の対象がいたわけではない。ただただ全てが憎く、醜く見えた。
湧き上がる
人の身には余るほどの罪を重ね、自身が世界に向けていた憎しみが自らに向けられた時、最後は『剣聖』によって打ち取られた。
最後の瞬間をよくは覚えていない。死闘を繰り広げたような気がする。思い出すのはこちらを射抜くような澄んだ碧眼の瞳。会話を交えたかも思い出せない。ただ怜は……イスティフは『剣聖』によって、殺された。
それ以降のことも、記憶にはなかった。
(これって転生ってやつか?)
考えられるのは『転生』。
こちらの世界でイスティフとして死に絶え、前の世界に高橋怜として新たに生を受けた。
そしてまた、帰ってきた。かつて自分が蹂躙した世界に——
「俺は今、どっちなんだろうな」
答えが返ってこないのを承知で、二つの疑問のうちの一つを口に出す。
魔神イスティフとしての記憶と
全くの別の世界で生まれ、別の人生を歩んできたはずだ。だが今その二つの人生は、どちらともが自身の過去として、記憶の中に馴染んでいた。
自分がいま何者なのか。その疑問はイスティフ……怜を不安にさせた。
そしてもう一つ。
「なんで俺また戻ってきたの?」
この世界で自分は死んだ。『剣聖』に討ち取られた。その事実は確かなものだろう。最後の瞬間、自身を切り裂いた剣の痛みは覚えている。
自分が死に、脅威が過ぎ去った世界は平和へと向かっていったはずだ。
「……いや、そうでもなかったようだな」
足を止め、街道横の草原に空いた大穴に目を向ける。
諸国を巻き込んだ大きな戦い——リアの言葉を思い出す。
人と魔物か人と魔神か、どのような戦いであったかは分からない。ただなんとなく分かっていた——人と人の戦いであったと。
「まさかもう一回蹂躙しろってことじゃねぇよな?」
魔神と呼ばれた自分が、どのようにして生まれたかは分からない。
人為的に生み出されたものか、もしくは世界の定めのように自然発生したものなのか。
後者であるならば人類共通の敵として立ち塞がり、団結した人々の元、再び勇者に討ち取られる。そんなシナリオをなぞる道化の役割を担っているのかもしれない。
ただ、怜にもう一度悲劇を生み出す気はない。
かつて憎しみの塊のようであった自分の中に、あの頃の感情はもはやない。
これは高橋怜の残滓によるものなのか、あれほど醜く見えていた世界に今、思うことはない。
「千年前、とか言ってたよな」
気になった言葉を反芻する。
千年前に猛威を振るった魔神——あの時リアはそう言った。
自分が討たれてから千年の時がどうやら流れたようだ。未来の世界にいるような奇妙な感覚を覚える。実際には自分が、過去の厄災なだけではあるが。
「世界も変わってんだろうな……魔法もあの頃より、さらに進歩してんだろうな」
魔法の進歩。前の世界では存在しなかった力。その力がこの世界には存在する。魔法が身近になかった高橋怜の感性が、胸を躍らせている。
「兎にも角にもなにか考えるにしても人だ人だ。街だ街。急がねぇとな」
明るくなった街道の先に見える、建物の影。人の、文明の気配を感じ、怜は急ぐように再び歩き始めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
その日、タデラは朝日が昇るより前に店を開けた。
タデラは街道沿いの宿屋に併設して店を構える仕立て屋だ。元々は街で店をだしていたが、全く売れずに居を移した。
店で扱っているのは服だけではない。武器や防具も置いている。というよりそちらがメインだ。
宿屋に泊まっているのは多くが冒険者や軍人だ。たまに商人も泊まるが、卸しはしても買いはしないことがほとんどだ。
大陸有数の街道に数えられるここは、依頼を受けた冒険者や軍人によって整備されている。
放っておくと魔物が溢れて夜も暗いここら一体が安全に保たれているのはそのおかげだ。
タデラの生計は、仕立て屋ながら傷んだ武器や防具の手入れで主に保たれていた。
冒険者は生活が不規則なやつらが多い。昨晩も遅くまで騒ぎ声が聞こえていた。
こんな辺鄙なとこでやることといっても持参した酒くらいのものだろう。寝不足気味なのに腹は立つが、やつらがいないとこの付近では枕を高くして寝られないと抑え込む。
基本閑古鳥が鳴いているタデラの店ではあるが、陽が沈む前には客がはいる。
この時間店を開けるのは、今日が商人が品物を卸していく日だからだ。
軍人ともなると、生活も躾けられているのか、ときたまこの時間店の戸をたたいて武器のメンテナンスを任される。——専門でないぶん、できる事は限られているが。
店のカウンターに腰掛け、意味もなく天井を見上げていると、店の扉が開く音がした。
商人が来るにはまだ時間が早い。軍人かと思い視線を向け、ぎょっとする。
店の入り口には、平均的な背格好をした、黒髪の青年が立っていた。それ自体には驚くような事はない。問題はその目だ。血が燃えるような、真っ赤な瞳。赤い眼は珍しい。初めての客だとすぐ分かる。
「こ、ここ服屋?……やってる?」
「……表の看板に書いてただろ」
確認するような青年の問いに、不貞腐れたように返す。タデラの癖のような口調だ。
「だ、だよなー。書いてたよな。書いてたな。うん、服屋だ……営業中?」
どこかぎこちない青年に、今度は言葉を出さずに頷くだけで返した。
「あのー、服が欲しいんですけど、汚れちゃって」
見れば青年の着ている服は、上から下にかけて何かが飛び散ったように黒いシミを作っていた。
タデラは即座に青年の体のサイズを測り、店にある在庫の一覧を渡した。
「そこに書かれてるのがお前さんのサイズに合うやつだ……好きに選べ」
青年は一覧が書き写された羊皮紙を手に取ると、唸りながら悩んでいる振りをした。どうやら字が読めないらしい。
国の軍人ではなく冒険者の可能性が高いなと判断する。
「……あのやっぱ実物とか見せてもらっていいかな?そっちの方が決めやすい」
会心の顔つきでこちらを見つめてくる。うまく切り抜けたとでも思っているらしい。
戸棚から服を出し掛け、青年に訊ねる。
「金はあるのか?」
「……うんまぁ、あるよ?」
頼りなさそうな返事が返ってくるが、ひとまず信じて、一着の服と黒いローブを引っ張り出す。
「おぉ……まともだ」
服を広げ感動したように声を出す青年に少しだけイラッとするが、黙って見守る。
「……あのー、試着とかしてもいいですかね?」
「金だ」
「あっ……はい」
青年は懐から出した金を遠慮がちにカウンターに並べた。一式買うには十分な額だ。
どうやら硬貨の価値もいまいち理解していないようだ。こんな出し方では多めに取られる可能性だってある。注意してやるつもりもないが。
正規の値段分だけ抜き取り、残りを返す。
「おぉ……やっぱりまともだ!」
服を着替えた青年の、再び感動したような声に再度イラッとする。
「……それはここらに来る冒険者の一般的な軽装だ。動き易いが防御に乏しい。夜道ならそのローブにくるまってれば魔物には見つかりにくいだろうよ……防御が欲しいなら防具もあるぞ?」
タデラの説明に、へぇと声を漏らすが理解しているかは正直怪しい。
「……いや、防具はいいや。ありがとなおっちゃん」
一転、人懐っこいような笑みを浮かべる青年に、力が抜ける。
「はぁ……字が読めないなら読める仲間を募ることだな。それとあんな無遠慮に有り金を晒すな。盗られても文句は言えんぞ?」
「……はい」
青年は落ち込む素振りを見せ、ローブに包まった。
「あっ!おっちゃんこの服とか捨てといてもらえるか?もうこんなんじゃ使えないからよ」
一瞬で立ち直ったような青年に、自分の忠告が届いたか分からず内心呆れる。
置いてけと、合図を出すと、おねがいしまーすと間延びした言葉とともに、青年は脱ぎ去った服をカウンターに置いた。
「じゃっ、俺行くわ!」
機嫌が良さそうに店を後にしようとした青年は店の扉に手をかけ、再び振り向いた。
「……あのー、隣の宿なのですが……先ほどの手持ちで泊まれるでしょうか?」
タデラは再びため息をつき、三ヶ月は大丈夫だと答える。
「さっ……まじか。いやほんと、世話になったなおっちゃん、また顔出すわ」
手を振りながら店を出ていく青年の背中を見送り、三回目のため息を漏らした。
すぐに死にそうだ。多くの冒険者や軍人を見てきたタデラの勘がそう言っている。
青年が置いていった服を捨てようと、タデラは腰を上げる。
無造作に脱ぎ捨てられた服が、カウンターの上に雑に置かれていた。
四度目のため息が出そうになるのを堪えながら手に取った瞬間、呼吸が止まる。
「……いい生地だな」
汚れてはいるが滑らかな手触りの生地。特別な魔法が込められているわけではないだろうが、高い技術で編み込まれた代物だということがタデラには分かった。
この付近でいえば皇国の軍人が着用している制服のような上物だ。
「この生地……どこかで……」
以前、どこかでこの生地を触ったことがある。そう感じ、指先から伝わる感触を頼りに過去の記憶を探るが、思い出せそうもない。
好奇心から服を広げ観察する。
汚れがひどく、生地感以外に得られそうな情報はなかった。
服に大きく飛び散っている黒いシミを指でなぞってみる。タデラの腕を尽くせば、時間はかかるが落とす事はできそうだ。
ただ、気になることが一つ。
「これは……血か?」
返り血、というつき方ではない。
これはそう、自身の首元から飛び散った、そんな汚れ方だ。
記憶に新しい青年の姿を思い出す。重傷を負っているような様子はなかった。
それではこれは——
考え込みそうになるのを、頭を振って振り払う。
タデラとて、冒険者という荒事を生業にする連中を相手に商売をしている。だが争いごとになにも感じないわけではない。
深く追求したところで、気が滅入るような話が出てくるに違いない。
あの青年が、何度も足を運ぶような客になることはないだろう。
少しの躊躇いを見せた後、タデラは青年が置いていった服を、ゴミへと捨てた。
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