かつての記憶



 街道はお世辞にも整備が行き届いていると言えるようなものではなかった。しかしそれは、現代日本で生活していたさとしであるからそう見えるもの。


 道にはアスファルトが敷き詰められているわけではない。黄土色の地面を露出させ、雨天時には足場が悪くなるのが容易に想像できた。

 だが不思議とむき出しの地面に凹凸は少なく、足跡や轍は見当たらない。街道に沿うように立ち並ぶ街灯も、造りや間隔にばらつきはあるものの、暗い夜道を照らしていた。


 道は魔法で整備されたものだと、リアは言う。

 国、周辺地域または商人などから依頼を受けた魔術師が、報酬の代わりに道路の整備や街灯の管理を行なっているようだ。

 地属性魔法により平坦な道へと整えられ、街灯は火属性もしくは光属性魔法により灯りが灯っているとのこと。


 さとしが今目にしている街灯は、もともと魔力が込められた魔道具が時間差により灯りを灯すつくりになっているとのことだが、村などでは暗くなる時間帯に多少でも魔法を扱える者が直接灯火しているところが多いようだ。

「主流は火属性魔法の灯りです。……雨の日は消えちゃいますが」

 この街道は国と国、都市と都市を結ぶ主要な街道の一つとのことで、定期的に魔術師が雇われては補修が繰り返されてきた、とリアが教えてくれた。


「魔法ってすげぇんだな」

 怜は素直な感想を口にする。

 この世界は日常的に存在している魔法によって、現代日本とはまったく別の異なる発展を遂げている。道路と街灯だけでも、そう思わせるものがあった。

 まだ見ぬ魔法を使った独自の発展に、胸を躍らせている、そんな自分を確かに感じる。


「灯りに釣られて魔物が寄ってくる、なんてこともありますけどね」

 困ったような表情のリアに、やっぱ魔物いるんだと、顔を青くする。


「魔術師様」

 畏まったような声に怜はリアに向き合うと、不意に手を握られた。垢切れ一つない、綺麗な手だ。


「この度は危ないところを助けていただき、本当にありがとうございました。……あの時魔術師様が駆けつけてくださらなければ、きっと今頃わたしも神の御許にいたことでしょう」


 真剣な眼差しにむず痒くなる。「意識して助けたわけじゃないけど」と、内心思うものの謙遜は口に出ず、おぅと覇気のない返事が出た。


「本当は村までお招きしてお礼をさせていただきたいのですが……なにぶん今当家には余裕がなく……」

「い、いやいいって!そうあれは……当然の事をしたまでさ!リアちゃんが気にする事じゃない!」

 申し訳なさそうな表情を見せるリアに、怜は少しだけ格好つけてみるが、即座に顔が赤くなる。


「お気遣い痛み入ります……わたしたちの村も先の大戦の影響を受けて、働き手も農地も不足してる状態でして……」

「先の大戦?」

「はい……この付近も戦場となり、土地は荒れ、民間人にも被害が及びました……いまだその傷跡も色濃く残っています」


 リアは憂いた表情で一点を見つめる。怜もその方角に目を向けると、暗がりで分かりづらいが、地面に大きな穴が開いていた。


 そういえばここまで来る途中にも、抉られたような地面の窪みを散見したと思い出す。あれが大戦の傷跡というものなのだろうか。


「あー、あの大戦ね……い、いやほんと……ひ、酷かったもんな……あれの後はそりゃ、大変だよな……」

 当然怜の記憶の中に大戦の記憶などない。しかしおそらく大規模な戦いであったであろう大戦を知らないと言うのは不自然だと考え、共感を口にする。


「魔術師様は戦いには従軍されなかったのですか?」

「あー……いやほら俺は、あの……国とかないから。……いやほんとこわいなって思ってたよ」

「傭兵として多くの魔術師や兵士の方々が雇われた戦だったとは聞いています。なにせ諸国を巻き込んだ大きな戦いでしたものね」

「あー、俺もそういえば端っこの方で参加してたわ。うん、残党狩りみたいな?まぁちまちまと。……あれだ、防衛だぞ?自衛のためにな」


 そんなでかい戦いだったのと、怜は顔が引き攣るのを感じる。

(やばいな。なんも分かんねぇ。……この世界の常識とか歴史とかそりゃ分かんねぇよ。……直近ででかい戦いあったの?てかそれやばくね?もしかして追い剥ぎとかいる?やっぱ魔法使って自衛とかしないと生きていけない?……もしかしてこの世界の人間じゃないってバレたら面白半分で研究とかされてズタズタにされたりしないよな……)


 未知の世界の恐怖が不安を駆り立てる。なんとなく現地の人間として振る舞っていたが、異なる世界の人間だと判明した際に自身に降りかかるかもしれない悲劇を勝手に想像し、遠い目になる。


「てっきり魔術師様は戦争でも武勲を上げた名のある使い手の方だと思っていました」

「え?いや……俺なんて全然……てか俺って強いのか?あ、いや……実はあんまり戦闘の経験とかないから」

「……わたしも魔法についてはほとんど分かりませんが、少なくとも自衛という点に関しては魔物など寄せ付けないのでは?」


 リアの言葉に少し安堵感を覚えるが、次戦闘になった時にまたあの火事場の馬鹿力モードが発動してくれるか分からない。

(魔物に戦争……俺これ早々に死ぬんじゃね?)

 まずはこの世界を理解し、慎重に生きていこうと決心する。

 引いては押し寄せる不安の波に心が暗くなる。気が狂ってもおかしくないと思うが、怜の心中は不安の中にも、冷静さを残していた。


「……それで、ですね。魔術師様」

 暗い思考から浮上し、目の前の少女を瞳に映す。リアは首から下げていた大きめのポーチを物色し、何かを探しているようだった。

「村にお招きすることは難しいのですが……是非ともお礼だけでもさせていただきたくて……これを」


 目の前に差し出されたのは分厚い古びた本。

「……これは?」

「本です……魔法の」

「魔法の?」

「はい。一年ほど前、引退されるという老魔術師様からいただきました。自分にはもう必要ないからと。——ただわたしも魔法が使えないのでさっぱりですが」

「……わけわからん本を持ち歩いてたの?なんで?」

「え?だって本を持ち歩いてる女の子って賢そうじゃないですか?」

 残念な事を聞いてしまったと思いながらも、差し出された本を手に取る。表紙をめくり最初のページには、腕輪の絵が描かれていた。


「なんの絵でしょうねー?腕輪ですよね?」

「まぁうん。そうだろうな」

 覗き込んでくるリアに適当な返事を返す。数ページめくってみるが、最初のページに描かれていた腕輪以外、白紙だった。


「スケッチブック?一ページで飽きたの?」

 腕輪の絵を指で擦ってみるが、滲むこともなく、印刷されているかのようであった。

「その老魔術師に使い方とか聞かなかったの?魔法の本なら仕掛けとかあるんじゃない?」

「聞いてもどうせ分からないですもの……魔術師の方なら分かるかなと!」

「いや、分からん……かきかけの絵本だ」

「そうですか……魔術師の方には貴重なものだったりするのかなと思ったりしたのですが……すみません」

「い、いやいいって!ありがとう!これはありがたく頂くよ!知り合いとかに聞いたら分かるかも知れないし!」


 シュンとするリアに罪悪感を刺激され、礼を述べつつ謎の本をもらうことに決めた。

「うーん……ではついでと言ってではなんですがこれを」

 さとしは自分の手のひらに握らされるように渡されたものを見る。金銀銅と輝きを放つ小銭のようなものが数枚。


「え?……これお金だよね?流石にこんないやらしいもの受け取れないぞ?」

 この世界の貨幣価値については全く分からないが、恐らく年下の余裕のない村で過ごすという少女からお金をもらうのは、怜の良心が躊躇った。


「わたしの気が収まらないので。それにその……失礼ながら魔術師様……あまり持ち合わせがないようですし……」

「あぁ……いやまぁ確かに……」

 そりゃそうだよなと、内心思う。汚れた服に身を包み、手持ちのものもほとんどない。質素な出たちであろうリアより見窄らしい格好に、同情の目を向けられているのを感じる。


「命を助けていただいた御恩があるのです。この程度で報いることができるとは思いませんが、せめてものです。わたしのためでもありますので、是非受け取ってもらえませんか?」

「……ありがとう。助かる」

 少女の気遣いに涙が溢れそうになるのを堪えながらも受け取る。自身の情けなさを大いに含んだ涙であったが、怜は気づかないふりをした。


「それでは、わたしはこちらになります」

 お金を受け取ったのを確認した後、リアは街道からそれた方角を指さす。


「この街道をまっすぐ行くと二、三日……いや、一週間ほどだったかな?……まぁとりあえず数日もすれば、フィラーテという街に着きます。比較的容易に街の中へも通していただけるので、魔術師様ほどのお力があるのであれば、当面は過ごせると思いますよ」

「ん?……あぁ……ありがとう。これからどうするか迷ってたとこなんだよ」

「それはこちらこそです……フィラーテではケドキナという宿、おすすめですよ。わたしも一度行ったきりなのですが」

「おーう。考えとくよ。まぁどうせそこに世話になると思うけどな」

 怜が言うと、なにが嬉しいのかリアは満足そうに笑った。


「最後に一つだけ、厚かましいお願いをさせていただいてもよろしいですか?」

「うん?別にいいけど。俺にできることなら」

 申し訳なさそうに口にするリアに反射的に返すと、ポーチから一つのランプを取り出した。


「こちらも老魔術師様からいただいた品です。魔道具とのことですが、わたしはただのランプとして使っています」

「なるほど……いやまぁ完全にただのランプだよな……」

「こちらに……魔術師様の魔法で灯火してくれませんか?」

「……魔法で灯火?」

 疑問に思う怜に、リアは頷く。


 何の意味が?そもそも今意識して魔法が使えるのか?そんな疑問が湧き上がるが、不思議とまた、唱えるべき単語が脳裏に浮かんだ。

 考えるより先に、体が動く。ランプに手をかざし、怜は唱えた。


「〈憐火れんか〉」


 瞬間、ランプに火が灯る。

 一見普通の火種となんら変わりはない。赤く揺らめく小さな炎は、暗い辺りをほのかに照らす。


「この魔法は知っています……“人を焼かない炎”、『憐火れんかの炎』ですね」

憐火れんかの炎……」

 噛み締めるように、復唱する。


「はい。人だけを焼かず、人ならざるモノを燃やし尽くす炎。実物を見るのは初めてです」

 リアは無邪気な笑みを浮かべ、ランプの中の火を触る。


「本当に焼けない……焼けないけど温かいんだ……暖をとるのに最強なのでは?」

「えぇ……よくそんな事できるな……俺分かってても恐くてできねぇぞそんな事……」

 躊躇なく火に触れるリアに、唖然とする。


「お気に入りの魔法なのですか?」

 問われた質問に考える。気にいるもなにもない。ただ頭に浮かんだ魔法を唱えただけだ。


 そう、ただそれだけ——けれども怜は、この〈憐火れんか〉の魔法が気に入っている。大切な魔法。そう感じていた。

「……分からねぇ。……けどな、大切な魔法、そんな気がするんだ」

 本音を伝える。——目の前で少女が優しく微笑んだ。


「今日は本当にありがとうございました。……魔術師様、本当にお強かったです。噂に名高いかの皇国の『剣聖』様のようでした」


 剣聖——。リアの言葉に引っかかる。

 言葉自体は知っている。この世界の剣聖のことなど知らないが剣の道に優れた達人のことだ。

 知ってはいても怜には関わり合いのない称号——それが、心をざわつかせる。


「それにこれは失礼になってしまうかもしれないのですが……まるで、『魔神』のごたる強さでした」

 ざわつく心に戸惑い黙りこくっていた怜にかけられた言葉に、今度は心臓が跳ねた。


「——魔神?」

「はい、まるで炎の魔神のようにお強かったです」

「——魔神の名前は?」


 咄嗟に聞き返していた。魔神とはなんなのかなど気にはならなかった。ただその名がひどく、きになった。


「……有名な名ですよ?千年前に猛威を振るったといわれる、あの魔神です」

「あぁ……その名は?」

 自分は急いている。そう感じる。


「はい。——最凶最悪と謳われる、炎の魔神——


 心臓の鼓動がうるさい。自分は焦れている。


「たったの二年で、いくつもの都市が、国が、人々が灰燼へと変えられました……」


 その名が——その名が、早く、早く聞きたい。


「人類を絶望の淵へと追いやったその名は……」


 ——その名は?

 ごくりと唾を飲み込み、汗が伝う。

 大きく鼓動する心臓に押し出された血液が、沸騰したように煮えたぎり血管を流れる。



「魔神——」


 その名を聞けば、自分の何かが変わる。

 そう確信していた。だがもう——止められない。



「『イスティフ』」



 瞬間——弾けた。



 思い出すのは——“記憶”。



 恐怖。殺意。絶望。畏怖。恐慌。憎悪。怨恨……。かつて自分に向けられた、様々な感情。

 それら全てが、自分に敵対し、戦い、踏み潰していった者たちから向けられた忌々しい記憶。


 目の前のリアが、灯りの灯ったランプを無言で差し出す。

 怜はそれを、呆然と受けとった。


「ではわたしはこれで。——またいつか」

「……あぁ」

 去り行く少女の背中を、無言で見つめる。


 完全に姿が見えなくなった頃、停止していた時間が動きだしたように怜は本を広げた。

 空白のページにランプをかざし、唱える。


「〈封書刻印ふうしょこくいん〉」

 途端に、ランプは本の中へと吸い込まれる。

 空白だったページには、ランプの絵が刻まれた。


 怜は本を閉じかけ、やめる。

 新たな空白のページを開くと、五つ……四つの水晶が装飾された首飾りを取り出す。

 同じように本の中へと封印すると、今度こそ本を閉じる。

 空中で本を手放すと、地面へ落下することなく、その場で粒子のように分解されて消え失せた。


「そうか、そうだったな……。ここは……日本じゃない。ここは、大陸『アルスリア』」

 聞き馴染みのない大陸名が、怜の口から滑り落ちる。


「そして俺は……大陸を蹂躙じゅうりんした魔神——『イスティフ』」


 怜——イスティフを中心に、風が舞う。

 まるで、世にそぐわぬ強大な存在が、突如として顕現したかのように——


「戻ってきたのか……。この俺が、この大陸……この世界に」


 夜空には、日本では見れない、満点の星空が広がっていた。


「——歓迎は、してくれねぇよな」


 どこか寂しそうに、怜は——“赤い両目”で、星空を見上げた。

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