初戦闘2



「貴様……魔術師か」

 ほとんど沈黙を保っていた男が警戒した声音を発する。


 さとしは考える。言葉の意味は分かる。だが、ありえない事だと思う。少なくとも“前の世界”において、そのような片鱗などなかった。

 必死に否定していた可能性を受け止める。もう自分はよく知る“高橋怜”ではないのかもしれない。

 導き出した結論にスッと心が軽くなると同時に、悲しさを感じた。


「〈炎斬えんざん〉」

 男に答えを待つつもりはないようだ。

 剣から放たれたのは可視化できる炎の斬撃。燃え盛る炎が横薙ぎに迫ってきた。


 怜の脳裏にはまた、聞きなれない単語が浮かぶ。だがもう、考えるつもりはなかった。直感の感じるままに動いていれば、この危機を脱することができる。そんな気がしていたから。


「〈防炎鎧ぼうえんがい〉」

 唱えたそばから体が見えないなにかに包まれるような感覚を覚える。そのまま怜は、〈炎斬えんざん〉へ向けて正面から駆け出す。


 怜と〈炎斬えんざん〉が接触する寸前、上へ跳ぶ。最小限の跳躍で斬撃をかわすが、熱気は感じない。どうやら〈防炎鎧ぼうえんがい〉によるもののようだ。


 真下を通過する斬撃に手をかざし〈吸炎陣きゅうえんじん〉を発動する。先程発動した時よりも体の中から多くの何かが抜け落ちた感覚がした。これが、『魔力』というものか。


 先程よりも多くの魔力を使ったせいか、今度は一瞬で炎が掻き消える。炎を失った斬撃は怜の真下を通過し、草木をいく本か切り倒す。炎は消えても斬撃自体は消えないようだ。


 着地し、そのまま真っ直ぐ男へと駆ける。新たな〈炎弾〉が襲ってくるが、薙ぎ払うように掻き消す。


(〈吸炎陣きゅうえんじん〉ってやつは便利だな)

 相手の攻撃を立て続けにかき消した、有能な魔法に笑みを浮かべる。


 男から新たに魔法が飛んでくる。だが次は炎を纏っているわけではなかった。無色の弾丸が、空気を振動させながら突き進んでくる。

 炎を掻き消す怜に、火攻めでは殺せないと判断したのだろう。


 飛んでくる魔力の塊に怜は、心の中で〈魔衝弾ましょうだん〉を唱えて打ち出す。

 魔力を弾丸に変え飛ばすだけの魔法。二つの〈魔衝弾ましょうだん〉は上空でぶつかり、相殺される。


 近づく怜に、男は剣を上段に構え迎えうつ体勢をとる。だが、刀身に纏わりついていた炎はシュウゥゥと音を立て鎮火した。


(時間制限か?もしくは回数制限?……まぁどうにしろ、ただの剣に戻ったみてぇだな)

 チッ、と男の舌打ちが聞こえる距離にまで来た。

 鎮火した炎に一瞬気を取られた男の懐に潜る。


「しまっ…ッ!」

 男が驚きの声を上げるより前、左脇腹に蹴りを入れる。大きく吹き飛び、剣を飛ばしながら地面を転がる。だが今回は受け身も取れず、自然に勢いが収まるまで転がり続けた。

 魔力を込めた体術。男に喰らわせた蹴りがそうであると、理解していた。


 左脇腹を押さえ立ち上がる男に、再び迫る。

 勢いをつけたままの突きを繰り出すが止められる。勢いは殺せず地面を抉り後退するが、ダメージはないようだ。


 追撃の蹴りを試みるが止められた。男から拳が飛んできて、怜は両手で受け止める。しばらく体術の応酬が続くが、どちらも決めきれない。

 どうやら体術は互角のようだ。先ほどのような不意打ちじみたラッキーパンチはもう効かない。どちらともなく後ろへ跳び、距離をとる。

 数秒睨み合う怜と男だったが、先に仕掛けたのは怜の方だった。


 構えを解き、棒立ちになる。

 隙だらけのそのいでたちは、男をかえって警戒させた。


「殴り合っても決めきれねぇな。だいたい肉弾戦は魔術師の戦いってわけでもねぇだろ?」

 共感を誘うように、怜は問いかける。

「だからここからは、魔術師の戦いだ」

 左手を男に向け言い放つ。その手には魔法陣が表れた。

 すかさず男も魔法の準備をするが、怜の左手には炎が具現化した。

 揺らめく炎は徐々に圧縮され、サッカーボール大の球体を創り出す。

 それは、先程怜の命を焼き払おうとした魔法。


「〈炎弾えんだん〉」

 唱えると同時に射出された魔法は、真っ直ぐ男へと向かっていく。

 男は自分と魔法の同一直線上に、咄嗟に水の壁を作り出す。

「水属性魔法も……手練だな」

 怜は呟く。

 火属性魔法の〈炎弾えんだん〉は、水属性魔法には弱い。魔力を練り込んでいない魔法なら、掻き消されて消滅するだろう。

「だが——」

 怜の放った〈炎弾えんだん〉は、水の壁に接触し、大きな穴を開け、貫通した。


 属性の相性だろう、怜の魔法は貫通しつつも勢いが弱まる。

 弱まった勢いの分だけ着弾は遅れる。男は魔法を避け、〈炎弾えんだん〉は背後に着弾した。それと同時に、小規模な爆破が起き、爆風と土煙が男に襲いかかる。身を飛ばす程の爆風ではなく、少し気にするような素振りを見せるもすぐに怜に向き直る。

 だが、新たな〈炎弾えんだん〉がすでに放たれていた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 男は魔法を避けつつ、先程とは真逆の状況に内心舌打ちをする。魔法を放つ怜に、男はただ逃げ惑う。

 地面に着弾した〈炎弾えんだん〉は二度目の爆風とともに土煙を舞い上げる。視界が悪くなるがそれは向こうも同じだろう。


 男は地面へ向け、〈魔衝弾ましょうだん〉を三発放つ。着弾した魔法は地面を抉り、新たな土煙を巻き起こす。

 視界は舞い上がった砂に遮られ、数メートル先の目視も危うい。


(ここは退くか……)

 剣を回収しつつも、男は考える。現時点において、このままやり合えば力尽きるのは恐らく男のほうだろう。そこそこの手練れだと自負する自分でも勝てない。

 周辺諸国にあのような使い手がいるという噂は聞こえてこなかった。遭遇したことが事故。そう考え、土煙に紛れ撤退することを選択しかけて——やめる。


 男の目は捕らえていた。土煙の中、赤く燃える炎を。


 姿自体はよく見えない。しかし、燃える炎と魔法陣の発光が、怜の位置を蛍のように教えていた。恐らくいつでも魔法を放てる臨戦体制で警戒しているのだろう。その警戒が、撤退に傾いていた男の足を止めた。


 光を放つ魔法陣の後ろが背後だろう。姿勢を屈め、回り込む。

 土煙の向こうに、怜の姿が確認できる距離にまで近づき勝利を確信する。背後をとった。左右にキョロキョロと首を動かし警戒している。向こうはまだ、気づいていない。


 このまま不意打ちの魔法で射抜くこともできるだろう。しかし、体術で互角、魔法で押された自身の姿が脳裏に浮かぶ。


(殺す……)


 私怨を含んだ黒い感情が湧き上がる。

 スピード自体は自分が勝る。やり合いの最中、そう感じていた。

 鞘に戻していた剣を再び引き抜き、にじり寄る。


(〈守火衣しゅかい〉)

 次の技に備え、炎に耐性を得る魔法を自身に付与する。

(こいつは、斬り刻み、焼き殺す……)

 湧き上がる殺意は、冷静な思考を奪っていた。

 あるのは欲求。自身を追い詰めたこの魔術師を、惨たらしく殺すことだけ。


 男にとって火属性魔法は二番目に得意とする魔法だ。最も秀でているのは水属性。怜の放った〈炎弾えんだん〉も、油断なく警戒していれば容易に防げていただろう。

 才に恵まれていた男は、二つの属性を高いレベルで扱いこなす。しかし、この魔術師を殺すのは火属性でだと決めている。


 自身を凌駕するであろう炎使いを、焼き殺したいと思うのは魔術師としてのプライドか。

 攻撃の射程範囲より更に距離を詰め、剣を上段に構え魔力を限界まで流して、着火する。向こうは、こちらに気付いたようだ。


(もう遅い!)

 放つのは、剣に纏わせた炎全てを費やし繰り出す剣技。男の持てる魔法の中でもトップクラスの破壊力を誇る。


「〈豪炎斬ごうえんざん〉」


 唱えつつ振り下ろす。

 至近距離で放たれた剣技を避ける術はないだろう。

(勝った……)

 斬撃に刻まれ、両断された体は豪炎により塵になるまで燃え尽くされる。術者も熱波に呑まれるが、〈守火衣しゅかい〉で防いでいる。

 脆い砂のようになった骨身を見下ろし、勝利の愉悦に浸るはずだった男の顔は——ローブの下で、困惑の色を覗かせた。


 射出されたと同時に、豪炎が消える。


 困惑とともに相手を見る。その顔は、罠にかかったネズミを見るように、嗤っていた。


 炎を失った斬撃は相手の体を両断する。血飛沫があがることはなかった。ただその体は揺らめき、幻のように消えた。


「幻術っっ!」

 男は失敗を悟る。嵌められた。実態のない幻影を投射し、自分が近づくのを待っていた。

 これほど分かりやすい罠に誘われた自分の失態を恥じる。

(炎はどこに?)

 次に浮かんだ疑問は、答えを探し出すより前に足を動かそうとさせた。

 今日何度も目にした自分の炎が掻き消される瞬間。今は自分の命の灯火が消えかけている。理解するのに、時間はかからなかった。


「まずい。早くここから……ッ!」

「——まぁ待てよ」

 言い切ることはできなかった。肩を掴まれ身が固まる。後ろからかけられた声が誰のものかは分かっていた。


 視線を動かし背後を見る。蒼玉を思わせる青い右目と、血が燃えるような赤い左の瞳が目にはいる。その左手には、魔法陣が青く発光していた。


(こいつ……土煙の中で幻術を囮に……)

「動き回られると狙いが定まらねぇ。器用じゃないからな。スピードはお前に分がある。……でも、捕まえた」

 誘い出された。事実がしっかり語られる。

 うまく罠にかかった自分へか、策が講じたことにたいする悦びか、怜が口の端を吊り上げる。


 再び怒りが燃えたぎるのを感じるが、今自分は、火中に飛び込んだ夏の虫だ。

 怜の魔法陣が反転するのが目の端に映る。

「俺を殺りたきゃ、水だったな」

 炎使いとしては敵わない。言外にそう言われ、感情が更に逆撫でられる。


「お返しするぞ。お前の炎」

 怜の魔法陣から、小さく炎があがる。

(まずいッッ!!)

 思うが、逃げられそうもない。握り拳ほどだった炎は更に大きく勢いを増していく。

 一流の炎使いである男は、その魔法を知っていた。次に訪れる、自分を襲う状況も。咄嗟に、魔力を練り込んだ。


「〈放炎陣ほうえんじん〉」

 瞬間——炎が弾ける。


 〈吸炎陣きゅうえんじん〉と対をなす魔法、〈放炎陣ほうえんじん〉。

 〈吸炎陣きゅうえんじん〉は、文字通り炎を吸い尽くす魔法だ。

 火属性魔法にのみ効力を発揮し、魔法の威力、範囲、術者の技量によっては吸い尽くせない魔法もあるなど、制約は多い。


 それと対をなす〈放炎陣ほうえんじん〉。

 〈吸炎陣きゅうえんじん〉にて封じ込めた炎を、自分の魔力で上書きし打ち出す。

 〈吸炎陣きゅうえんじん〉あっての魔法のため、そもそもの技量で相手を上回らないことには意味をなさない。

 攻防一体の二対の魔法であるが、限定された状況でない限り、真価は発揮しない。


 しかし、この状況下においては無類の強さを誇る魔法。炎使いとして自身を上回る、怜を相手どった男にとっては、凶悪な魔法だった。


 弾けた炎が男を襲う。

 至近距離で聞こえてくるのは、自身が操った炎が発する、爆発音だった——

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