初戦闘1



(は?……えっ?……えぇ……俺、なにやってんの……)


 間一髪といったところで少女を助けたさとしの心中は混乱していた。

 少女とローブの者の現実味のないやりとりを終始冷静に観察していた怜だったが、気づけば足が動いていた。

 頭で考え行動したわけではない。「これは現実だ」と怜に告げる直感が、その背中を押していた。


 少女の方に飛びついたのは、ローブの者の放つ異様な気配に気圧されたからなのかは分からない。

 ただ一つ分かること。それは——ローブの者の不興をかってしまったであろうという事だけ。


 標的を失ったローブの者はしばらく切り掛かったままの体勢でいたが、ゆっくりとした動作で、こちらに向き直ってきた。

 ひいぃ、と怯えるような声をあげ、少女は抜けた足腰を引き摺るようにして森の中へと逃げ込む。


 怜は混乱する中、多量の汗をかきながらも考える。どのようにしてこの場を乗り切るか。

「えーっと。そうだな。……いや、話し合いとかで解決したらどうかなーって」

 目の前の相手と戦うというのは、現代日本において荒事とは無縁な生活を送ってきた怜には荷が重すぎる。

 媚びるような笑顔を作り、刺激しないようにと声をかけてみたが、相手からの返事はない。


「ほら、無抵抗の女性をぐさぐさいくってもの外聞悪いじゃないですか?まぁどっから広がるのかって話だけど。……なにがあったかは知らないけど、ここは場所でも移してゆっくりと話し合いを!」

 言いつつ、場所を移すという名目で森の外まで連れて行ってくれるのではないか、と場違いに甘い考えがふと浮かぶ。

 荒事を避け、なおかつ自身を森の外まで連れて行ってもらう良い説得手段はないか、と考えを巡らせよう目の前から視線を逸らした一瞬——


 僅かな隙を見逃さないように、ローブの者は距離を詰め、怜の目の前に迫っていた。


(あっ……死んだ……)

 唐突の事に声もでない。

 しかしその右手に握られた剣は、怜の首元を狙い大きく弧を描き——


 ヒュッ、と再び空を斬る音がした。

 怜の目の前には剣を振り抜いたローブの者の姿。


「くびっ!くびっ!くびいぃぃぃぃ」

 ハッと我に帰り、さとしは自身の首を触る。切り落とされるはずだった首は、確かにつながっていた。


(俺、今避けたよな?)

 自分自身に問いかける。剣が怜の首を刎ねる寸前、後ろへ跳躍しすんでのところでかわしていた。


(今の俺が動いたの?あんなぎりぎりで?俺……すげぇ。火事場の馬鹿力ってやつか?)

 どこか呑気で冷静な思考の怜がいた。


「貴様……」

 目の前から声が聞こえる。声音から男だと分かった。ローブで顔は見えないが、その感情はよく分かる。より明確な敵意が、自身に向けられていると。


「え、いやなんか勝手に……ッッ!」

 怜が言い終わるより前、男は再び距離を詰め今度は下段から切り上げてくる。

 追撃を怜は最小限後ろに下がり、すれすれのとこで剣先を避ける。

 斬撃を怜の視覚では追えない。しかし、体はしっかりと見えているように、意図しない動きで反応していた。


 男は再び空ぶった剣を上段から振り下ろす。

 その斬撃を怜は今度は距離を取る事はせず間合いを詰め、左手で相手の手首を掴み受け止める。

 驚きという感情が相手に芽生える。そしてそれは一瞬の隙を作り出し、無防備な腹部へ怜は右足で蹴りを放った。


 それほど力強く蹴りをいれたつもりはなかった。しかし、男は大きく後ろに吹き飛び、地面を転がりながら受け身をとって体勢を立て直す。


(えぇ……なにこれ……。いやなんで?俺ってそんな隠れた才能でもあったのか?)


 男はローブの汚れを払い、剣を両手に持ち変え構えをとる。間合いを測るようにこちらを窺ってくるのは、どうやら先程よりも本気のようだ。

「あの……いややっぱりなんとか話し合いで……」

 この後に及んで無駄であろうと思うも、男に話しかける。

 それが癇に障ったのか、チッと短い舌打ちが聞こえ、男の握る剣の刀身の周囲が不意に揺らめく。


(ふぇっ?……え、なに、空間とか歪んでるの?)

 事実として空間が歪んだわけではない。ただそう見えているだけであると直後に分かる。


 ボッと着火するような音を立て、刀身は炎に包まれる。それが偽りの炎ではないと、熱に揺らめく景色が教えていた。

(なにあれ兵器の類……?あんなんまるで魔法みたっ……)


 ——『魔法』。

 現代において、創作上のものであると伝えられる摩訶不思議な力。

 重力を感じていないかのように空を飛び、文明の利器に頼る事なく火をおこし、手足を操るように水を制する。無から有を創り出すこともあれば、有を瞬く間により強大なものに変えることもできる。

 その力は、伝承や物語ごとに様々だ。しかしその全ては人智を超えた力。現代の科学においてさえも証明のできない、存在しないはずの力——

 しかし、怜は『魔法』という言葉がしっくりと、自分の中に馴染んでいた。


 さとしが気を取られていた一瞬、男は再び距離を詰めて切り掛かってきていた。

 我に返ると同時に上からの斬撃を左にかわす。

「あっっつっ」

 かわしたはずの怜を熱気が襲う。慌てて距離をとり熱気にさらされた右頬に手を当てる。どうやら本当に、幻ではないようだ。


(どうなってんのこれ……?俺の火事場の馬鹿力が終わったら一瞬でお陀仏だぞ……とりあえずすんでで躱してカウンターを狙うのはダメだ。熱気に焼かれる。手数もわからねぇ。とりあえず距離をとりつつ隙を窺い、一瞬のうちにきついのを喰らわせる。まぁそんな隙を見せてくれれば、だがな)


 心の中で弱音を吐きつつも、ふと不思議に思う。

 目の前に死が迫っている状況。それなのに、いたく冷静な自分自身がいた。


 怜はこれまで荒事に身を投じた事はない。あるにしてもこれほど特殊な戦いを繰り広げた者など現代においていないだろう。

 しかし、相手の攻撃の特徴を観察し見せていない手数を警戒しつつも勝利への道筋を模索する。何度もそのような場数を踏んできたかのように。

 なにより、『魔法』を平然と受け入れている自分が不思議であった。


 男が頭上におおきく剣を振り上げる。

(やばい……なにかくる)

 本能的に察した怜は身構える。大気が震えるような感覚を覚える。男から目を離さぬよう観察を続け、男が剣を振り下ろした。


 咄嗟に怜は右へと跳んでいた。男が剣を振り下ろした瞬間、目に見えない斬撃が地面を抉りながらこちらへと向かってきた。

 地面の亀裂は先程まで怜が立っていた場所を通過し、後ろの森にまで到達した。斬撃を受け止めたであろう草木は綺麗に両断され、チリチリと焼けこげるような音を発する。


(見えない熱の斬撃……〈熱波斬ねっぱざん〉、か)


 怜の脳裏に、聞きなれない単語が思い浮かぶ。しかしその単語の意味を推測する時間はなかった。

 男は再び剣を振り下ろし、斬撃を飛ばす。これも右に避けるが、熱の余波を感じて顔を顰める。


(刀身と同じで周囲にも熱を撒き散らす。もっと大きく避けねぇとそのうち焼かれるな)


 思考する中男が距離を詰め、怜に斬りかかろうとする。後ろに飛び退き縮まった距離を元に戻す。

(あっぶね。肉弾戦に持ち込まれる可能性も考慮しねぇと……ッッ!)

 距離を広げた怜の目前には、三度みたび斬撃が迫っていた。飛び退いた影響で動きづらい足を無理に動かし右へと大きく避ける。勢いの余り倒れそうになるのを必死に堪えるが足がもつれる。

 それが、怜の一瞬の隙になる。男は剣を握っていない左手を前に出す。疑問に思う時間は数秒となかった。男の左手から炎の弾丸が、怜に向かって放たれた。


(動けねぇ。これは……無理だな)

 自身に迫り来る炎の弾丸を、他人事のように感じる。

 このままでは自分は死ぬ。分かっている事であるが、この後に及んでも冷静さを保つ自分がいた。

(いきなりこんな人間兵器の相手させられるなんて、チュートリアルも優しくしろよ)

 冗談めいた不満をこぼし、目を瞑る。


 〈炎弾えんだん〉は火属性魔法において利便性の高い魔法だ。サッカーボールほどの大きさの炎の弾丸を作り出し射出する。着弾後はその場で小規模な爆破をもたらすものから魔法が掻き消えるまで貫通し続けるものまで、術者の技量により魔法の性質は異なる。ただ魔力消費も少なく、習得も容易。古より使い古される歴史ある魔法の一つだ。


 なにを知っているのか怜の頭の中には目前に迫る炎の弾丸が〈炎弾えんだん〉なる魔法であると判断していた。

 着弾までは一秒と満たないであろう。だがその刹那の中で、通常時では収集できないであろう情報を処理する。

 走馬灯とはこんなものかと、冷めた思考で思う。


(さぁ、爆発するか貫通するか)

 自分を襲う末路はひどいものだろう。だがいっそ、魔法の効力を気にするおかしな自分がいる。

 目を閉じたままその瞬間を待つ。男から放たれた魔法が着弾する頃だろう。死の間際に感じるであろう痛みに備え覚悟する。そして、魔法が——来ない。


(ん?どうなって……?)

 来るはずの魔法が来ない。もうとっくに、怜の体を塵に変えていてもいい頃だ。不審に思い、怜はうっすらと青い右目を開けて、目にする。


 炎の弾丸は、怜の左手で止められていた。

「ふぇっ?……え?なんで俺……なにこれ?」

 より正確に言うならば、怜の手のひらに現れた円形の紋章、魔法陣のようなもので受け止めていた。

 男に動揺が走ったのが分かる。逃げ惑うだけの怜に、止められるとは想定していなかったようだ。


 自らの左手に浮かぶ魔法陣と、〈炎弾えんだん〉を受け止めた事実。一瞬呆気に取られるが、すぐに冷静さを取り戻す。

 不思議と、次に言葉にすべきことは分かっていた——


 またしても聞きなれない単語だ。だが、口にすべきと頭の中に響いている。

(訳は分からねぇけど、そうしたらいいんだろ)

 ふっと口角が上がる。笑みの意味は自分でも分からない。ただひどく懐かしい、そんな気分を感じる。


「〈吸炎陣きゅうえんじん〉」


 言葉に出す。それと同時に自分の中で少しだけ、なにかが抜け落ちる感覚がした。

 変化は即座に、明白に表れた。左手で受け止めていた炎弾が徐々に、魔法陣へと吸収されていく。

 初めて見る光景であるはずなのに、それが当然の事であるように怜は感じる。その効力を知っていたかのように。

 やがて、炎を全て吸い尽くすと同時に魔法陣も消滅した。


 この短時間、二度も覚悟したはずの死は訪れなかった。意識をした訳ではない、ただ不思議な力に身を任せ、生き延びた。

「神様の思し召しか?」

 怜はべつに信心深いわけではない。ただなんとなく、そう呟く。

 警戒を強め身構えている男の姿が、怜の視界に入る。

「どうやら俺は……ここでは死なないらしい」

 男に向けてかそれとも自分自身へか、口に出す。


 男を写す怜の瞳。その左目は、蒼玉を思わせる右目とは対照的に——血が燃えるように、真っ赤に染まっていた。

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