三日目 アクション

 標高800m前後の、市街地から少し離れた山の頂上、そこにちょっとした展望台がある。地元の動植物を解説する博物館や、美しい山脈が望めるカフェがある。そのカフェの、日光が照らさない場所で、ある少女が座っていた。古代ギリシアの像を想起させるような佇まいで、紙を一枚、また一枚めくっている。


 他に客は十数人、家族連れが多いように見えた。夏休みのレジャーを、近場で済ませようという両親の工夫、もとい魂胆が見えたような気がして、自分の少年時代を懐かしむ岡田がいた。


 コツ、コツ。森の中とは思えない、硬い床の上を一歩ずつ歩む。その足取りは軽かったが、岡田はあえてゆっくりと足を持ち上げることにした。彼女に辿り着いたその時に、この冒険が終わるような気がしたから。


 コツ、コツという音が止まる。彼女の目の前に岡田はたった。すっと下を見ると、英文の書かれたA4用紙がズラッと並んでいる。海外の論文だろうか、英語が苦手な岡田にはどうにも解読する気は起きなかった。ギィィ、と椅子を引く、座る。先ほど注文し、受け取ったミルクティーのカップを置く。この動作で、ようやくその彼女は英文から目を離した。


「お迎えにあがりました。部長」

「……来たのか」


 その時の坂井の表情を、どう形容すればいいのか、岡田にはわからなかった。強いて言えば、嬉しさと後悔と、葛藤が読み取れたような気がした。


「なんで、岡田くんだけなんだい?」

「あぁ、黒川先輩が足を痛めて藤田と西村が運んでる最中です。それと、樋口と津村は道中でいきなり喧嘩し始めて、めんどくさくなって放っておきました」

「それは、その、ご苦労だった。個性の強い部下を持つと大変だろう?」


 今度は岡田にもはっきりとわかった。憐憫だ。


「あなたが言えたことではないですよ、何でこんなことしたんですか」

「ふふ、何でだろうねー、君は知ってるんじゃない?」

「一介の自然科学探究部副部長に、あなたの心情説明をしろと?文芸部の連中にでもやらせておけばいいでしょうに」

「ぶちょーめーれーだ!」

「そんな横柄なー」


 一芝居して、笑い合う。いつもの坂井赤と何も変わらない。そう確信した岡田は、さて、と話を切り出した。


……


「端的に言えば自殺が目的ですね?」

「まぁ、そうなるね、端的すぎるけど」

「ではもう少し詳しく言いましょうか。あなたがやりたかったのは、精神的な自殺、言い換えれば新たな自分に生まれ変わることでは無いでしょうか」


 なかなかに探偵チックじゃないか、と首をこくりこくりと動かす坂井。


「だが、根拠がなくてはその説は認められない」

「そうですね、最大の根拠は、本当に自殺するつもりならとっくにあなたのご家族から通報されてるはずです」

「私の家族が全員薄情者の可能性は?」

「それも一応考えて黒川さんの伝で、坂井緑さん、あなたの妹さんに連絡しました。大変可愛らしい口調で『おかけになった電話番号は、現在使うなとお姉ちゃんに言われました。文句があるなら坂井赤の居場所に自白剤持って突撃してください』と言われたそうです」

「あいつ……」

「何やかんや心配しているみたいでしたよ。薄情者とは思えませんでした」


 その言葉を聞いて、少し悲しそうな顔を浮かべる坂井を見て、岡田は自分の推理の正しさを確信した。


「これだけで、よろしいですか?」

「根拠はまぁ合格だ。だが、逆に何故君たちは通報しなかったんだ?」

「大人に任せるのって、なんか癪じゃないですか?それと、あなたが通報してほしくなさそうでしたので」

「自殺を示唆する人間への対応としては間違ってるからな、これだから最近の若者は」


 あなたも十分若いじゃないですか、と岡田は笑う。だが、心のどこかで今の生気が抜け落ちたような坂井を見ると、あながち冗談でもなく衰えてるのではと思わされる。偽物の老いだとしても、彼女の精神を確実に蝕んでしまうような。


「では、新たな自分に生まれ変わる、とはどのようなことを指すのか」

「見当はついてるかい?」

「検討どころか、ほぼ確信してます。ズバリあなたは、あなたの内にある科学を捨て去ろうとしました」


 ニヤッと笑う。意図を理解してくれる者の出現を喜んでいるのか、それとも自らを皮肉っているのか。あるいは両方なのかもしれない、と岡田は考えた。


「抽象的だな。まぁいい、続けろ」

「はい、そもそもあなたの精神の核は自然科学への知的好奇心です。ですが、おそらくそのことが、何かの挫折に繋がったのでしょう」


 論理的飛躍がある、とボソッと呟く坂井、そう言いながら置いてあるコーヒーにそっと口をつける。あとを追いかけて、岡田もミルクティーで乾いた喉を流した。


「科学が私の精神の核など、何故わかるんだ」

「見れば分かりますよ。貴方は、科学的現象、生物を愛してます」


 そういわれると何か恥ずかしいな、と坂井は呟く。


「そうだな、認めざるをえない。私の行動の根幹には常に好奇心があった。それは数学にしろ物理にしろ化学にしろ生物にしろ地学にしろ、同じことだ。そして、それではいけないと思った。なぜかわかるかい?」

「うーん、わからないです。まぁ推測はできますが、一旦置いておいて今回の事件であなたがやったことをまとめることにします」


 そう言って、人差し指を天井に向ける岡田。


「明らかなことから確認しましょうか。順番まではわかりませんが、おそらく最初にやったのは数学の作問ですかね?一番時間がかかりそうですし」

「まぁ順番は合ってる。ただ、問題に不備がないかのチェックを含めても、一日もかからなかったよ」


 黒川先輩にしか解けませんでしたよ、と報告すると、だろうな、という返答が帰ってきた。


「その次は協力者への依頼ですかね。先程の妹さんなどの家族への依頼、もとい説得。そして、三年生にヒントを示す物理の問題を仕込むなどの、根回しをした」

「ここが一番不安だった。誰が情報を漏らすかわからないからね」


 思い出を振り返るような素振りを見せる坂井。


「後はタイムカプセルを埋めて、屋上に遺書の用意をするだけですが、常に施錠されている屋上に、ああいった用意をするのは簡単ではありません」

「では、どう考える?」

がいると考えるのが適当でしょう」

「なるほどね」


 まるで他人事のようにあっけらからんと話す坂井を眺めながら、岡田は彼女の目線が変わったことに気がついた。


 タッタッタッと小気味のいい駆け足の音が外から聞こえてきた。カフェのドアにつけられたベルがからんからんと鳴ったところで、岡田は振り返った。


「ちょうどいいですね、協力者を晒すことにしましょう」

「おや、少し見ない間に随分と悪趣味になったね?」

「あなたの背中をずっと見てきましたから」


 言ってくれるじゃないか、と笑う坂井を、新たに到着した五人は不思議そうに眺めるのだった。


……


「おい、協力者って何のことだ岡田」

「……あの、藤田先輩、盗聴してたこと自白してます」

「あっ」


 口を慌てて塞ぐ藤田が、あんまりにも古典的で面白かったようで、坂井と津村は大きく笑った。


「ふふ、まぁいいさ、どうせそんな所だと思った。ところで」


 笑みが消えて双璧が向かい合う。そうして、坂井が投げかけた言葉は、あまりにも意外な内容だった。


「これが終わったら病院に行け。右足、たぶん折れてる」

「えっ嘘」

「別に無痛な訳でも無いだろうになんで自分のことにそんなに無頓着なんだこの数学バカ」

「黙れmad!そもそもセキを探すためについた傷なんだから慰謝料払えよ!」

「勝手にメグが探したんだろ!」


 カフェで騒がないでください、と注意する樋口。趣味はブラックコーヒーだ。


「まぁまぁ、落ち着いてください、二人とも。所で、協力者の検討がついている人は?」


 二人が手をあげる。黒川と津村だ。それを、意外そうに眺める男子たち。それを見て、首をかしげる岡田。


「……こういうのって本人が手を挙げるものですかね?」

「……待ってください、この二人のどちらかがその協力者ということですか?」

「そういうこと。ね、津村さん」

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