二日目 ドゥー

「ここが黒川先輩のお宅か……」


 八月七日、早朝。黒川家のマンションの駐車場で、西村は到着後すでに一時間が経過しようとしていた。


「無理、入れない、帰りたい……」


 もう意を決して逃げようかという考えがよぎったときに、スマホの振動がポケットに伝わった。


「は、はい、何でしょうか、副部長」

「言い忘れてたんだけどさぁ」

「はい?」

「黒川先輩、アニオタなんだよねー」

「えっ」

「そう言えば君、同志が欲しいって言ってなかったっけ?」

「うぐ」

「そういえば、君の推しの名前どこかで聞いた気がするんだけど、黒川先輩がフィギュア自慢してたからかなぁ」

「うぐぐぐ」

「ふふ、そろそろ逃亡を図ろうとしてるのかなぁって思ったから、ちょっと意地悪しちゃった。でも元気は出たでしょ?」

「……はい」

「がんばれ、応援してる。それじゃあね」


 ツーツーツー、三回だ。少々特殊な発破を受けて、不思議と西村の表情は多少は明るくなった。同時に、不可思議な全能感で満たされていくような気分になる。今度は前向きに意を決して、階段を上り、やっぱり下がり、もう一度上り、とうとう部屋の前まで立った。


「よし、大丈夫大丈夫ダイジョブ……」


 ピンポーン、そんな音が鳴った途端に、自分の体内の音が全て止まったかのような気分に西村は陥った。ガチャリと、音が鳴る、瞬間音が一斉に息を吹き替えし、西村の脳はショートした。


「ひゃあーーーーー!」

「どちら様、ってどうされましたか!?」


……


「元気にやってるかなぁ、あの子」

「聞くまでもないことを聞くな」


 元気にやってるわけはないだろうと思う。同時になんとかなると信じてもいる。そんな藤田と岡田は、学校周辺の探索をしていた。


「なぁ岡田」

「なんだい?」

「これ意味あるのか?」

「わからん」

「わからんのかい」

「でもにだって一応の根拠はあるんだよ」


 得意げな顔をしながらくるりと一回転する岡田。後輩の前だと見せない、ちょっと飄々とした一面だ。この時は、一人称も俺を使う。後輩相手には威圧感を与えないような口調にするためだ。


「ひとーつ、あの方は俺たちが現地調査大好きなことを熟知しているはずだから」

「そんな配慮する人か?」

「ふたーつ、この辺に密室トリックが落っこちてるかもしれないから。」

「なんでここ、あと密室って」


 やれやれ、と言いながら肩をすくめる岡田。ちょっとイラッときたので、藤田は先にいうことにした。


「あー、屋上の謎のことを言いたいのはよくわかる、ただそのトリックがこんな草むらにあるとは到底思えないんだが」

「みーっつ」

「無視すんな」

「坂井先輩はここの草むらにタイムカプセルを埋めたらしいんだ、手がかりがあるかも」

「先に言えバカ」


 ふへへへへ、と笑いながらおもむろにスコップを取り出し掘り出す。その腕の振りには何か革命的なものが感じられた。


「いやぁ、埋められてから一年で掘り起こされるタイムカプセルも不憫だねぇ」

「絶賛掘り起こし中のお前が言うな」

「思えばタイムカプセルってその時の記憶、感情、魂を埋めた棺桶みたいなものに思えないかい?」

「よぉ墓泥棒。失望したぜ」

「俺にとってはツタンカーメンなんかよりもよっぽど価値のあるものさ、なんてったって部長の思考に多少でも迫れるかもしれないんだから」


 はー、とため息を吐く藤田。今回は琵琶湖程度の深さだ。部長の埋めたタイムカプセルに大した手がかりがあるとは思えず、それは岡田も同様だった。それでも藤田は、なんやかんやこの友人と話す時間を手放したくなかったのだ。


 ところがこの墓暴き、思わぬ形で成果をあげる。


……


「おお、気がついたか君!」

「ここは……」

「私、黒川恵くろかわめぐみの自宅だよ。全く、私を見るなりいきなりぶっ倒れて、ちょっと悲しかったな」

「えっと、西村博士です。ごめん、なさい、迷惑でしたよね」

「いいっていいって、私も人見知りだから経験あるし、困ったときはお互い様でしょ」


 時刻、午前10時23分、西村起床。


 西村の目に写ったのは、肩まで伸びた長髪に、丸メガネをかけた中性的な人、そして、その隣に呆れ顔でお盆を抱えた中学生位の男子。


「あなた、服装的に姉さんへの来客ですよね?」

「あっ、はい、そうです」

「色々と気を付けてくださいね、それと姉さん、粗相の無いように」

「なにママみたいなこといっちゃってんの雪斗、飯はよろしくねー」

「姉さんがもっとキチッとすればんな必要ねーんだよ」


 そう言いながら、少年、黒川雪斗くろかわゆきとは奥へと消えていった。西村には、しっかりものの弟とだらしない姉の構図に見え、事前情報の通りだと思った。


「えっと、とりあえず部屋で話そっか」


 立ち上がって来客を自室へ案内する黒川恵。ギィイー、と重厚感のある音が鳴る。瞬間、黒い目が輝きで満たされた西村に気がつかずに、黒川恵は気まずそうに言った。


「えっと、その、オタクグッズばっかりだから嫌かもしれないけど、ダイジョブ?」

「……コレ、もう絶版のやつ、ですよね?」

「え?何で知ってるの、もしかして……」


 オタクと言うのは、同士を見つけたときにとてつもない幸福を感じる生き物である。その幸福感は最早麻薬、一度始まると終わらない。


 結局、この二人のオタク談義が終わったのは約一時間後、黒川雪斗が昼食の用意を終えてからであった。


……


 昼の校舎、昼食中の三年生に囲まれている樋口と津村。彼らは夏休みでも学校で受験勉強に勤しむ受験生。昼食時以外で聞き取りに応じてくれるとは思わず、こうして昼食時を利用している。先日はあまり成果を得られなかったが、今日は少々状況が変わった。


「朝陽ちゃーん、物理教えてくれるー?」

「はーい、聞いているとは思いますけど、坂井先輩のお話、いっぱい聞かせてくださいね☆あと、物理はあのメガネに聞いてくださーい」

「人をメガネ呼ばわりするな数狂、ちなみに、なんの分野ですか?」

「あー、電磁気だよ、にしても君たち仲良くてカワイイねー。」

『仲良くないです!』


 そう言いつつも、冷静にアドバイスをする一年生ペア。対価は、部長の話を、時間の許す限り、具体的には10分程度すること。


「はえー、年下から教わるのも悪くないねー、てかむっちゃわかりやすーい」

「恐縮です、ところで坂井先輩に関してですが」

「分かってるよー。あの子とはいろんな話をするけど最近だと……」


 適度に相槌を挟みながら、情報を記憶する樋口。裏では、別の女子生徒が津村に数学を教わっていた。


「……って感じかなー、別に力になれるかはわかんないけど。ちなみにこれ何のためにやってるの?」

「黙秘します」

「んな取り調べじゃあるまいし、まぁウチの坂井が迷惑かけてるんだろうなーってことはわかるよ。お疲れ様、物理ありがとねー」


 そう言って去ってく先輩を見送りながら、樋口はボソッとつぶやいた。


「ホントに、いい迷惑ですよ」


……


 午後五時半、聞き込み情報の整理を、樋口と津村はしていた。いや、そのうち一人は理科室の長机の上に、仰向けで寝転がっていた。


「ねーねー」

「口より手を動かせ、タイピング学年一位をあれだけ自慢してたのは何だったんだ」

「やる気出ないもーん、アサヒの質問に答えてくれないから」

「先に言え、なんだ?聞くには聞いてやる」


 樋口は一切振り返らずに対応する。対して、津村はだるそうに横を向いて、猫のような目をぼんやり広げた。


「なんで、対価が直接の情報じゃなくて会話することなのよ」

「何だそんなことか。少しやり方が違うだけで大したことはないだろ」

「ぬぁーにが『少し』だ。先輩おだてながら10分こなすことと、ただ情報を受け取るのでは全然違うじゃん。効率重視効率重視!」


 やれやれ、とため息をつく樋口。やっぱりこの男はイライラする、と津村は思った。


「情報を教えろと言われると、正確かもしれないが無機質で、薄くて、断片的なものにしかならない。自然な会話の流れで引き出す方が、あちらの気分もいいだろうさ。」

「ふーん、アサヒには縁のない話だなぁ。てか、お前も大概無愛想なんだから、気分とか気にするのはちょっと意外」


 そういった2秒後に、重い頭を持ち上げて机から降りて椅子に座る津村。PCを立ち上げたところで、ガラガラという音がした。


「おー先輩方、お疲れ様でーす」

「今日は中々いい話が聞けましたよ」

「なら良かった」


 そう言って、作業中の二人に回り込むように立つ岡田と藤田。なぜかびしょ濡れだが、聞くのは後回しにした。


「そちらはどうでしたか?ぱっと見元気そうですけど、何か発見が?」

「お、当たりだよ樋口くん。見てみてこれこれ」

「作業の邪魔をするな岡田。会議で報告するから少し待ってくれ。ところで……」

「西村は帰ってこれないそうでーす」

「……黒川先輩のオタトークに巻き込まれたか。ご愁傷様」

「そうだね。でも裏を返せば成功したとも言える、ナイスだ西村くん」


 タイピングの音と、雨音に、少年少女の声が混ざる。多少欠けても、このオーケストラは成立するようだった。


……


「いやぁ、君、なかなか話がわかる子じゃあないか!」

「いえいえ、先輩の推しへの愛も流石ですよぉ!」

「……姉さんが、二人になった、めんどくせえ」


 やれやれ、これだから姉に理解のない弟は、と言う恵に、まず姉さんが理解を示せ、と文句を言う雪斗。


「まぁでも助かるかもしれないです。しばらく姉さんの相手を宜しくお願いします」

「いえいえそんな、こっちも楽しく話してるだけなんで……はっ!」


 すっかり忘れていた、と西村は思った。今回、彼の役目は坂井赤の情報を引き出すことである。決して今期のアニメを語り合うことではない。


「あっあの、すみません」

「どうかしたかい、いかにも今回の来訪の目的を思い出した、みたいな顔しちゃって」


 神妙な面持ちで、西村は一枚の紙を机の上に出した。


「こちらの問題の、協力をしてほしくて」


 屋上に置かれていたというその紙は、間違いなく坂井赤の手書きの文章であった。黒川恵の笑みは、ここで崩れた。

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