第7話 江戸攻め 修正版

※この小説は「政宗VS家康」の修正版です。実は、パソコンのトラブルで編集中に保存できなくなり、新しいページで再開した次第です。文言や表現を一部修正しております。もう一度読み直していただければと思います。


 空想時代小説


 9月13日。結城秀康と直江兼続が八王子城に到着した。

「政宗殿、秀忠の首は?」

 秀康が語気を荒げて館に入ってきた。政宗の側近が、首の入った丸おけをさしだした。ふたを開けて首を見せると、秀康は満足そうな笑みを見せた。

 直江は、政宗に近寄って小声で

「政宗殿、なぜ斬られた? 捕縛の手はずでは?」

「直江殿、わしは捕縛を命じておったが、捕縛寸前に自害され、いた仕方なき次第」

 直江は苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。秀忠が死んでしまったのでは、家康が本気で秀康つぶしにかかってくると思ったからである。家康は信長の意向で長男信康を自害に追い込んだことがあった。ここで秀忠まで亡くしてしまったのでは、怒り心頭であろう。そんな心配をよそに、秀康は

「これで、父上もわしの力を見直すであろう。これで家督はわしのものじゃ」

 と、のんきなことを言っている。そして、

「さぁ、最後の仕上げじゃ。江戸へ向かうぞ。城代の平岩親吉はわしがいけば城を開け渡すであろう」

 翌日には、全軍が江戸へ向かった。わずか1日の距離である。江戸城は佐竹勢が包囲していた。


 9月15日。佐竹義宣が3人を出迎えた。

「秀康公、直江殿、ようこそ江戸へ。沼田での戦い、お見事でござった」

 政宗のことは無視である。秀康公はその言葉にうなずいたが、完全に上から目線で佐竹を見ている。

「義宣殿、江戸城の包囲お疲れでござる。城代の平岩はしぶといですな」

 直江がねぎらいの言葉をかけた。

「さすが家康の側近。簡単には出てはまいりませぬ。しかし、兵糧は減っており、もう少したてば音をあげるでござろう」

 楽観的な義宣の言葉に政宗が口をはさんだ。

「そうでござろうか? 江戸城には水も食料も豊富。兵の数が少なければ長期の籠城にも耐えられよう」

「遅く参って何を申す政宗殿。お主が落ち武者狩りなどせずに、江戸に来ておれば、城攻めは終わっておった」

「何をおかしなことをおっしゃる。八王子城も滝山城も江戸のつけ城でござる。後ろから攻め込まれないように切り取るのは常套。責められる所以はござらん」

 義宣は怒りをあらわにして、政宗につかみかからんばかりだった。そこに直江が仲裁に入った。

「まぁまぁ、お二人とも仲たがいなさるな・・要は江戸城を落とせばよいこと。早い遅いの問題ではござらん。秀康公が一言申せば、平岩も城を開け渡すでござろう。のう秀康公」

 秀康は、しごく当然の顔をして

「わしが一筆したためれば、平岩は城を開け渡そう。明日には文をしたためる。今宵は前祝いじゃ」

 と、のんきに酒宴が始まった。義宣と政宗は、いがみ合いながらも酒宴に参加していた。

 この日、西の関ヶ原では天下分け目の決戦が行われていた。結果は東軍の大勝利。数の上では西軍がまさっていたので、秀康らは西軍が負けるとは思っていなかった。ただ、政宗だけは西軍が一枚岩でないことを感じ取っていた。ましてや総大将は毛利輝元だが、実際には石田三成であ。人徳に欠ける三成に他の武将がついていくか、はなはだ疑問だったからだ・

 9月16日。秀康公の文をもって、使者が城代の平岩に会いにいった。そこで城を開け渡すが、いろいろな支度があるので、3日待ってほしいという返書を持ち帰ってきた。

 無理もないことと、秀康公らは3日3晩酒宴にあけくれた。政宗は江戸城開け渡しが決まったということで、その日のうちに秀康公に許しを得て国元へもどることにした。これからは奥州と羽州の国の切り取りを始めなければならないからだ。

 9月19日。宇都宮まで来た政宗に早馬がやってきた。

「西軍、関ヶ原で大敗。家康、江戸に進軍中」

 別の早馬が

「秀康公、家康公より蟄居を命じられる。直江勢と佐竹勢は国元に戻り始めておりまする」

 との報告。政宗は小十郎と成実を呼び、

「わしが思ったとおり、三成ではまとめきれんかったな。さて、これから我らはどうする?」

「決まりきったこと。国元で家康を迎え討つのみ」

 と成実が言い切った。それに対し、小十郎が口を開く。

「家康は攻め込んでまいろうか。文での叱責はあろうが、我らは徳川と戦ってござらん。和平に持ちこめるのでは・・」

「小十郎、何をおかしなことを申しておる。滝山城で秀忠を攻めたではないか?」 

 成実は、ぼけ老人を見るような目で小十郎を見た。そこに政宗が助け船をだした。

「成実、すまん。実は滝山城では秀忠公を攻めたのではなく、秀忠公をお助けしたのじゃ」

「助けた? 翌日には秀康公の前に首を差し出したではないか!」

「あれは秀忠公の影武者でござる」

 小十郎の冷たい言葉に、成実は口をあんぐりあけている。

「今から秀忠公のところにまいるが、成実もくるか・・?」

 成実は、何も言えず政宗と小十郎についていった。奥の別間に秀忠公と側近二人が待ち受けていた。

「政宗、何用じゃ?」

 秀忠は捕らわれの身とは思っていないようだ。

「はっ、ただいま早馬で知らせが入り、関ヶ原で徳川勢が大勝利。家康公は今、江戸に進軍中でござる」

「そうか、勝ったか。さすが父上。これで秀康も終わりじゃな」

「秀康公は蟄居を命じられたとのことでござる」

「そうであろう。もう表には出てこられまい。ところで、後ろにおる強そうな武者はだれじゃ?」

 秀忠は、政宗の後ろに控えている成実が目に入ったようだ。小十郎のことは滝山城で見知っている。政宗がニヤッとして

「私の親戚筋で、成実と申す。滝山城では正面の先鋒でござりました」

「おおー! あの荒武者か! 一時は本気かと危ぶんだぞ」

「おそれいります」

 成実は、かしこまるしかなかった。自分より10才も若い20才そこそこの人間に頭を下げるのは癪だったが、家康公の後継ぎでは仕方ない。しかし、成実には小太りの秀忠は魅力ある大将には見えなかった。武将というよりは、どこか公家の雰囲気をただよわせていた。そこに政宗が余計なことを言った。

「成実には策を伝えてございませぬ」

 それを聞いた秀忠が

「それであの気迫だったのか! 無理もない。さすが猛将じゃ。今後も徳川のため、その力を発揮いたせ」

 その言葉に成実は何も返せず、かわって政宗が答えた。

「もちろんでござる。そのためにも我らはもっと力をつけなければなりませぬ。なにとぞ奥州と羽州の切り取りをお認め願いたく・・」

「うむ、わかっておる。後で約状をしたためよう」

「はっ、ありがたき幸せ」

 と、3人は頭を下げた。その約状がほしいがための秀忠公救出劇だったのだ。その後、酒席となったが成実はそそくさと退室した。下手な世辞を言うのが苦手だったし、政宗が心にもないことを言っているのが気に入らなかったからだ。自分はおべっかを使う人間にはなれないと、つくづく感じていた。

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