第3話

 ボクが声を掛けても、ジイさんは何も言わなかった。それどころか、ボクが声を掛けているのに、表情一つ変えないのだ。黙って無表情のまま、ボクを見つめているだけなのだ。


 ボクはもう一度同じことを言ってみた。


 でも、状況は変わらなかった。ジイさんは黙って無表情に、ボクを見つめたままだ。


 ボクは困ってしまった。入院患者の中には、認知症の方もいらっしゃる。このジイさんは、そういう患者かもしれなかった。ナースコールはできないし、どうしたらいいんだろう?


 ボクが途方に暮れていると・・


 ジイさんがようやく動き出した。ゆっくりとボクのベッドに近づいてきた。


 何をするんだろう?・・


 ボクは息を詰めて、ジイさんを見つめた。


 すると・・ジイさんは、ボクのベッドの脇をすり抜けて・・病室の窓際まで歩いていったのだ。


 ボクは夜でも、病室の窓のカーテンは開けたままにしている。病室から出ることができないので、カーテンを閉めるのがイヤだったのだ。それにさっき言ったように、点滴のチューブでがんじがらめになっているので、重たい点滴のラックを持って窓際まで行って、いちいちカーテンを開け閉めするのが大変だったのだ。


 ジイさんは、カーテンが開いている窓際に立った。病院はビル街の中にある。夜中の2時でも、窓の外には、ネオンサインやビルの明りがいくつも灯っているのだ。


 すると、ジイさんは、両手を後ろに組んで、夜景を眺め始めた。ボクは認知症のことは何も知らないが・・それは、通常の人の仕草に見えた。ボクには、とても認知症の人の仕草とは思えなかったのだ。


 ジイさんはしばらく、そうやって、窓の外を眺めていた。


 すると、ジイさんが急に振り返った。そして、おもむろに腰をかがめると・・今度は、ボクのベッドの下を覗き込んだのだ。少し首を動かしている。何かを探しているように見えた。


 一瞬、ボクは・・ボクがベッドの下に落とした、ナースコールのスイッチを探してくれているのかと思った。


 でも、そんなバカなことがあるはずはない。


 でも、ジイさんは、明らかに何かを探している様子だ。


 ボクは考えた・・


 これは、つまり・・


 昼間、ボクがベッドから立って、病室内にあるトイレに入ったときに・・このジイさんが間違えて、ボクの病室に入ってきたのではないだろうか? そして、そのとき、ジイさんはうっかり何か大切なものをベッドの下に落としてしまったのだ。


 で、ジイさんは病室を間違えたことに気付いて、ボクの病室を出て行った。その後で、ボクがトイレから出たので、ボクはジイさんと顔を合わすことがなかったのだ。


 そして、夜中になって、ジイさんが落とし物に気付いた。それで、ボクの病室に探しに来たというわけだ。


 こう考えると・・話のつじつまが合う。起こる確率はかなり低いが、あり得ない話ではない。


 それで、ボクはジイさんに再び声を掛けた。


 「何を探していらっしゃるんですか?」


   (つづく)

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