文学における情景描写という不毛について
ジャンルというものがある。
その領域を越え出るということは、あるジャンルがあるジャンルに対して戦争を挑むということだ。
しかし、大抵の場合、挑まれる方が挑む方を完膚なきまでに叩きのめす。
もし、言語芸術が読者の想像力などというものをあてにして、情景描写の妙などを誇示しようとするならば、そんなものは絵画や演劇、映画などに対していかなる権利をもってそんなことをするのだろうか。
言語芸術において情景描写というものがあるのだとすれば、それは読者の想像力に対して、映像として現れるようなものでは絶対にない。
それは、言語を受容することによるある種の触覚的感覚の惹起以外にはありえない。
とはいえ、『ラオコオン』以降にも、単純な頭脳で持ってそのようなことを主張する人間がいることには驚きである。
文学にもできることではなく、文学にしかできないことを文学は表現するべきである。
読みながら頭の中で映像を作り出す読者など、言語芸術をただ簡易的な映画の代替物だとしか考えていないのだから。
読みやすい文章、頭を空っぽにしても読める文章のほうがよほどましである。
なぜならそれは、少なくとも文学にしかできないことなのだから。
哲学的断想、あとは恋愛についてとか @mignon08280
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