自由について、我が内なる男性的なものと女性的なものとの対話
「わたしは自由でいたいの」
「たとえば神——それは、俗物どもが、我らが日本の神様は多神教であるというような意味のではなくて——そんな、絶対者である神が存在したとしたら、彼は自由であるのだろうか」
「神様が……」
「ぼくは『神様』なんて言ってほしくはないね。それは弱さだよ」
「あら、そう。それなら、あなたのいう『神』だけれど、それがもし自由でないとしたら、それは誰かに、あるいは何かに依存していることになるわ。そうだとしたら、それはもはや神とは呼べないんじゃない。自由でない神なんて、四角い丸と同じ、矛盾だわ」
「そうだ、全く君のいうとおりだよ。そして、神は何にも依存せず、全きの完全な存在なんだろう」
「あなたの熱烈な信仰に水を刺したくはないけど、もしも神が存在するのだとしたらね」
「ねえ、僕のこの感情を『信仰』だなんて言わないでくれよ。いや、それは確かに信仰かもしれないし、ある種の宗教かもしれない。けれど、それは信仰でも宗教でもないんだ。いうなればポエジーなんだよ。でも、いまはそんなことではなくてね。大事なのは、もし存在するならば、神は自由で完全な存在なんだと君も同意するということだ」
「ええ。それには同意するわ」
「そしてきっと『そいつ』は正しい選択をするだろう。いや、正しい選択しかしないだろう」
「そんなやつは一体、自由だと言えるのだろうか。つまり、僕が言いたいのはこういうことだ。完全な存在者というものを想像する。そうすると、そいつは正しい選択をすることしかできない。それは決して自由とは合わない考えだ。そうだとすれば、自由は完全な存在者の能力ではないということになる。すなわち、自由とは素晴らしいものでもなんでもないんだ」
「スコラ哲学的だなんて言葉を侮蔑的な意味で使うのが昔の流行りだったようだけど、あなたの議論は全くスコラ哲学的だと思うわ」
「そうかもしれない」
「そうだわ。それに考えてもみてほしいのだけれど、あなたは神が自らの自由な意志で正しいことを選択するという可能性を無視しているわ。もし、完全な存在者が自らの選択を自らの意思に反してなすのだとしたら、それは正しさに強制されていると言えるかもしれないわ。だけれど、あなたのいうところの神は全ての完全性を備えているのよね。それなら、完全な善なる意志を持っているはずよ。それは、自らの傾向性として、つまり正しさ、善への好みをもっているからこそその選択をするのだわ」
「それこそ美しい魂ってやつだね。だけれど、そうだとしたら、神はなぜ善を好むのだろうか。善は愛される者が愛する者を動かすように、そのように神をも動かすのだろうか。すると、プラトンの善のイデアもあながち間違っていないということになるだろうね」
「あなたはわざと曲解しているように感じるわ」
「わかっているよ。君の意見の最後の跳躍を僕に任せてもらうとしたら、君は最も完全な存在者が何かに惹かれるのではなくて、ただそれのうちにある純粋な能動性であるところの傾向性こそが善や正しさと呼ばれるものになるのだということなんだろうね」
「そういうことよ。そしてそう考えれば、最も完全な存在者が善なる選択しかしないことと自由であることはなんら矛盾がないことになるのではないかしら」
「君の知性にはおそれいるよ」
「あなたの負けよわたしのソクラテス」
「でも、ねえ君、この僕たちの神は『悪』をなすことができるのだろうか。それは何か悪さをする可能性があるのだろうか」
「ないでしょうね」
「つまり、自由とは、少なくとも何か自分勝手にことを選択する能力を意味するというわけではないんだね。もしも仮に自由が完全性の——この言い方が気に食わないのであれば、なにか僕たちの持つポジティブな状態の——一つなのだとしたら」
「そうね」
「そうだとしたら、容易に『悪』をなす僕たちは一体どういう状態にあるのだろうか」
「もし、神を自由だと考えるのであれば、わたしたち人間は不自由だということになるでしょうね。そして、自由とは何か『善なるもの』とは無関係にはありはしないってね」
「そうだとしたら、それでも君は自由でありたいなんて思うのかい……?」
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