詩における宣戦布告

ポエムという概念がある種の蔑称として用いられているのは、現代において文芸に触れるものなら誰しも知っているはずだ。

そして、その原因は間違いなく世にはばかる詩人たちによる。

決して高められることのない、しょうもない主観性が、現実にイジメ抜かれて卑屈になった姿か、恋も愛も友情も知らない単なる肉塊どうしの恋愛ごっこか、死の恐怖に敗北し、ただ生きるという楽な道を選んだことを褒め称える低俗な詩の氾濫のせいだ。

あるいは、言葉の美しさ、ひらがなの魅力、日本語の素晴らしさなどという抽象的な概念に逃げ込んで、あたかもそれらが価値を持つものであるかのようにありがたがり、その実、自分たちは言葉の美しさなるものに対して、肉欲から異性を愛するほどにも好むことは出来ないでいるのだ。


もし口を塞がれたなら、その時は手で書くのだ。


もし手首を落とされたなら、その時は眼差しで歌うのだ。


もし両の眼をくりぬかれたなら、その時は血で戦うのだ。


もし自らがこの世界から消え去ったなら、その時は世界を響かせてみせろ、それこそが真の詩人だ。

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