第10話 神のようで、ただの鳥
「よく、わかんねぇけど」
言っていいものか、悪いものか、悩んでいる。
下がった目線は再びジブンの目と合う。そこには涙が今にも零れ落ちそうだった。
「また、ツグの嬢ちゃんと俺は会えると思うか……?」
「ん? 何でそんなことを言い出したんだよ」
「俺……違ぇ。何か、前後の記憶が無いんだ……。頭おかしくなったのか? はは……。でも、でも、何か大事なことが消えたってことはわかってる。俺はただの兎の獣人で、それほど魔法の知識があるわけでもないから、よくわかんねぇけど、この、体験は……」
ノウは夜見紫央に関する前後の記憶を失っている。しかし、何かを失ったという感覚はある。何もかもが正常。むしろ恐怖を遠くに感じるくらいに正常だった。
「二度と体験したくないよね。それ」
「ああ……だって、だって……。何が起こったかわからねぇから、もしかしたらツグのことも忘れてしまうかもしれない……」
恐怖の色で塗りつぶされたノウの思考に共感はできるが、たった数時間過ごした友達とも言えない人間を忘れることに、そこまで恐怖を抱くだろうか。
一方で少し可哀想に見えた。ジブンが引き起こしたことなのに、ジブンが責められることがないことに吐き気を覚えた。自白する? したところで信じてもらえる? でも定型文のせいでジブンが全てを知っていることは明白だ。
今全てを言ってしまえば、彼は救われるだろうか?
ジブンは楽になれるだろうか。
「ツグは……何が起こったか知ってるだろ? だったら教えてくれよ! その、よるみ? みたいな名前の奴のこととか、さっき何があったかとかさ……」
一瞬狼狽えた。いっそ何があったか話してしまうか、楽になれるか、いっそのこと楽になりたい。そう願った。でも、言葉は上がってこない。喉まで辿り着かない言葉はジブンの弱さを示していた。
言ってしまいたいと思いながら、隠してしまいたい自分もいる。
こんなに悩むくらいだったら、ノウも燃やして消してしまえばいい。ただそれだけの問題だが、自分の意思くらいじゃ本能は動いてくれないし、力が正常に作動するとは思えない。
「……一日、考えさせてよ。明日またエンドシティの入口で、ジブンに声をかけて」
「わかった、けど……嬢ちゃんが来なかったら、俺は……」
「それは、ノウに教えるべきじゃないことだったってこと。無駄足かもしれないけど、ジブンにも考える時間が必要なんだよ」
「……」
長い沈黙が続いた。すぅ、と小さく息を吸う音が聞こえて、「わかった」と弱々しい声を最後にこの店を出た。
結構思い出深いバーだった。
二十数年前にここを訪れた時も今と似たような目的だっただろう。
ぽつ、ぽつ……。
「あ……雨だ。傘持ってきてないなぁ」
エンドシティの裏路地を歩く。行き交う人は全くいない。静かな通りに雨が屋根に当たる音が響く。どうも雨宿りをする気分にもなれず、フードを被ってやり過ごす。
胸の内が騒めいて、雨の音もろくに楽しめない。どうやらジブンの心はもう限界と叫んでいるようだ。
ジブンは、「家族」が大切だ。家族のことを愛しているし、家族が消えるなんて考えられない。でもその家族は「ジブン」が大切だ。その言葉を聞いた日からずっとジブンに言い聞かせている。だってそうしないと、あっという間にジブンを雑に扱ってしまうから。
その事実を知ったその日からジブンは、「家族に害を為すもの」と「ジブンに害を為すもの」を敵として見るようになり、ジブンの力で攻撃するようになった。
今回もきっと、ジブンにとっては痛くも痒くもない攻撃に過剰反応して、紫央を「ジブンに害を為すもの」として見るようになってしまったのだろう。それ故に本能が目覚め、紫央の存在を黒き炎で燃やし尽くしてしまった……。
このことをノウに説明しないといけないという事実だけで頭が痛くなる。ジブンという種族について、種族としての能力……。面倒なことが多すぎる。やはり明日行くべきじゃ無いんじゃないか。
「歩いて帰るの……面倒だな」
ふと空を見上げる。夜が深く、更には色濃い雲が空を覆い尽くしている。月も見えず、灯りという灯りは人間が作った灯りしかない。これぐらいなら、飛んで帰っても大丈夫だろう。
少しだけ本能を刺激して、力を呼び覚ます。本来の姿に戻るための行動だから、誰かが攻撃してこない限り誰かを燃やしたりしないだろう。
全身に廻る血液が熱く燃え滾る。今度は右腕だけじゃなく、身体全身に熱が廻っているのを感じる。次第に末端から姿が戻っていく。
腕は黒き炎で燃える翼となり、脚も同様に変化していく。全身が黒き炎で包まれたとき、自身の身体が人間のモノでなくなったのを感じた。
赤黒い炎を纏う鳥。その炎はこの世にとってあまりにも残酷で、毒だった。
そのものの「存在」を燃やして、燃やし尽くされたものは周囲の人々から忘れられる。その「存在」を最初から無かったことにされる。誰もそのものについて覚えておらず、それを唯一知っているのは燃やした本人のみ。
かつて、その事実を知った誰かがジブンを見てこう言った。
――存在を司る黒き不死鳥、と。
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