第9話 黒い炎で燃やすということは

 紫央は最初の攻撃以来、一切手を出してこなかった。意思の有無はさておき、ずっとフラフラとしていて落ち着きがなく、時々箒を振り回しているが一切ジブンに当たらない。むしろ当てないようにしているかのように思える。そして頭を押さえて唸り声をあげる。


 ノウの指先がブルッと一瞬震える。ああ、彼も目覚めてしまう。


「コアを抜き獲ることができるのなら……」


 微かに残った理性でそう呟く。身体がその通りに動いてくれるとは限らないが、本能で動いていた時でもコアを抜き獲ることができたのだ。ならば、ならば今もきっと出来るのではないかと。


「紫央が……操られているのなら……」


 その原因のみを、破壊できるのではないかと。

 繊細な操作がジブンならできる。今までできていたのだから。きっと。


「っ……」


 黒き炎に包まれた右腕を紫央の心臓目掛けて差し込む。ずぶずぶと体内に腕が入っていく感覚。これで一切肉体を傷つけていないのだ。


 指先に棘が当たるような、チクリと痛みを感じた。ああ、これだ。手がどうなろうと気にしないで、その全てを握り潰す。そしてそのまま引き抜いた。


 赤黒い炎は勢いを失い、人間の腕が露わになる。それでもまだ腕は黒かった。黒い手には何も握られておらず、紫央の体内で握り潰したあの感覚は一体何だったのだろうと、考えた瞬間だった。


 視界に一瞬ノイズが走り、眩暈でもしたかと思い目を瞑りやり過ごす。そして再び目を開ける。


「……はは。ちょっと、温度が高かった。かな」


 そこに紫央の姿は無く、中途半端に片付けられた店内が違和感を主張している。


 結局無理だったか。本能が身体を占領している時点で、理性の言うことなんて聞いてくれやしないのにどうして期待していたんだろう。


 様に倒れたノウがゆっくりと身体を起こす。


「……え? ちょ……。な、なぁツグの嬢ちゃん。どういうことだ……?」

「何が?」


 ジブンは至って平穏を装った。


「すまない」


「は? 嬢ちゃん何言って……」


 混乱と恐怖に入り混じった表情で、震える声を放つ。大して暑くない部屋なのに、ノウの額には汗が次々と流れ落ちていく。

 そして冷静に、定型文を口にする。


「夜見紫央という人間を覚えていますか?」


 酷く冷たい声がノウの耳奥に突き刺さるのをこちらも感じることができた。この定型文を何度口にしてきたか。そして次にノウが言う言葉もわかっている。どの奴らも同じような返答をするのだ。だからこそジブンは飽きるほど聞いてきたその返事を待っていた。


「いや……知らない」


 自分の予想通りの結末。飽きるほど見て、聞いて、やってきたエンドロール。


「っていうかどういうことだ? 一体何があったんだ……?」

「……」


 ジブンは不器用だ。後始末だって下手だし、魔法が無ければ掃除も料理も、生活に必要なことだって失敗してしまう。


 とんでもなく不器用なジブンにとって、本能が起こしてしまった事象の後始末もどう説明したものか、わからない。そのまま話すわけにはいかないし、何か嘘をつこうものならとんでもなく下手なものになる。


 そして、本能が起こしたことを覚えているのがこの世界じゃジブンくらいしかいないことも、余計にジブンを苦しめるのだ。ジブンの罪を覚えているのはジブンだけ。誰にも話せず、理解されず、孤独に罪を抱える。


「……もう散々酔ったから、帰ろうと思うんだよ」


 ノウはジブンの目と、彼の目を合わせ続けた。胸の高まりは無く、ただ空しく彼の目を見続けた。


 ゆっくりと彼は立って、服についた埃を手で払う。その時もずっとジブンの目を見ていた。


 頭の整理がついていないだろう。もごもごと言いたげに口を動かしているが、そこから音が発せられることは無く、状況を噛んで飲み込んでいるようだ。ようやく彼の目がジブンの目から離れ、少し目線を下げた。

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