第8話 本能の目覚め
ガティア【鍵】を何もない空間に突き刺し、実際の鍵を使うのと同じ要領で九十度右に傾ける。何もないはずの空間からカチッという音が鳴り、空間が裂ける。縦長の揺らぎ、赤黒いものがそこに現れる。ジブンはガティア【鍵】を引いて、何も持っていない方の手で赤黒いものの中に手を入れる。
見る人によればこの赤黒いものは炎のようにも見えるし、先ほど言った通り縦長の揺らぎと捉える人もいるだろう。家族はこれを初めて見た時、悪夢だと言っていた。身の毛もよだつほどの恐怖が伝わったそう。
空間を作ったジブンでさえ中はどうなっているのかわからない。ただ知っていることは、この中に残り八つのガティアシリーズの魔法道具が入っていることだけだった。無限の無が広がっているのか、限りある箱のような空間なのか、空間そのものについては一切わからない。
「おっ」
指先に硬い物が当たった。この際何でも良くなってきたので掴み取る。
「ああ……これか」
ガティア【追憶】。モノクル状の魔法道具。見えないものを見えるようにすることもできるし、一応これも万能型魔法道具の一種。ガティアは優秀だったから、いくらでも万能型を作成できた。ああ、あの子は最後までジブンの役に立ってくれる。
ジブンはそれを身に着け、少し懐かしい気分に浸る。
『
ガッ……。
ジブンが詠唱しようとした瞬間、頭に衝撃が走る。気を失うほどのものでは無かったが、いきなり上から細長いもので殴られたせいで詠唱は止まり、魔法になるために移動していたエネルギーが部屋全体に散らばった。
「痛いじゃないか! 誰だよもう……」
そう言って後ろに振り返ると、さっきまでジブンの隣で掃除していたはずの紫央が箒を持って立っていた。俯いて、何かに操られているかのようにブツブツと何かを口にしながら箒を振り回している。
少し後ろに下がり、存在感が薄めだったノウを目で探す。
――やはり倒れている。
「紫央、やはり君は人間じゃない」
そう静かに呟くと、殺意を瞳に込めてこちらを睨んできた。ツンツンしているが優しい、あの瞳は何処にもなかった。
「でも……紫央、君は人ならざる者の知識がない。だから負けるんだ」
持ってもあと数分。ジブンはそう判断した。親が人ならざる者だったとしても、その手の情報を一切教えていない、知る機会がないことを考えるに、かなり血は薄まっているだろう。紫央の親はこの店をやっていない。それならばきっと、紫央の体内に流れる人ならざる者の血は四分の一が妥当だ。
種族の特性で暴れているとしたら、長時間は続かない。
では仮にそうでなかったら? 無理やり動けなくするだけだ。
「いや……」
そっとジブンの中にいるジブンが目を覚ます。人ならざる者の本質、いや、ジブンという孤独な種族の性質。本能、という言葉に言い換えることもできるだろう。
黒き炎を身に纏い、ただひたすらに家族のことを愛する。家族のことを愛しすぎるが故に、魔法使いに対しては嫌悪感を抱きコアを抜き獲り殺してしまう。そんな本能。
「君が魔法使いだったら良かったのに」
姿勢を正し、真っ直ぐ紫央に向かって歩き出す。清々しい気分に包まれ、この感覚はいつ味わったか、どこか久しいと思う。狭い狭いバーの中、乱闘を始める訳にはいかない。
「魔法使いだったら出会った瞬間……いや、ノウがいるからダメか。まぁ、そしたら何の躊躇いも無く殺せてたのに、ってね」
ジブンでも恐ろしいと思うほどスラスラと言葉が出てくる。自分自身について語ることが大嫌いなのに、聞いている人が誰もいないと饒舌になる。
孤独な空間に酔っているとでもいうか。
ジブンに酔っているとでもいうか。
「もう一つの可能性……」
呟いて、カウンターテーブルの方を見る。そこには赤黒く、血の色に染まったガティア【刹那】が置かれている。何かが原因で、あれの影響を紫央が受けてしまったか、なんて考える。
けれど本能が目覚めてしまった今、殺すしかないのかも、と弱々しく心の中で呟いた。
ジブンは基本、無気力だ。何をやるにも本気を出せないし、出そうとも思わない。だからこそ、本能に抗おうだなんて思わないし、成り行きを見届けるのは理性だと思っている。理性は、人間社会で生きていくための思考器官。本能と知恵を持つ、中途半端な人ならざる者なら誰にだってわかる感覚だ。
いつも理性は、置いてけぼりなのだ。
身体は勝手に動いてしまう。本能に従い、目の前の敵を葬ろうとする。
右腕に熱が集まる。この感覚は何回やっても慣れない。全身の血がそこに集まるかのような、そんな感覚に襲われて右腕以外の感覚が一気に消えてしまう。やがて着火するように右腕が赤黒い炎に包まれる。不思議と熱くなくて、むしろ、ここちよい。
中途半端に人型を崩すから、腕の形が崩れて狼の爪のような化け物の腕が出来上がってしまった。赤黒い炎に包まれたままの、謎の獣。それでも十分、人ならざる者の上位互換であることを示す。
「ああ……懐かしいね」
興奮よりも諦めが勝ち、喉から声が抜けていく。力なく、抜けていく。
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