第5話 バーの片付け
「ガティアの十分の一が死んだ……。あーあ」
「な、なぁ。嬢ちゃん……。嬢ちゃんは一体何をやったんだ……?」
後ろから突然震えた声が聞こえた。ああ、そういえばノウがいたな。
扉から顔を出すことをやめて、開け放った扉の前で堂々とした振る舞いを装っているが、その声と足は震えている。他にも少し呼吸が荒くなっているように感じる。
「魔法の世界は弱肉強食。それなのに罪を犯した者は強者でも問答無用で殺される。自然界の法則と人間の社会性を混ぜた世界が魔法使いの生きる世界。魔法使いだけでなく、人間以外の人間と同等の知恵を持った者にも適用されるのがこのルール……。よくわかっただろう?」
すると今度は反対の方向からか弱い女の声が聞こえた。
「あ、あの……」
怯えた目でこちらを見る若い女性。それを安心させるために、笑顔で答える。
「どうしたんだ?」
「こ、こ……殺さないで! アタシを殺しても面白くないから! お願いしますっ……」
一瞬、彼女が何を言っているのかわからず妙な間が空いた。
よくよく考えれば、彼女は狼人間に襲われているところだった。そこにジブンとノウという部外者が乱入し、狼人間を滅茶苦茶にして殺した。被害者に配慮したとはいえ、あの血の海を見るのは心に堪えるものがあったのは事実だろう。
そして、「助けてほしい?」とは聞いたものの、あまり明確な返事をしなかったような気がする。ジブンたちが敵か味方か分かっていない状況なのかもしれない。混乱状態の人間はまともな思考ができないから。
「助けに来たんだ。殺しなんかしない」
改めてちゃんと女性の方を見る。
綺麗に切り揃えられた銀色の髪。前髪も、左の横髪も、そしてポニーテールの先端、その全てがぱっつんと呼ばれるほど切り揃えられていた。唯一ぱっつんじゃないところと言えば、右の横髪が下ろされておらず三つ編みで纏められ、耳の後ろに先が隠れているところだけだった。
目つきの悪い灰色の目が完全に恐怖に染まっているのを見るに、相当怖かったようだ。
「あ、あ……、ありがと……うございます……」
「そりゃどーも。ところで詳しい話を聞きたいんだ。掃除を手伝ってやるから話を聞かせてくれ。ついでに、飲み物を一杯でいいからタダで……」
「そ、それくらいならいいよ。手伝ってくれるだけでもありがたいし……」
ジブンはガティア【刹那】を指から外してカウンターテーブルの上に置く。赤黒い何かが宝石の中でぐるぐると蠢いている。
ひとつの魔法道具の耐久性。使い方によってかなり差が開くが、攻撃系魔法道具は十回から二十回が良いところだろう。ガティアは強さと優しい心を持った善人だった。その名と魂を継ぐガティア【刹那】も「正しい行動」に使えばそれなりの強さと耐久性を生む。逆に、「間違った行動」に使ってしまえば一瞬で使い物にならなくなってしまう。
ガティアはそんな人だったのだ。
今こうやってガティア【刹那】が赤黒く染まっているのは「間違った行動」に使ってしまったからだ。床に散らばってしまいそうな血肉を回収することが「間違った行動」とは言いづらい。
まだガティアシリーズの使い方を理解できていない。どこまでがセーフで、何がアウトなのか。魔法道具の作り主でも境界線が分からない。これだから魔法道具の世界は面白いのだ。
「ノウ、お前も手伝えよ」
「わ、わかってるけど……」
何かを言いたそうにしていた。ジブンにはノウが何を言いたいのかわからなかった。困惑の表情を浮かべていた。その事実しか、ジブンには伝わっていない。
ノウは叩き割られたテーブルの破片を集めていく。女の人は店の奥に行った。掃除道具でも取ってくるのだろう。私は割れた酒瓶の破片でも片付けようと思った。
ざっと見、五本から七本の酒が無駄になったのだろう。散らばったガラスの量と床の液体の量がそれを物語っている。こんな危険な場所で足でも滑らしたら、擦り傷一つじゃ絶対に済まされないだろう。
ふとノウの方を見ると、かなりの量の木片を抱えていた。兎の獣人とはいえそれなりに力があるようで、ジブンには絶対に運べないと思うほどの木片を一度に運ぼうとしている。でもあれじゃあ、前は見えていても足元は見えていない。
「あ……」
そこは床が濡れている。滑りやすい。
そう言おうとしたその瞬間、彼は濡れている部分を華麗に避けていった。鼻をすんすんと動かしている。ノウは何事もなかったかのように木片を部屋の端にまとめた。実際何もなかったのだが、野生の勘とやらはジブンの思っているより優秀なようだ。
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