第2話 裏路地とうさぎ
「……笑わないなら行ってやるが」
この言葉を聞いてハッとする。変化の魔法だ。
目の前のおじさんは裏路地の事情を知っている。つまり魔法関係に属する者。実験で失敗したせいで姿形が変わってしまった人や、そもそも人間じゃない奴はよく変化の魔法を使って人の世界に紛れる。
「笑わないよ。これでも長生きしてるから」
「……じゃあ行くぞ」
建物と建物の間を抜けてジブンたちは裏路地に足を踏み入れた。
空気が変わった。そんな風に感じた。
人の吐き出す欲望の息が無くなったとでも言った方が良いのだろうか。少なくとも縁町四番街の淀んだ空気よりは遥かに澄んでいて、居心地がいいと感じてしまう。あまり魔法使いは好きでないのだけれど、やはり身は魔法そのものに浸かってしまっているのか。
「ねぇおじさ……、え?」
四十代前半に見えるスーツのおじさんがそこには居なかった。
代わりに、うさぎの耳が生えた高身長のスラっとした若い男が立っていた。春を思わせる桃色の髪に三つ濃い桃色の髪飾りをつけていて、目にかかるほど長い前髪は切り揃えられている。後ろの髪も男性にしては少し長く、肩のあたりまで伸びている。
灰色の目がこちらを桃色の髪の隙間から覗く。
「この姿の時はおじさんって呼ぶな」
「……ああ。失礼失礼。お名前は?」
笑いはしないが驚いていた。獣人、しかもウサギときた。人間と違って差別意識などは無いが、獣人なんて絶滅危惧種と同じくらい種族の総数が限られてきている。他の魔法使いから素材として狙われるなんてことはないが、ある一部の団体からは素材として狙われている。
「ノウ。見ての通り兎の獣人」
「何でおじさんに化けてたんだい? 耳さえ隠せばどこにでもいそうな人間に仕上がると思うんだけど」
純粋な疑問であった。歓楽街ならピンク髪の男が居たって誰も気にしないだろうし、むしろこの顔だったらモテるまでもある。
「話しかける分には問題ないが、話しかけられるのは面倒だ」
「口調変わったね。おじさんを研究していたりする?」
「……馴染むための努力ならする」
裏路地の空気は澄んでいるが、その風景は澄んでいるとは思えなかった。
縁町四番街とは違い如何わしいお店は無い。しかし、ミステリアスな店が倍以上増えたような気がする。
石レンガの地面が奥の方まで広がっていて、道に沿うように多くの店が立ち並んでいる。飲食店やバーなどの表にあってもおかしくない店もあれば、素材屋の看板を掲げている店もあり、占いを商売としている店もある。
ただジブンはこの裏路地に違和感を覚えた。
ジブンと同じようなジャンルの店が無い。錬金術や魔法薬学、魔法道具の店なんかがあってもおかしくないのに、この場所には一軒も見つからないのだ。強いて言うなら、雑貨屋が一軒見つかったくらいだった。
「そういえば、何でジブンに声をかけたんだ?」
「ただの世間知らずな嬢ちゃんだと思ったんだよ。あんな場所に居たら危険だろ」
少し不機嫌そうに答える。その顔を見て思わず笑ってしまった。
「ナンパか?」
「これでナンパでしたーって言っても気持ち悪いだけだろ。若い兄ちゃんの姿をしてたならまだしも」
「仮にナンパ目的だったとしても、最後は別の意味で落ち込ませることになるな。いやぁすまないね」
そう言ってジブンはニヤニヤ笑って見せた。すると、ノウの顔から血の気が引いていく。何もかもが顔に出るタイプなんだろうか。こういうのは見てて飽きないから暇つぶしになる。
「まさか……男?」
「ノンノンノン。性別を持たない種族さ。薬を飲めば一時的に性別を得ることができるが、あくまで一時的だし、そこまで意味は持たないだろうな」
仮に性別を得たところで繁殖ができる訳では無い。ジブンたちにはジブンたちなりの方法がある。
「通りで中性的な見た目だと思った……が、そんな種族いたか……?」
「……世界は広いんだよ」
ジブンは何も答えずに静かに微笑んであげた。圧倒的にノウの方が、身長が高いせいでどうしても上目遣いのように見えてしまう。勘違いしなければいいが、まぁこんな考えも杞憂だろう。
「あー。気狂う。嬢ちゃん酒は?」
「……まぁいいさ。嗜む程度かな。おつまみの方が好き」
「未成年でもないときた。今日の俺はもうダメだ」
目の前の人の夢を壊してしまったような気がする。壊したところで、ジブンの作品を使わせて夢を見させればいいと考えてしまう技師脳をどうにかしたい。
そんなことを考えていると後ろから狼人間がジブンたちを抜かして走って行ってしまった。全身が毛むくじゃらの姿を見て、ふと思うことがあり空を見上げる。雲一つない夜空に満月がぽつんと浮いていた。
「満月か……。彼らは大変そうだ」
「……でもおかしいな。魔法の蔓延る路地だって言っても、あんな風に歩き回っていいものじゃないだろ」
ノウの言っていることは正しい。狼人間が本来の姿を取り戻しているときは基本的に外に出ないのが暗黙のルールだ。本人たちは自分をコントロールできない事故が起こらないように外に出なかったり、魔法薬学師から薬を貰ったりして発現を少し和らげたりするもの。
あれでは、何か事件が起きてもおかしくない。
「まぁいいか。嬢ちゃん、あの場所で会ったのも何かの縁だし酒でも飲みにいかないか?」
基本的に、魔法に関わる人たちは呑気で自己中心な人たちが多い。事件が起きようと自分から首を突っ込む人はあまりいない。他人を気にしないのだ。
「奢ってくれるならいいよ」
「そんな酒飲まないだろ?」
「うん。だから大した額にはならないと思うよ」
ノウは狼人間が走って行った方向と同じ方向に向いて歩きだす。
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