第20話 魔術の師
故郷に帰って半月。家族と団欒したり、カエラとお出かけしたり、地元民と交流したり、キースと戯れたり、彼は存分にスローライフを送っていた。
(……あ)
そう、送り続けていたのだ。やる事があったのも忘れて。
(師匠のとこ行かなきゃじゃん)
夕飯を食べてる最中にそれを思い出した彼は、その日の夜に急いで行動に移った。
(危ない危ない、マジでそのまま夏休みを終える所だった)
あと数日で王都に帰らなければならない。帰る直前に思い出さなくて良かったと冷や汗を掻きつつ、彼はコッソリと家から抜け出して町はずれの古びた一軒家へと訪れた。
(さーて、くたばってなきゃ良いんだけど)
中々に失礼な事を考えながら、彼は扉をノックする。
「入るぞ師匠ー」
そしてすかさず扉を開け、ズカズカと遠慮なく家の中に入っていった。
「生きてるかー? 可愛い可愛い弟子の訪問だぞー」
いつものようにセレナとして振る舞う事はしない。今から出会う相手には全くの無意味である事を知ってるし、その相手からも気持ち悪いから止めろと言われたからだ。
「……うるさいぞ、童」
「お、生きてたか」
そんな件の人物は、リビングの安楽椅子に腰掛けていた。
「半年見ない内に一段と窶れたなー、もう半年もしたらポックリ亡くなるんじゃないのか?」
枯れ枝のような四肢に皺だらけの顔。光を映さない目は閉ざされ、音を拾わない耳は形だけあるばかり。
年老いた盲ろう者、ガゼル・ディアハート。それが彼の魔術の師であった。
「そう思うのならお前も労われ」
「冗談冗談。どうせ師匠の事だし、なんやかんや後十年ぐらい余裕で生きれるだろ」
「だとしても少しは労わる事を覚えろ、童」
ガゼルは彼の方向に顔を向けて、会話をする。
「そんなに労わって欲しいならセレナに頼めよ───えっと、大丈夫ですか? お体に障るのならまた明日にでも伺いますので」
「やめろ気色の悪い。お前のソレは途端に混ざり気が出来て気持ち悪くなるのだ」
「───は? おいおい師匠、今俺の嫁の悪口を言ったか?」
「お前に言ってるのだ童。なぜ振る舞いを変えるだけでお前の中にセレナという娘の人格が表出するのだ」
シワがれた声で、しかしハッキリと受け答えをするガゼル。盲ろう者である彼が何故こうも明確に言葉を交わせるのか。それは彼の持つ魔術にあった。
心眼の魔術師。そう呼ばれる彼の持つ魔術は、弟子であるセレナと同じく精神干渉だ。そしてその中には、彼が編み出した彼だけの魔術があった。それが二つ名にもなっている【心眼】である。
あらゆる生命が持つ精神、言い換えるならば魂。そこから表出した情報を受け取るのが心眼という魔術の効果だ。
心眼で知覚できる情報はそれだけじゃない。直前までその場に誰が居たかを残留思念で知れたり、表層意識にある思考を読み取ったりする事も可能だった。
「あー、うん? ……つまり、俺は自分の力で理想の嫁を具現化しつつあるという事か!」
並の目や耳より優れた性能を持ち、相手の本性を見破る事に非常に長けた心眼。
「馬鹿げた話だがそうらしい。……本当に人間なのか疑わしくなってくるぞ、童」
……なのだが、その心眼をもってしても彼の演じるセレナ・ユークリッドという理想の嫁は、実在すると誤認してしまう程に完成度が異常だった。
「それで、結局なんの用だ? 童もこの時間に来たという事は、家から抜け出したのだろう」
「ああ、そうだった。朝になったらシルフィが起こしに来るだろうし、早くしなきゃ」
さっさと話を聞いて帰ろう、そう考えた彼が何を聞こうとするのか。ガゼルは心眼によって直前に理解し、その内容に顔を強張らせる。
「───魔術協会についてなんだけど」
▼▼▼
王国全土で禁忌と指定されている魔術、それを学ぶ魔術師は、例え王族であろうとバレたら即極刑に処される。
そんな肩身の狭い魔術師がバレずに魔術を究めようとすると、相応のコミュニティが必要となってくる。そのコミュニティこそが魔術協会であった。
魔術協会に共通の目的は無い。一応のリーダーは存在するが、ほとんど上下関係もなく誰かの指図を受ける筋合いも無い。メンバー内の争いは御法度だが、誰に協力するもしないも個人の自由だ。
魔術協会が存在する理由は二つ。一つは、魔術師達が安心して魔術の研究を行える拠点を確保する事。もう一つは、聖騎士隊に関する情報の共有である。
魔術師にとって一番の天敵は聖騎士隊だ。純粋な強さで言うなら王国騎士団の方が上だが、それを加味しても魔術師達は揃って聖騎士隊の方が厄介と言うだろう。
恐ろしいのは、その執念深さ。例え魔術師が百の人質を取っても、聖騎士隊は一人の魔術師を殺す為に尊い犠牲だと言って切り捨てる。魔術協会の拠点を見つけようものなら、どんな犠牲を払ってでも皆殺しにしようとする。
神の意思に背いた魔術師は、獣人よりも罪深い。その考えのもとに裁こうとする聖騎士隊は、魔術師にとってあまりに脅威だ。魔術協会が生まれたのは、そんな聖騎士隊に対抗する為でもあった。
(魔術協会……その言葉を他人から聞くのは久しぶりだな)
ひょんな事から彼の師匠を務めているガゼルは、彼がその名を告げた事に多少驚くものの、すぐに考え直す。
(いや、童も魔術師だ。魔術師なら一度は必ず耳にして然るべきだろう)
彼を弟子にしたのは、実に不本意な事だった。それは六年前、町はずれのボロ屋に越して来たガゼルへ彼が挨拶しに行った時の事だ。
『お前は……なんだ?』
目と耳が使えないガゼルは、心眼でのみ外の世界を知る事が出来る。そして心眼で人物を見た場合、本人が認知している自分……つまり、その人の本来の姿が映し出される。
心眼で映し出された彼の姿は、ガゼルが送った長い人生の中でも一際異質だった。金髪碧眼の少女にも見えれば、黒髪黒目の男にも見える。それらが継ぎ接ぎに重なり合い、一つの人間として存在していた。
『───なんで分かった?』
不気味な姿にガゼルが問い詰めていると、彼は豹変して襲いかかり、尋問に掛けた。そこで彼は魔術の存在を知り、ガゼルに取り引きを持ち掛けたのだ。
『俺の事を死ぬまで隠し通せ、それと魔術についても教えろ。でなきゃ殺す』
取り引きと言うより完全な脅しだが、ガゼルはそれに頷いた。これが彼が魔術を学んだキッカケである。
「童よ、その名をどこで聞いた?」
「前に魔術師を見つけてな、そいつから聞いた。迷宮の魔術師って言うんだけど、知ってるか?」
その言葉からは、暗にお前も魔術協会に居たんだろうと言っている事が分かった。
「……いや、知らんな。恐らくワシより後の世代の奴なんだろう」
もはや隠しても無意味だと悟ったガゼルは、自身が魔術協会に所属していた事を前提に話を進める。
「あー、やっぱ師匠も魔術協会に居たんだ。けどその口ぶりだと、もう入ってないらしいな」
「ああ、居たのはもう十年以上も前の話だ」
「十年前、確か魔術協会が潰れた辺りの年か」
「そこまで知っているのか?」
「根掘り葉掘り聞いたからな。魔術で」
「……そうか」
となるともうその魔術師は死んでいるだろうと、ガゼルは予想を立てた。記憶を探る行為は、相手にとってかなりの負荷となる。慎重にすれば無事に済むが、彼がそんな配慮をする訳ないとガゼルは思っていた。
「じゃあこれも知らないのか、少し前に魔術協会がまた潰れたって話も」
「なに?」
何気なく話した彼の言葉に、ガゼルは思わず声をあげた。
「多分お察しだろうけど、やったのは聖騎士隊だとさ」
「そうか、そうか……」
───しくじったらしいな。
最後に出かけた言葉を呑み込んで、ガゼルは天井を眺めながら思いふける。
ガゼル・ディアハート。とある山奥の村で生まれた彼は、生まれつき目と耳が悪かった。
成長と共に目と耳は悪くなる一方で、このままいくと二十歳になる頃には機能が完全に失われるとも言われていた。
遠出して大きな教会で高位の治癒の加護を受けて貰うなどの金が掛かる方法は、村が貧しい為に使えない。
なんとか神に祈って救いを受けるしか無い。それが村の考えだった。だが祈れど祈れど救いは来ない。それに対し村人達は、信仰が足りないと言い続ける。
強い信仰心を抱いて祈れば必ず神は救ってくれる、だから祈り続けろと。だから彼も祈り続けた。懸命に、熱心に、祈り続けた。そして十八の時……彼の目は、完全に機能を失った。
なぜ、なぜ神は救ってくれないのか。それに対する村人達の答えは決まって同じである。
───信仰が足りなかったから。
信仰、信仰、信仰、そもそも神はなぜ信仰すれば救ってくれるのだ? なぜ加護を与えるのだ? この目と耳を直して貰う為には、どれほどの信仰心が必要なのだ?
神への疑心に満ちた彼に、もはや信仰心など持つ事は出来なかった。次第に持っていた加護の力も失われていき……そんな時だった、魔術師と出会ったのは。
『坊主、魔術を学んでみねえか?』
もはや耳すら完全に機能しなくなった頃、久しぶりに他人の声が聞こえてきた。
『俺の魔術は、見えない物を見る為の魔術だ。きっと坊主が持つ問題も解決するだろうぜ』
それは彼にとって願ってもいない話だった。ただ魔術を学ぶ事は禁忌だと知る為、躊躇いもあった。
『……坊主、これだけは覚えとけ。魔術は単に恐ろしい物なんかじゃない。人間が神に頼らず自分達で築いてきた、努力の結晶なんだ』
『努力の、結晶』
『それとこれは俺の勘になるが……この魔術は、お前みたいな奴にこそ使われるべきだ』
それから彼は、すぐにその魔術師と共に村から出た。迷いはない。神の禁忌に背く恐れも、村を出ると同時に捨てていた。
魔術師の言った通り、彼は魔術を学んで自身の問題を解決できた。心眼という独自の魔術を開発する事で、目と耳を使わずとも外の世界を知れるようになったのだ。
『魔術は人間にとって必要な技術だ。神に頼らず、人間は今こそ自分の力で歩くべきなんだ』
彼は救われた。祈れば救ってくれる神ではなく、人間が生み出した魔術によって。だからこそ彼は、魔術の伝道者として人生を捧げる事に決めたのだ。
最初は順調だった。自身の考えに強く賛同する優秀な弟子が一人出来て、他にも仲間は続々と集まった。いつしか自らが魔術協会のリーダーとなり、組織は過去最大規模にまで大きくなった。
本当に、本当に上手くいっていた。……十年前、突如として現れた聖騎士隊に襲撃されるまでは。
彼も聖騎士隊は十分に警戒していた。だからこそ拠点も外部に悟られないよう細心の注意を払っていた。しかし、バレた。他ならぬ神の手によって。
聖騎士隊を所有する聖都エルティナには、神から天啓を授かる事が出来る聖女が居た。その天啓により、魔術協会の拠点は白日の下に晒されたのだ。
殺される多くの仲間、殺戮を繰り返す聖騎士隊……神という、抗う事も欺く事も不可能な上位存在。
その瞬間、彼の心はポッキリと折れた。無理だと。この世に神が存在する限り、魔術が繁栄される事は無い。そう確信してしまった。
▼▼▼
それ以降、ガゼルは残りの人生を静かに暮らす事に決めた。生き残った弟子はまだ諦めていなかったが、それについて行ける気力は彼に無かった。
その後の魔術協会がどうなったかは知らない。もし再び結成されたのなら、その時はきっと自身の弟子がリーダーとして指揮を取っているだろう。……そして恐らく、もう既に。
「……すまなかった。魔術とその教えを伝えた筈のワシは、その矜持を持って最後までお前と共に戦えなかった。本当に、すまなかった」
現在の弟子、つまり彼がこの場から去った後、ガゼルは一人となったリビングで懺悔を繰り返した。
(……結局ワシは、何も成せなかった。ただ僅かな希望を抱いて死ぬしか出来ずにいる)
齢八十のガゼルは、今更死を拒んだりしない。いや、十年前にはとっくに生への執着など失っていた。……ただ、ほんの少しだけ心残りはあった。
魔術が繁栄する未来、その可能性を僅かなりとも見た後に死にたい。せめて希望を持って死にたい。
(あの童は、魔術を広めようなどと微塵も思っておらん。とことん私利私欲の為に魔術を究めようとしている)
だからこそ、ガゼルは彼の取り引きに応じたのだ。別にあのまま殺されても良かったが、だからと言って今すぐ死ななくても良い。
(だが、アレは他と何かが違う)
彼に魔術を教えて暫くして、ガゼルは彼が加護を扱う光景を目撃した。決して両立する筈のない魔術と加護を、彼は扱えていたのだ。
(童はワシの志を受け継ぐ気など無いだろう。が、童にその気はなくとも必ず世界に何かしらの影響を与える)
それが良い方向か悪い方向か分からない。そもそもなぜ神が彼のような存在を放置しているのかすら分かっていない。しかし、そんなのガゼルにとって些末事だ。
(童よ、我が道を進め。その為に魔術を究めたいならワシも惜しみなく協力しよう)
彼が自分の目的の為に行動を起こす。それがきっと、世界に多大な影響を与える事だと信じて。
「───む?」
その時、ガゼルは家の外から気配を感じた。
(なんだ、コイツら?)
ガゼルのもとに訪れる人間は、弟子である彼以外にほとんど居ない。それも複数人で、しかも一人や二人じゃなく十人以上という規模で。
(……年貢の納め時という訳か)
こんな大人数が来る事は今まで無く、きっと嗅ぎつけた聖騎士隊がやって来たのだろうとガゼルは察する。
(童にこれ以上の事を教えれんのは悔やむが、まあ奴なら勝手に成長していくだろう)
死ぬ前に希望が抱けて満足だと、ガゼルは惨たらしく殺される前に自害しようとした。
(……?)
その直後、気配の一つが家の中に入って来た。他の者が動いた様子は無く、たった一人で。
(なんだ? この感覚は……子ども?)
心眼を使えば、面と向かっていなくても相手の大まかな情報が分かる。そこで分かったのは、一人で入って来た人間が幼い少女だという事だ。
ピンク髪のツインテール。歳は恐らくセレナの少し下で、ただし見た目は年齢に比べて幼い。……そして、ある存在だけが発する独特なオーラを持っていた。
「まさか」
「───こんばんは」
相手が何者かを理解した時、彼女はガゼルの前に立って言葉を掛ける。
「こんな夜中にごめんなさいねオジサマ、通りかかったついでに寄ろうと思って」
「……何か用か、同胞よ」
「あら? なんでか警戒心強め……あーそっか、自己紹介がまだだったわね。じゃ、改めて」
可憐で優雅に、彼女は答える。
「はじめまして、私は魅了の魔術師ミリア……オジサマの弟子の娘と言ったら分かるかしら?」
「……っ!」
今日一番の驚きを見せるガゼルに、彼女は幼い見た目とは裏腹に妖艶な笑みを浮かべた。
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