間話1-2 ヒトコワ

(ナンダコイツ?)


 いくらなんでも順応するのが早すぎるだろうと内心でツッコミつつ、魔物は獲物の心を開かせる為に言葉を紡ぐ。


「ご飯にしますか? お風呂にしますか? それとも……えっと、その」


 頬を真っ赤に染めて口ごもる魔物……セレナの姿を見て、彼は微笑ましそうにしながら言う。


「無理して言わなくても大丈夫だよ。そうだな、じゃあご飯にしよっかな」

「ご、ご飯ですね! 分かりました!」


 彼から答えを聞くと、セレナは恥ずかしそうにしながらいそいそと台所へ向かった。


「……うぅぅ」

「どうしたの? もしかしてご飯は出来てない?」

「い、いえ、きちんと作ってはいます。けど」

「あー、もしかして自分で?」

「は、はい」


 セレナは料理が苦手だ。しかし苦手でも愛する人に手料理を食べさせたい。だからこうして、たびたび料理を作る事があるのだ。


(イミ ワカラナイガ)


 そういう人物を獲物が望んでるから魔物も演じているが、なぜそれが良いのか分からない。相手の望みが分かり、それを十分に模倣可能な力はあるが、その魔物にとって人間の考える事はいつも分からない。特に目の前の人間は、群を抜いて意味不明だった。


「気にしなくていいよ。俺の為に作ってくれたんだからそれだけで嬉しい。それに今がダメでも少しずつ頑張ればいいんだから」

「うぅ、ごめんなさい」


 励ましの言葉を掛けてくれる彼に、セレナは申し訳なくなりながら作った料理を持ってくる。


「美味しくなかったら正直に言って下さい。責任を持って私が食べますので」


 机の上に並べられた料理は不恰好で、ところどころ失敗した雰囲気があり、お世辞にも美味しそうとは思えなかった。


「……」

(イツマデ ツヅケルキダ?)


 魔物は対面の椅子に座って、神妙な面持ちで焦げた卵焼きを一口入れる彼を眺めながら捕食する機会を待つ。

 見たところ、獲物は今の状況を存分に堪能していた。なのに心を完全に開く様子は見られない。


(ハヤクシロ)


 この館には現在、彼の他にも四人の獲物が居る。自身の能力の特性上、複数人で来られると捕食が非常に困難となる。

 誰かが来る前に事を済ませたい魔物は、心の中で彼を急かし始めた。


「……うん」


 そんな彼は焦げた卵焼きをじっくり味合った後、何か納得したように頷く。


「ダメだな」

「え?」


 次の瞬間、彼は使っていたフォークをセレナに扮した魔物の手へ突き刺した。


「〜ッ!!!!?」


 あまりにも唐突で、予想外過ぎる展開に、魔物は痛みより先に驚愕で感情がいっぱいなる。


「あのさあ」

「ギッ……ア……!!?」


 魔物の手に突き刺さったフォークを、彼は更にグリグリとねじ込む。


「お前、本当に俺の望み叶える気あんの?」


 彼は痛みに悶える魔物の頭を掴み、無理やり目を合わせる。


「最初は良かったよ。うん、パーフェクトだった」

(ナ、ナンダ……)


 さっきとはまるで違う。澄んだ瞳は今や底なしの深淵が広がり続けていた。


「俺も一回死んだ身だ。もしお前が理想の嫁を完璧に演じてくれたなら、素直に殺されてもいいって本気で思った。それぐらいお前には期待していたんだ」

(ナンダ……)


 グリグリグリグリ、手から鈍い痛みが走り続ける。しかし魔物は痛みより、別の事に意識を持って行かれていた。


「なのにさあ」

(ナンダ、コイツ!?)


 隠しきれない憤怒を露わにした彼を見て、魔物は生まれて初めて恐怖した。心の底から震え上がり、何もする事が出来ずにいた。


「こいつはなんだ?」

「グゥッ!?」


 彼は皿に余っている焦げた卵焼きを、全て魔物の口に放り込んだ。


「ゲホッ! ゲホッ! ……う、オエッ!」


 一気に食べ物を口に詰められた魔物は咽せて、そしてあまりの不味さに吐き気を感じた。


「これが俺の嫁の手料理とでも言いたいのか?」

「ひっ……!」


 地面に倒れて項垂れる魔物に、彼は一切の容赦なく問いただす。


「そ、そう、望んでた、から」


 セレナという人物を演じるのも忘れて、魔物は怯えきった表情で言った。

 確かに彼は、セレナが料理下手である事を望んでいた。だから魔物もわざわざ不味い料理を出したのだ。


「は?」


 しかし彼は、その言葉を聞いて更に激怒した。


「なにお前? 俺がそれを望んでたって、本気で言ってるのか?」

「だ、だって」

「俺の嫁はなぁ!!」

「ひぅっ!?」


 反論する間もなく、彼は怒鳴り声を上げて答えた。


もっと・・・壊滅的に・・・・料理・・出来ない・・・・んだよ・・・!!!」

「……え?」


 予想していた発言と異なり困惑する魔物を置き、彼は喋り倒す。


「不味すぎて舌がぶっ壊れるほど! なんでそうなるんだと言いたくなるレベルのダークマターを嫁は作るんだ!」

「えっと……え?」

「拒絶反応を起こすほどの不味さ、だが夫である俺だけは嫁の手料理だからと平然と食べる! だってそこには愛があるから!」


 なんと素晴らしい事かと、彼は謳うように唱えた。


「それをお前は、料理が下手らしいから不味い料理を出しただけだ? ……解釈違い以前の問題だ。お前は俺の望みを知識として持ってるだけで、それを理解しようと全くしていない」


 彼の言う事は確かに事実である。それは問題点なのかと聞かれれば、今の状況を見る限り致命的な弱点なのだろう。


(コ、コイツ ハ ダメダ……ニ、ニゲナイト)


 この狂った存在から逃げる必要がある。館を捨ててどこか遠くへ、この存在が居ない場所なら人気の無い森の奥に行って住んでも良い。


「……あ、れ?」


 だが、それは出来なかった。どういう訳か、変化を解いて元の霧の姿に戻れないのだ。


「な、なんで」

「ああそうそう、他の姿に化けられないようしておいたから。俺もせっかくのチャンスを無駄にしたくはないからな」

「え……?」


 それは彼が魔物の頭を掴んだ時の事である。激しく動揺した魔物を見て、彼は抜け目なく魔術を行使したのだ。

 精神的な隙を晒す相手に精神干渉の魔術を施すのは実に容易く、ものの十秒で自力の突破が不可能なロックを付与出来た。


「い、いやっ!」

「まあ、散々言ったけどポテンシャルはあると思ってる。訓練すれば完璧な理想の嫁に成れる可能性だって十分に存在する」

「…………は?」


 もうダメだ殺される。そう思って身構えていた魔物は、一瞬彼が何を言っているのか分からなかった。


「あ、このままじゃカエラちゃん達が悪魔の居た痕跡を見つけられなくなるな。うーん、こりゃ何かしら捏造した方がいいか」


 文字通りの人でなしである魔物に、彼は情けも容赦も持たない。


「……それじゃ、せいぜい頑張ってくれよな。えーと、まあミミックでいいか」


 もはや彼が館に訪れた時点で魔物の運命は決まっていたのだろう。抗う事も出来ないまま、ミミックと名付けられた魔物は彼にお持ち帰りさせられた。


▼▼▼


「なんか見つかった?」

「何も」

「こっちの部屋も特に〜、レイちゃんは?」

「うぅぅ、お察しの通りよ」


 廃館に潜入して早一時間、悪魔研究クラブの面々は手応えの無さに辟易していた。


「ここ、本当に悪魔が居るんだよね? なんか今まで巡ってきたハズレの廃墟と同じくらい何も無いんだけど」

「まあまあ〜、今日がダメなだけで、別の日なら何かあるかも知れないじゃん」


 館の探索は今夜限りの事じゃない。この廃館で必ず成果を出すという気概は偽りでなく、彼女達は週一で此処に通う事も視野に入れていた。


「……やっぱり、危険でも単独行動する時間を設けた方がいいわ」


 そう提案してきたのは、マリーだった。


「情報だと悪魔は一人の時を狙ってくる。その時にカメラを使って写真の一枚でも撮れたら」

「マリーちゃん……でも」

「レイラ先輩も分かってる筈、このまま探索しても悪魔に繋がる証拠は出ないって。それは向こうも同じ事よ」


 彼女達は現在、レイラ、エリン、マリーの上級生組とセレナ、カエラの下級生組、二つのグループに分かれて行動している。

 本来ならセレナとカエラに加え、マリーも向こうに入るだったのだが、セレナからの強い希望でこのような形となった。


「勿論、危険なのは理解しているわ。だから単独行動するのは私一人、その間皆は集まって待機して欲しいの」

「っ! だ、だめよそんなの!」

「別に犠牲を少なくとか、そんな話じゃないわ。私たちの持つ加護を考えると、単独行動するのは私が一番適任なのよ」


 範囲内に居る相手へ思考を伝達する。それがマリーの持つ加護の力だ。伝達する対象を一人に絞り込めば、互いに脳内で会話する事も出来る。


「私なら何かあってもすぐに状況を伝えれる。そう出来る自信もあるわ」

「そ、それでもクラブの部長として許可なんて出来ません!」

「ッ、クラブを存続する為なのよ。私は、このクラブを本気で守りたいの!」


 悪魔研究クラブ居場所を守りたいマリーと、クラブのメンバー仲間を守りたいレイラ。


「……レイちゃん、マリーちゃん」


 意見を対立させる二人を、エリンは仲裁に入れず眺める事しか出来なかった。


「───セレナ様!」


 ギクシャクした空気が流れ始めた直後、カエラの大声がコチラに向かって聞こえてきた。


「カ、カエラちゃん、どうしたの?」


 レイラとマリーは睨み合うのを止め、駆け寄ってきたカエラに話しかける。


「あの! セレナ様を見かけませんでしたか!?」

「いや、見てないけど……もしかして」


 カエラが何を伝えたいのか分かり、レイラは顔色を青くさせた。


「……ッ! やっぱり、連れて来るべきじゃ無かった!」


 そう言ってマリーは歯噛みする。なぜあの時、自分は許してしまったんだと己を責めた。


「カエラちゃん、どこに行ったとか分かる〜?」

「い、いえ、少し目を離したら居なくなっていて」

「と、とにかく探すわよ! カエラちゃん、最後にセレナちゃんと居たのはどこ?」

「あのー」

「あ、セレナちゃん! ここに居たのね! ……って、居たぁー!?」


 消えたセレナを探すべく動こうとした矢先、当のセレナが混ざって普通に話しかけてきた。


「セレナ様! ここに居たのですね!」

「カエラ、離れてしまってすみません」

「いえ! セレナ様が無事でなによりです!」


 酷く安心するカエラを見て、セレナは申し訳なさそうにしながら頭を撫でた。


「……ねえ、部外者が勝手に行動しないでくれる?」


 見つかって良かった。そんな雰囲気が漂う中、マリーは明確な怒りをセレナにぶつけた。


「ちょ、マリーちゃん今は少し控えて」

「あなたが悪魔にやられたら、その瞬間に私達のクラブは終わるのよ。本来なら部外者であるあなたを巻き込んだという理由で」


 レイラの制止を無視して、マリーは厳しい口調でセレナを責める。


「それにあなたはカエラが心配で付いて来たのでしょう? そのあなたが心配を掛けさせてどうするのよ」

「……」


 セレナはしっかりとマリーの方に顔を向けて、その言葉を聞き入れる。


「……マリー先輩の言う通り、私の行動は咎められて然るべきです」


 そう言ってセレナは頭を下げる。


「言い訳はしません、すみませんでした」


 深々と頭を下げる彼女に、マリーは何も言わない。

 それからセレナは十秒ほどジッと頭を下げ続け、顔を上げると再び言葉を紡ぎ始めた。


「その上で、皆さんに伝えたい事があります」

「伝えたい事……?」

「はい、私が一人で居た時に何を見たかを───」







「こ、これって……」


 セレナに案内された悪魔研究クラブの面々は、それを見た瞬間に思わず息を呑んだ。

 木造の床に刃物で刻み込まれた円状の模様。円の中には未知の言語や幾何学模様が記されており、それが何を意味するのか彼女達には分からない。いや、分かる筈がない。


「ま、魔術陣……!」


 セレナが驚きの声をあげる。目の前にある物が、魔術師が大規模な魔術を行使する際に用いる儀式だと知っていたからだ。


「少し調べてみたのですが、この魔術陣が床に刻まれたのは最近の事だと思います。どういった力があるのかは不明ですが……この館に潜む悪魔と無関係だとは考え難いのです」


 自身の考察を披露するセレナに、皆は納得した様子で頷く。


「もしかして、この館の悪魔騒ぎの原因は魔術師?」

「そこまでは分かりません。悪魔は本当に居て、そこに魔術師も何かしら関わっているという可能性もあるので」


……ですが、と言ってセレナは話を続けた。


「私は、その魔術師に心当たりがあります」

「え!?」


 まさかの返答にレイラは驚きのあまり声を出す。他の者も声は出さないが表情にしっかり出ている。……そんな中、カエラだけ神妙な面持ちを浮かべていた。


「正確には、私とカエラです。いえ、より詳しく知っているのはカエラの方かも知れません。ですよね?」

「……はい、私も心当たりがあります」


 そう言ってカエラは、少し前に魔術師と対峙した時の事を皆に話した。


「そ、そんな事が」

「黙っていたのは、皆さんに心配を掛けさせたく無かったからです。ごめんなさい」

「いやいや、カエラちゃんが謝る事じゃないって!」


 話を聞き終えた彼女達は、これからどうするべきかと考える。


「その話が本当なら、もう魔術師も捕まってるし大丈夫だと思うけど」

「別の魔術師がやったとしたら、此処に居座るのはかなり危険ね」


 流石のマリーも魔術師という別の脅威を警戒して探索を進めようとは思えない。それはレイラも同じ事で、そうなってくると取る手段は一つだけだ。


「……うん! 皆の衆、撤退だ!」


 こうして彼女達の廃館調査は、不本意な形で終わりを迎えた。


▼▼▼


 お高い馬車の中で揺られながら、彼女達はこれからどうするべきかを話し合った。


「どうする? 一応アレの写真は撮ったし、これをクラブの成果って事で提出する?」


 そう言ってレイラは、魔術陣を撮った時の写真を皆に見せる。


「まあ〜、本来の目的とは違うけど、評価される事だし良いんじゃないかな〜」

「私もそう思います!」

「けど此処から何も成果を出せずにいたら、恐らく一年後には問答無用で廃部させられると思うわ」

「まあ、そうだよね。よし、じゃあ今後も今回みたいな活動を積極的にやっていこー!」

「お〜」


 ひとまずは何とかなりそうだと、彼女達は一安心する。


「……にしても、魔術陣以外は本当に何も無かったわね」


 レイラは沢山の写真を眺めながら言う。初めてのカメラという事で、彼女は手当たり次第に見るもの全てを撮っていたのだ。


「案外〜、もう居なくなっちゃたりして〜」

「そうかも知れないわね。私達より前に廃館へ人が来たのって、もう十年以上も前の事らしいし」


 何事もなくて良かったと思う反面、一人の探索者として本物の悪魔を見てみたかったなと思うマリーであった。


「あ、そうだレイラ様! 最後に撮ったあの写真って、もう出来てますか?」

「ちょっと待ってて……うん、出来てるよ。ほら」


 レイラは現像が完了するまで放置していた写真を手に取り、カエラに見せる。


「わぁ……! やっぱり凄いです!」


 それは、廃館の門前で撮られた集合写真であった。


「部室に戻ったら早速飾りましょう!」

「写真立てだっけ? あれを買わなきゃね〜」

「ふふん、やっぱりカメラを買ったのは間違いじゃなかった!」

「……」


 和気藹々とお喋りする中、マリーだけは会話に混ざらず黙りこくる。


「……ふふ」


 しかしマリーの正面に座るセレナからは、彼女がチラチラと集合写真を覗いて嬉しそうにしているのが見えていた。


「ん?」


 ふと、マリーは集合写真を見て気付く。


「…………ねえ」


 恐る恐る、彼女は館の二階にある窓の一つを指差して言った。


「此処、誰か居ない?」


 窓の奥からコチラを覗く、人影を指差して。


……それ以来、この館で人死にが起きる事は無くなった。ただその代わり、何処からともなく少女の助け声が聞こえるようになったと言う。


 悪魔は去ったが、犠牲者の魂は館に縛られたままでいる。そんな噂が流れ始め、それを聞いた人々は館で今もなお助けを求める少女に対し、静かに黙祷するのであった。


(ミミックの奴、ちゃんと隠れてろって言った筈なんだが……こりゃ後で説教だな)


 これは関係ない話だが、どうやら彼は集合写真に写った人影を見てそんな事を考えていたらしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る