第17話 掴み取った未来で得たもの

 その日、リギル・アークライトは怒りに燃えていた。


 若くして王国騎士団の隊長に昇格した彼は、その実力もさることながら器量の良さでも知られている。

 常に礼儀正しく、皆を正しい道へ導こうと意識をし、加えてそれが可能な程の能力も持ち合わせている。そんな、実力が無くても騎士として十分過ぎる資質を持つ人間だった。


 そんな彼が激情に駆られる姿は、騎士団の誰も、関わりの多い直属の部下でさえ今まで見た事が無かった。


「……ッ」


 そんな彼は今日、抑えきれない激しい怒りを見せていた。


「リ、リギル隊長」


 直属の部下である女騎士に呼びかけられたリギルは、ハッとした表情を浮かべると慌てて怒りを鎮めた。


「……すまない、部下の居る前で見せる姿じゃ無かった」

「い、いえ! ご家族が被害に遭われたのですから、無理もありません! ……それで、その、弟殿の容態は」


 彼らは現在、王都にある大きな教会に訪れていた。

 教会には治癒系統の加護を持った人間が最低一人は常駐しており、怪我人は教会で治癒して貰うのが、この国の常識だった。


 だが、全ての教会に治癒系統で高位の加護を持った者が居るとは限らない。というか、高位の加護を持つ者の方が少ない。

 昨夜、魔術師との戦いで大怪我を負ったロッシュは、ルーク達の手によりすぐ教会へと運ばれた。しかし常駐していた人間の治癒の加護では、怪我した箇所が多く全てを治せず、加えて右肩の深い刺し傷も完治には至れなかった。


 時間を掛けて治癒する必要がある。そんな重傷のロッシュの存在をリギルが知ったのは、今朝方の事だった。


「かなり酷い怪我だった。特に肩の刺し傷は深くて、時間を掛けて治癒しても両手で剣を持てるかどうかなんて言われたよ」

「そんな……」


 それを聞いて部下の女騎士は青ざめる。彼女はリギルの弟が王国騎士団に入ろうと頑張っている事を、リギル本人から良く聞かされていた。

 そんな大切な弟が剣を振れなくなる。何度も苦難を乗り越え続けた弟が、あまりに惨い形で騎士の道を閉ざされてしまう。


「……けど」


 しかしリギルは次の瞬間、穏やかな表情を浮かべて話し出した。


「俺が到着した少し後、ロッシュの友達がお見舞いに来たんだ」


 友達がお見舞いに、そう言われた彼女は確かに四人の子どもがやって来ていたなと頷く。


「俺は邪魔にならないよう、挨拶した後にすぐ出ようとしたんだ。……そこからだよ」


 リギルはそっと目を閉じる。あの時の光景は、今でも鮮明に思い出せた。


「ロッシュの友達の一人が治癒の加護を持っていてね。それでその子がロッシュの怪我を治したんだけど……治ったんだ、完全に」


 少女の手から放たれた黄金色の光がロッシュを包み、瞬く間に怪我を癒す、そんな光景を。


「ほ、本当なのですか!?」

「ああ、肩の傷も無くなって、試しに剣を持たせてみたんだけど問題なく振れた」

「それは……!」


 女騎士はロッシュの怪我の具合を見てはいない。しかしリギルの様子から察するによほど酷く、そしてそれを完治させた者はかなり高位の治癒の加護を持っているのだろう。


「加護だけじゃなく、人柄も素晴らしい子だった。それは他の子達にも言える事で……やっぱり、ロッシュは人に恵まれてるなって思ったよ」


 兄として誇らしい。彼の晴れやかな笑顔は、暗にそう言ってるようだった。


「……あっ、そ、そうでしたリギル隊長!」


 暫くその姿に見惚れていた彼女だったが、すぐに重要な報告があった事を思い出す。


「例の魔術師が見つかったそうです」

「ッ! ……そうか」


 報告を聞いたリギルは、少し表情を強張らせて尋ねる。


「場所は?」

「王都にある狭い路地裏です。詳細な話は外に待機させてある者が知っています」

「分かった。すぐに向かおう」


 弟の怪我は完治したが、それで魔術師への怒りが収まる事は無い。


(もし抵抗してくるなら、その時は存分に報いを受けさせるッ!)

「それで、なんですが」


 戦意を高めるリギルに、女騎士は報告に来た騎士から追加で言われた事を話をした。


「その、私自身も良く分かってないのですが、どうもその魔術師、様子がおかしいそうなのです」

「……?」


 微妙な表情を浮かべる彼女を見て、リギルはどういう事だと首を傾げた。


……その意味を理解できたのは、件の魔術師を実際に見た時だった。


「…………なんだ、これは」


 路地裏の奥底、そこで魔術師は壁際に座り込んで項垂れていた。


「……う、……ぅあ、……あぁう」


 その男は何をするでもなく、眠っている訳でもない。充血した目を見開かせて虚空を眺め、口はダランと開きっぱなし。言葉を発さず、定期的にくぐもった声を出すのみ。


 それから数日、男の身柄を拘束した騎士団は情報を吐かせる為、正気に戻るのを待った。しかし一向に男の容態は変わらないままだった。


 一週間後、男は夜中に突然暴れ出した。暴れると言っても魔術を行使する訳じゃなく、ただひたすらに暴れ続けた。

 何をしても暴れ狂う男は、それから丸一日暴れ続けて、そして死んだ。


 いったい男の身に何が起きたのか、騎士団にそれを知る術は無い。ただ、唯一の手掛かりとして男が暴れる最中に喋り続けた言葉がある。


 悪魔だ。悪魔がいる。悪魔がきた。




 アレは悪魔だ。


▼▼▼


 魔術師との戦いが起こった翌日、ルーク達はロッシュのお見舞いに教会へと訪れた。


「あ、みんな!」


 ベッドに横たわる彼は、ルーク達が来ると嬉しそうな表情を浮かべた。


「ロッシュ、調子はどう……ああ、えっと」


 ロッシュに話しかけようとしたルークだが、ふと彼の隣に誰かが居る事に気付き、その者と目が合って少し気まずくなる。


「どうやら先客が居るようですね。後にした方が良いでしょうか?」


 言葉を詰まらせるルークに変わり、セレナは前に出てロッシュに尋ねる。


「ううん、寧ろみんなに紹介したいな」

「……あ! もしかしてその方はロッシュ様の」


 ラベンダー色の髪に琥珀色の瞳、そんなロッシュと同じ特徴を持っている事に気付いたカエラは、思わず声を上げた。


「うん、この人が僕の言っていた兄さんだよ」

「って事は、もしかしてその人……!」


 ロッシュが頷いてそう言ったのを聞いて、エリーゼは有名人と会ったかのような反応を示す。


「……ご紹介に預かった。リギル・アークライトと言う」


 王国第三騎士団隊長、その人がルーク達の目の前に居た。


「いつも弟と仲良くしてくれてありがとう、これからも仲良くして貰えると嬉しい」

「い、いえ! そんな!」


 王国の要人と言っても差し支えない人物に頭を下げられ、ルーク達は慌ててしまう。


「そう頭を下げなくて構いません。ロッシュさんのような方と仲良く出来るのは、私達にとっても嬉しい事なので」


 そんな中でも、セレナだけは落ち着いた様子でリギルに話しかけていた。


「そうか、そう言ってくれると俺も兄として鼻が高い……じゃあ、俺はそろそろ行くよ」

「え? もう行っちゃうの?」


 挨拶を終えたリギルは、ロッシュに向かってそう言ってきた。


「俺が居ると友人が緊張しちゃうだろう?」

「いえ! そんな事は!」


 焦って否定しようとするルークに、リギルは笑って大丈夫だと言う。


「俺は別に気にしていない。自分の肩書きにそれぐらいの影響力がある事も理解している。それに、実はまだ仕事が残っているから早く片付けなきゃいけないし」


 やる事が終わったらまた来る。そうロッシュに伝えた後、リギルは部屋から出ようとドアノブに触れた。


「あの、すみません」


 直後、セレナが彼の事を引き留めた。


「もう少しだけ待っていてくれませんか? もしかしたら、今すぐロッシュさんの元気な姿を見せれるかも知れませんので」

「……? それは、どういう」


 彼女が今から何をするのか分からないリギルは、不思議そうにセレナの事を見た。


「カエラ、教会の方に許可は取れましたか?」

「はい! 快く受け入れてくれました!」

「ありがとうございます。……では」


 カエラに確認を取ったセレナは、それからロッシュの側へ行って彼の右肩を優しく触れた。


「いきます」


 次の瞬間、黄金色の光がロッシュを包んだ。


「これは……!」


 それが治癒の加護による力だとリギルは一瞬で分かった。

 まさか、まさか出来るのか? そんな期待が湧き上がるのを止められない。


……そして、その期待が外れる事は無かった。


「どうですか?」


 光は一分間ほどロッシュの体を包んだ後、静かに消えた。


「……うん、ありがとうセレナさん」


 ロッシュはそうなる事が分かっていたように、落ち着いた様子でセレナに感謝する。


「ロッシュ!」


 その表情を見たリギルは居ても立っても居られず、ロッシュのもとへ駆け寄った。


「大丈夫か? 肩の調子は?」

「大丈夫だよ兄さん、そっちもバッチリ」


 ちょっと借りるねと、ロッシュは置いてあったリギルの剣を持ち上げ、怪我をしていた右肩の腕で軽く振ってみせた。


「ほら、なんともない」

「……!」


 本当に治っている。それに気付いたリギルは、思わず隣に居たセレナの両肩を掴んだ。


……この時の彼女の心情も語る事は可能だが、流石に無粋なので止めておこう。


「本当に、本当に感謝するッ!」


 右肩の傷が酷く、剣を持てないかも知れない。そう事前に教会の者から聞いていた彼は、今の今まで気が気でなかった。


 高位の治癒の加護を持つ者ならその心配も無いが、そんな者が当たり前に居るのは聖都エルティナの人間くらいだ。少なくとも、この近くには居ない。


「大袈裟かも知れないが、君は恩人だ!」


 しかし、その心配は一瞬にして消えた。他ならぬ、ロッシュの友人のお陰で。


「……いいんです。私には解決できる力があったから、それを使ったまでです。それにロッシュさんは……カエラを命懸けで守ってくれました」


 そう言ってセレナは、視線をロッシュの方へと向けた後、続けてルーク達一人一人の顔を見ていった。


「ロッシュさんだけじゃありません、カエラもあの時の戦いで皆を助けたと聞きます。それはルークさんやエリーゼさんも同じ事で……私も何かしなきゃ、皆さんの友達として恥ずかしいじゃないですか」


 セレナの言葉に、皆が例外なく心打たれた。


「……そうか、そうだな。ロッシュの恩人は、君だけじゃなかった」


 そう呟いたリギルは立ち上がり、姿勢を正してルーク達に顔を向ける。


「ロッシュを助けてくれて……そして、ロッシュと共に戦ってくれて、ありがとう」


 リギルは深々と頭を下げる。今度は誰も、それを止めなかった。


「……ロッシュも」


 そしてじっくり数秒ほど頭を下げ続けた後、彼はロッシュの方に振り返る。


「よくぞ友達を守り切った。一人の騎士として、そして兄として、お前の事を心から誇りに思う」

「……っ!」


 兄に褒められた事は何度もある。その時も嬉しいと思い続けた。だけど今回の言葉は、


「うん、兄さん……ありがとう!」


 もっともっと特別で、心は沢山の喜びに満ちていた。

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