第16話 人はそれを悪魔と呼んだ

「はぁ、はぁ、はぁ!!」


 薄暗く、幅の狭い路地の道、そこが男の逃げた先であった。


「はぁ、はぁ、ク、クソォ……! 最後までふざけた真似しやがってぇ!」


 男は負けた。完膚なきまでに敗北したのだ。その事実を悟った男は、苦渋に満ちた表情を浮かべた。


「だが、まだだ! 最初の獲物が運悪くアイツらだっただけでぇ、次こそはァ……!」


 確かに男は負けてしまった。しかし、それは男にとって真の敗北では無い。

 男にとっての敗北とは、これから先の未来が消えて無くなる事。すなわち死だ。それさえ避ける事が出来たなら、彼にとってどんな敗北も巻き返しの効く代物だった。


「───次なんて無いぞ」

「……ッ!?」


 その時、何者かが男の言葉に返事をした。


「な、なんで人が」


 咄嗟に声のした方を振り向くと、そこには目を見張るほどの美しい少女が立っていた。


「いやぁ、一か八かだったけど、試して正解だったわ」


 そう言いながら、その者は男に向かって手をかざす。


「これは……」


 かざした手から黄金色の光が放たれる。それは男の全身を伝い、至る所に受けていた傷をみるみる内に癒していった。


「よし、こんなものか」

「なんで、助けて」

「立てないか?」

「あ、ああ」

「お、そうか。どうやら上手く調整できたみたいだな」

「……は?」


 何を言ってるのか分からず困惑する男に、少女はニコッと笑みを浮かべて言った。


「じゃあ、魔術について色々と教えて貰うぞ」


 そんな、まったく思いもよらない事を言われた。


「な、何を言ってるんだぁ?」


 本当に分からない。傷を治したかと思えば体は動かせないよう加減し、それから急に魔術の事を教えろと言う。全くもって意味が分からない。


「いやほんとビックリしたよ。帰ってる途中で魔術を使われてる痕跡があったから見に来たけど、カエラちゃん達が巻き込まれてるわ、ロッシュくんは大怪我してるわ。え、何事? って、普通に思っちゃった」


 男の事なんて意に介さず、少女はベラベラと喋り続ける。


「でさ、これってチャンスなんじゃねと思ったんだよ。魔術に対する造詣を深める、絶好の機会だって」

「……まだ裏が読めないけどぉ、つまり君は魔術を知りたい訳なんだねぇ」


 全身の怪我を瞬く間に治癒できるほどの高位の加護を持つという事は、それに比例して神への信仰心も高い筈だ。なのに何故、彼女は魔術を知りたがっているのか。


「いいよぉ、教えてあげるさぁ。約束するぅ、だから助けて欲しいなぁ」


 分からないが、要は取引がしたいのだと男は考えつく。


(迷宮化も不発してるしぃ、奥の手も使ったぁ。今はとにかく生き残る事が優先だぁ)


 その為にも今は、目の前の少女に従う必要があった。


「……? 何言ってんだお前?」


 だからこそ従順に振る舞ったのだが、そんな男を見て少女は不思議そうに首を傾げた。


「なんで俺が助けると思ってんの?」

「は?」

「あーいや、でもそっか。確かにさっきの言動は勘違いしちゃうわな」


 悪い悪いと、少女はあっけらかんとした様子で男に謝る。


「……助けないのならぁ、僕も魔術は教えないぞぉ」


 魔術を誰かに教えて貰える機会なんて、滅多にない。魔術を知りたがってる彼女にとって、魔術師である自分は貴重な存在の筈だ。

 そう思ったからこそ、男は強気な姿勢で出たのだ。例え拷問されようと、口さえ滑らなければ自分は生かされると、そう踏んだから。


「なあ、乖離性同一性障害って言葉は知ってるか?」


 しかし少女は、それでも動揺を一切見せなかった。


「な、なんの話だぁ?」

「多重人格とも呼ばれるんだけど、やっぱ伝わらないかー。まあこの世界って医療も未発達だしな……バロウズ商会って、儲かれば医療分野も始めるのかな?」


 今度相談してみるか。と、少女はブツブツと独り言を呟く。そんな自分を放って考え事に没頭する少女に男はキレて、声を荒げながら呼びかけた。


「さっきからなに訳の分からない事を言ってるんだ! 早く要件を言え!」

「……あー、悪い。それで多重人格ってのは何かって話なんだが」


 その話を進めるのかと、男はウンザリしつつも黙って話を聞く事にした。


「簡単に言うと自分の中に別の人間が居て、そいつが肉体を奪って勝手に行動する。みたいな心の病気なんだ」

「……」


 話が見えて来ないが、男は自分が何を言っても無駄だと思い、黙って聞き続けた。


「これは過度なストレスとかトラウマでなるんだが、思い込みで発症する事もあるらしいんだ。だから昔、それを使って意図的に理想の嫁の人格を生み出せないか試した事もあったんだ」

「は、はぁ……?」

「でも全く新しい人格が出る気配が無くてさぁ、それによくよく考えたら出てきた人格が理想の嫁とも限らないし、やっぱ無しだなと思ったんだ」


……だけど、


「もう六年ぐらい前になるのかなぁ、師匠と出会ったのって」

「お、おい」

「師匠のお陰で、あの考えも案外悪くないって思えたんだ」


 その時、男はソレに気付いた。


 魔術は、自分の体内にある魔力を糧に発動させる。故に魔力強化という技術も、根本的には魔術と同じである。


「なんだ……」


 しかし魔力強化と違い、魔術は緻密な魔力のコントロールと特定の現象を発現させる為の深い知識が必要となる。


「なんなんだよそれ!!!」


 そして少女は今、その魔術を行使する時のように魔力をコントロールしていたのだ。


「なんだって、魔術師なんだから分かるだろ?」

「そんな事を言ってるんじゃない!! なぜ加護を持つお前が! それを使えるかと聞いてるんだ!」


 それは決してあり得ない、あり得てはならない事だった。

 本来、魔術師の道を進んだ人間は持っていた加護を失う。それは禁忌とする魔術を学んだ人間を神が見捨てたからに他ならず、故に加護と魔術を同時に持つ人間など存在しない。……そう、存在しないのだ。


 神の寵愛を受けており、魔術を学んでも許してくれたのか? そんな話は聞いた事がない。少なくとも男はそう思ってるし、加えて歴史上でも誰一人としてそのような人間は存在しない。

 では逆に、魔術を学んだ後に加護を授かったのか? それこそあり得ない。改心した魔術師が神を信仰するという話は聞いた事がある。だが、どんな敬虔な信者でも魔術を学んだ人間を神は許さなかった。


 なぜ、なぜ、なぜ、さっきから狂人の気があると思っていた少女が、今や理の外側に立つ悪魔のように見えて仕方なかった。


「なんで……なんで……!」

「知るかよそんなの、あーほらアレじゃね? 俺が転生者だからチートとかそういうの」


 魔術を学んだのに加護を没収されないのは、少女自身もよく分かっていない。が、特に困ってないので別にいいやと割り切っている。


「転生者ってなんだ! そもそも助けないのにどうして僕の傷を治した!!」

「だあもう! うるさいなあ! 人が来る前にさっさと終わらせるか」


 少女の魔術的な力の籠った手が、男の頭に置かれる。


「ひっ……!」

「あーそうそう、最後の質問だけは俺でも答えれるぞ」


 少女はニコッと笑みを浮かべて言った。


「途中で死なれちゃ困るから、だ」







「うーん、取れる情報って言ったらこれぐらいか」


 彼はそう呟くと、男の頭から手を離した。


「縮地、迷宮化……うーむ、いらんなぁ」


 男がルーク達と戦っている所をコッソリ見ていたので、こうなる事は彼も薄々分かっていた。


「あったら役立つんだろうけど、これをマスターする為に時間は掛けたくないし」


 もしこれで自分の目的に使える魔術を持っていたら全力で修得する所だが、残念ながら自分の目的に地形操作の魔術は本当に使えない。


「けど魔術の基礎知識辺りは、俺の知らない事も結構あるな」


 これなら応用が効くし、学んでも無駄になる事は無いだろうと彼は頷く。


「うんうん! 師匠以外の魔術師は初めて見たけど、魔術の見識を一気に深めるのに最適だな」


 どうせ居なくなっても、裏の人間だから表沙汰になる事も無い。これから魔術師を見つけたら積極的に狙っていこうと彼は思った。


「いやホント魔術って便利だなぁ、お陰で加護も強化できたし」


 魔術とは、加護の力を独力で発揮させる為の技術だ。その為、魔術の知識を駆使して加護を行使すれば、必然的に加護の力も強まる。ただし、そんな事が出来るのは加護と魔術のどちらも持つ彼ぐらいだが。


「いやでも、こう思えるのは師匠の教えてくれた魔術が当たり・・・だからか」


 彼の扱う魔術は、精神干渉。相手をラジコンのように思うがまま操る事は出来ないし、軽い気持ちで心を読む事も出来ないが、それでも非常に汎用性の高い魔術だ。なにより彼の目的と合致する力を秘めていた。


「やっぱ時代は魔術だわ! 魔術しか勝たん! 魔術を究める事こそ理想の嫁を生み出す近道なり!」


 彼の目的は、理想の嫁をこの世に誕生させる事。その嫁の人格面を形成するのに、精神干渉という魔術はこの上なく使える力なのだ。


「そういや、魔術協会ってのがあるんだな」


 ふと、彼は男から得た情報の中に耳寄りな話があった事を思い出す。

 少し前に魔術協会が壊滅し、その生き残りが至る所に潜伏している可能性があるという、そんな話を。


「魔術師狩り……アリだな」


 理想の嫁の体現に一気に近付けそうな気がして、彼は思わず笑みを浮かべた。


「ひとまず師匠には相談しとくか」


 あまり過去を語ってくれないが、どうせあの人も魔術協会に居た口だろうと思い、彼は今後の行動を練りながらその場から去っていく。


……悪魔が笑う宵闇の刻は、こうして過ぎていった。

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