第5話 祈りの行先
(……あれって、どういう意味だったんだろう?)
時は少し流れ、洗礼の儀式が行われる部屋の前でカエラは椅子に座って物思いにふけながらセレナが出てくるのを待つ。あの後、カエラは司祭から良い勉強になるだろうと言われてセレナの洗礼を見届ける事になったのだ。
部屋に居るのは洗礼を受けるセレナ一人だけで、司祭や彼女の父もカエラと同じように扉の前で待ち続けていた。
「セレナ嬢は傍目から見ても信心深さが伺える子ですからな、きっと神も良い加護をお与えになる事でしょう」
「ああ、今から楽しみだ」
「ところで彼女は、どの神を信仰すると?」
「俺と同じ
「それはそれは、ご自分から言い出したんですか?」
「そうなのだ。セレナの前で話した覚えは無いんだが、これも血の繋がりというやつかな」
「はっはっはっ、親としては嬉しい限りですな」
「まったくだ。けどそれを聞いた妻が拗ねてしまってな、宥めるのは中々に大変で───」
司祭とセレナの父は、落ち着いた様子で談笑する。良い加護を授けて貰えるだろうかとか、そんな不安を抱いてる様子が微塵もない。
(そうなんだ……ちょっと楽しみかも)
それをカエラは横で聞き、洗礼を受けたセレナがどんな素晴らしい加護を授かるのか考える。
自分が知る中で最も高位の加護を持つのは、この教会の司祭だ。それより凄い加護なのだろうかと、彼女は期待を膨らませていった。
そのまま待ち続けること数分、セレナはまだ戻って来ない。しかしこれぐらいなら普通にある。洗礼を受けるのには少し時間が掛かる物なのだ。
「「「……」」」
十分が経過する。初めは談笑していたセレナの父と司祭も、今は静かにその時が来るのを待った。
「……遅いな」
セレナが洗礼を受けに行って三十分、彼女の父はポツリと呟く。
「そう、ですね。いくらなんでも遅いような気が……」
(セ、セレナ様、大丈夫なのかな?)
時間が掛かると言っても五分かそこらだ。十分でも長いぐらいなのに、三十分経っても戻らないというのは異常である。
流石にそろそろ中の様子を確認するべきか。そう誰かが考えた直後、彼女は戻ってきた。
「おお! 戻ってきたか」
「どうやら杞憂だったようですな」
「ホッ……」(良かったぁ)
セレナの無事な姿を見た三人は安堵の息を漏らす。その後、セレナの父は彼女のもとへ真っ先に向かい、尋ねた。
「どうだったセレナ、どんな加護を授かったんだい?」
「……お父様」
彼女は悲しげな笑みを浮かべて言う。
「どうやら私は、加護を授けられなかったようです」
(…………え?)
加護を授からなかった。それを聞いた三人はかなり動揺した。
セレナと面識の少ないカエラはそれほどじゃ無かったが、それでも彼女のような人物が神から加護を授からないなんてあり得るのだろうかと疑問に思った。もっと彼女と交流のある司祭は洗礼そのものが失敗したのではと疑っていたし、セレナの父親に至っては絶対にあり得ないと取り乱していた。
しかし事実として、セレナは加護を授かっていない。何かの間違いだと思った彼らは、後日改めて洗礼を受け直す事にした。
しかし二度目も失敗に終わった。普通ならその者の信仰心を疑う所だが、セレナのこれまでの行いを知る彼らはそれだけは決してないと考えを一蹴する。
もう一度洗礼を受け直した際、司祭の厚意によって大掛かりな儀式をする事になった。これはより良い洗礼を受ける為に大昔に行われた儀式であり、これなら可能性があると祭司は考えたのだ。
万全の準備を整えての洗礼。しかしそれでも結果は変わらず、セレナが加護を授かる事は無かった。
(……セレナ様、今日も来てる)
最初の洗礼に失敗したあの日からひと月、セレナはあの日から毎日欠かさず教会で洗礼を受けていた。
半月前までは彼女の父や母、どちらかが必ず付き添いで来ていた。しかし貴族としての仕事が忙しく、なにより神が我が子を見放したという事実に精神的に参ってしまい、今では自身の部下を付き添いに行かせるようにしていた。
流石にひと月経っても加護を授からないセレナに、不信感を抱く者も増えていた。それでもまだ彼女を信じる者は多いのだから、その人徳の深さが伺える。
「……」
いつもなら洗礼を受ける部屋へ直行するセレナだが、今回は先客が居た為に待合室の椅子で待機していた。
「あ、あの」
カエラは良い機会だと思い、思い切ってセレナに話しかけた。
「あ、カエラさん。どうしましたか?」
「えっと、そ、その……ぁぅ」
しかし話しかけたは良いものの、彼女の後ろで控えている従者の目が怖くて中々言い出せずにいた。
「……ごめんなさい、少し席を外してもよろしいですか?」
その事を察したセレナは、後ろの従者二人に声を掛ける。
「お嬢様、ですが」
「大丈夫です。カエラさんはお二人が思うような方ではありません」
「……分かりました。ですがお嬢様がわざわざ席を立つ必要はございません」
そう言うと二人の従者は遠くへ離れ、声が聞こえないギリギリの所まで移動した。
「はい、もうお話しても大丈夫ですよ」
「ご、ごめんなさい」
「いえいえ、気にしてませんから」
そう言って話す彼女は本当に気にした様子が無く、なぜこんなに心の清い人が加護を授からないのだろうとカエラは疑問に思って仕方なかった。
「……その、辛くはないんですか?」
「そうですね、祈りが届かないというのは悲しい物です」
「いえその、それもあるんですが、周りの目と言いますか」
セレナを信じる者は多いと言えど、不信に思う者も確かに居る。
本当は神への信仰を持たないのでは? そんな目を彼女に向ける者を、カエラは何度か見てきた。
「……カエラさん、私が洗礼を受けようとしている神をご存知ですか?」
「え? えっと確か」
セレナの父が、自身の信仰する神と同じだという事を話していた事を思い出し、カエラはそれを言ってみた。
「そうですね、周りにはそう言っています。ですが、実は違うんです」
「そうなんですか?」
「はい、私はどうしてもあの方と契りを結びたいんです。それは決して譲れない、私の信じる道だから」
そう言って語るセレナの表情は一瞬、彼女が浮かべたとは思えないほど妖艶な物となり、同性のカエラでも心臓が高鳴るほど艶めかしかった。
「い、いったいその方とは」
「セレナ様、準備が出来ました」
思わず問いただそうとしたカエラだが、間が悪く待ち時間が終了してしまった。
「分かりました。カエラさん、暇つぶしに付き合って頂きありがとうございます。では」
「あ……」
取り付く島もないまま、セレナは洗礼を受けにこの場を立ち去った。
……あれ以来、カエラが彼女の信仰する神が誰かを聞く事は無かった。自身の信仰する神を語るセレナの豹変ぶりを見て恐れたのもそうだし、なぜだか分からないが禁忌に触れてしまうと感じたからだ。
その後はセレナに話しかける事なく、遠くで洗礼を見届けるという生活をカエラは続けた。そうしていくうち、カエラは彼女の健気に祈り続ける姿に惹かれていった。
この際、信仰する神が何者かはどうでもいい。どうか、どうか彼女の祈りが報われて下さい。次第にそう思うようになった。
……そして、半年の月日が流れた。
「……ッ!」
いつも通り、陰ながらセレナを応援していたカエラは気付く。洗礼を受ける部屋から出た彼女は、これまでとは段違いに晴れやかな表情をしている事を。
「セレナ様!!!」
考えるより先に体が動き、付き添いの従者を押し退けてセレナに話しかけた。
「カエラさん、久しぶりにお話できましたね」
「セレナ様! ついに……ついに……!!」
「ふふ、分かりましたか?」
セレナは開いた両手を前に出す。すると手のひらから小さな、本当に小さな黄金色の光が灯された。
「ご覧の通り、加護を授かりました」
「〜ッ! セレナ様!!」
感極まったカエラは、思わずセレナに抱きつく。
「本当に、本当におめでとうございます!」
涙を流しながらカエラは何度も祝福する。そんな彼女をセレナは慈しみ、泣き止むまで優しく頭を撫で続ける。
セレナが加護を授かった事はすぐに知れ渡り、彼女と親しい者は等しく心の底から祝福した。彼女が授かった加護は治癒系統の中でも最低位の代物だったが、そこを機にする者は誰も居なかった。
話はそこで終わらず、数年後にセレナの加護は劇的に成長し、高位と呼べる程の力を持った。この事からセレナの洗礼は他の人と比べて途方もない時間を掛ける必要があり、それでも彼女が諦めずに祈り続けたからこそ、神も後でセレナに大きな力を与える事にした。そう周りの人達は判断した。
セレナの信仰心に偽りなど無かった。それどころか神の方も誤りは無く、彼女の信仰をしっかり向き合っていらっしゃった。それに気付かされた人々は、セレナに敬意を表し、より一層神への信仰心を深めていった。
▼▼▼
王立学園の学食は広く、それでも毎日満席になるほど大盛況だ。こうなった一番の理由は、バロウズ商会が支援しているからだろう。
新進気鋭の大商会、バロウズ商会。昔から存在自体はしており、冒険や戦いに役立つ商品を売っている事で有名だった。
しかし数年前、会長が二代目となってからは方向性が劇的に変わった。
家具や文具、服飾に化粧品と、日常生活で使える商品を売り出すようになり、加えてほとんどが自社開発された新商品で、どれも革新的で人気がある。
そんなバロウズ商会は様々な料理店を出しており、どれもこれも斬新で美味だと非常に評価が良い。
カレーにラーメン、うどんに牛丼、庶民でも手が出せるようお手頃価格で店に出された料理の品々は徐々に貴族からも支持を集め、遂には王立学園から学食に提供してくれないかと打診されるまでに至った。
そしてそれらの料理が並び出されて以来、王立学園のほぼ全ての生徒が学食に通うようになったのだった。
(うーん、まだまだ手料理の方が美味いけど、此処のシェフは中々に見込みがあるな)
学食でカレーを食べる彼は、心の中でそう批評する。
(まあ将来に期待って感じだな)
何様とは思うかも知れないが、彼は前世でプロの料理人に弟子入りした経験がある。まあ、将来の嫁には美味しい手料理を食べさせたいという不純な動機で、一年経ったら満足して辞めているが。
なお、その時に弟子入りした師匠は女性なのだが彼に脳を焼かれ、彼が辞める時に求婚している。※勿論、彼は丁重にお断りした
「───これが、セレナ様が加護を授かるまでに歩んだ道のりです」
(あ、終わった?)
彼が学食のカレーを評価している間、カエラはルーク一向にセレナがどうやって加護を得たかの話をしていた。
「そうか、そんな事が」
「どれだけ凄いのか私には分からないけど……結果が出ないまま、加護が授かるまで辛抱強く祈り続けるなんて私には無理ね」
「うん、本当に凄い事だと思う」
三人は各々反応を示すが、等しく感動し、セレナに尊敬の眼差しを向けていた。
(はっはっはっ、そうだろそうだろ、俺の嫁はそういう苦難にも耐え続けれる心の強さを持ってるんだ)
そんな当の本人は、他人事か自画自賛か良く分からない事を心の中で呟いていた。
(にしても)
ふと、彼はカエラが語っていた事を思い返す。いやカエラの話はそもそも聞いていないので、厳密にはその時の出来事を振り返っているのだが。
(神への信仰心、ねぇ?)
過去の記憶を掘り起こし、やっぱり妙だなと彼は内心で首を傾げる。
(……俺、信仰心なんて持ってたか?)
というのも、なぜ自分が加護を得られたのかを彼自身が分かっていないからだ。カエラが語っていた事は、本人からすれば全く心当たりの無い話だった。
信心深いと周りから言われてるが、別に彼は神など信仰していない。周りがそう勘違いしているのは、彼がセレナという理想の嫁を演じた結果である。
それと無神論者という訳でも無い。異世界転生とか言う摩訶不思議な体験をしたから実在するんだろうなー、とは彼も思っている。が、別に尊んだりしていなかった。
(まあ結果がどうあれ加護は貰えたから、別にいいんだけど)
信仰心は欠片も無いが、加護を貰えるまで一生を掛けてでも洗礼を受け続けるつもりだった為、半年で手に入れられたのは彼的にラッキーだった。
(嫁が神に愛されてないなんて
彼の理想の嫁は、人にも、自然にも、そして神にさえも愛されてなければならない。そしてこの世界にとって、加護とは神に愛されてる明確な証だ。
(いやぁ、この世界に加護なんて都合の良いものがあって助かった。嫁は神に愛されてるって事を周りに証明できるし、しかも治癒なんて嫁にピッタリな加護も貰えたし)
ちなみに最初はショボかった筈の加護が高位にまで強化されているのは、神とは関係ない。その辺りの話もまた別の機会に語ろう。
……このようにセレナが加護を授かった本当の理由は誰にも、当の彼自身でさえも分からない。
真実は神のみぞ知る。そういう事なのだろう。
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