第17話 本当と嘘

「――そして、更に長い長い年月を経て、沢山の……本当に出会いと別れも経験してきた存在が、貴方がたの前に立っている女主人、というわけです。……ふぅ、沢山喋りましたね。以上が私の昔話であり、こんなに小さな身体のまま屋敷を取り仕切っている不思議な存在が抱える秘密の正体でした。ここまで長い話を聴いていただきありがとうございます。私自身に起きた話だと信じた方も、信じられずに作り話だと思った方も、或いはそれ以外の考えをお持ちの方も、それは皆さんの自由です。考えを改めよう、なんて気はありませんのでご安心ください」


 話を終えたノワールは一息吐く。アイシャが心配そうにノワールに歩み寄り、労わるようにノワールの背中に手を添える。アイシャに一言礼を述べると、静かなままの聴衆の方へと向きまた声を発した。


「もしかしたら興味が無い人も居たかもしれない中で自分のことを長々と話してしまい申し訳ありません。時間もかなり取らせましたし、この場はもうお開きにしましょうか。健康診断の結果については後日、ヴェルデが帰ってきた時にお渡ししますがその時は集まらなくて問題ありません。えーと連絡事項もこれくらいですかね。最後に何かある人、いらっしゃいますか?」


 静かな使用人たちの中から、1人恐る恐る手を上げた者がいた。ノワール以外の人間がその人物に視線を向け経緯を見守る。

 

「すみません、発言してもよろしいでしょうかノワール様」

「その声はハインね。構いませんが、この場で良いのですか?」

「はい、大丈夫です」


 穏やかな声色で許しを得たハインは、他の使用人たちから向けられる視線を気にすることは無く、年相応に落ち着いた様子で主への言葉を選びながら投げかける。


「ありがとうございます。それと先程のお話も、個人的には聴けて良かったと思っています」

「そうですか? それなら良かったのですが、ハインは信じましたか? それとも作り話だと思いましたか?」

「私の今のご主人様はノワール様ですから、信じないという選択肢はありません」

「なるほど……その考えももっともですね。答えてくれてありがとう」

「……」

「……? えっと、それを伝えたかった、ということでしょうか……?」

「あっ、いえそうではなく……」


 ハインは慌てて何とか話を続けようとするが、上手くまとまらないのか少し沈黙が流れる。それでも、ノワールは急かすこともせず静かに待っていた。

 その気配を察したハインも、一度深呼吸をしてまた口を開いた。

 

「……見た目にしても振る舞い方にしても、これまで見た事がないタイプのご主人様に戸惑うことも多くありました。それでも、ここへ来てまだそれほど月日は経っていませんが、生活していく中でご主人様が他の貴族とは違う、ということは感じていました。それでも、分からないことの方が多い不思議なご主人様であるという面の方が強く、多少なりご主人様の事が知れて安堵しているということは確かではあります」


 静かに聞いていた使用人の中にも、同じことを思っている人間がいたようでちらほらと頷いている者がいる。アイシャはノワールの後ろに立ち、口を挟むことなくその様子を眺めていた。


「それと同時にまだ引っ掛かっている疑問もあり……」

「そうでしたか……そうですよね。分かりました、お答えできるものであれば良いのですが……どういった疑問か教えてください」


 言い淀むハインは、自身とは対照的に迷うこと無く内容を問うてくる主の言葉に、まだ少し戸惑いを見せたがやがて覚悟を決めたのか、主の顔を真っ直ぐに見つめ口を開いた。


「ではお伺いします。……ノワール様が、私たちのような存在、奴隷を集めている理由をお聞かせください」


 ノワールが質問を聞いて起こした反応は、首を傾げる、だった。それでも聞かれたことに答えようとすぐに回答を返す。


「えぇっと……初めに伝えたかもしれませんが、私は目が見えないので、屋敷の管理や領地の仕事が一人では行えません。ですのでその補助の為、ですね。……申し訳ありません、私の昔話からの質問の繋がりが見えていなくて、回答がこれで合っているか自身は無いのですが……」

「それもそうなんですけど、奴隷を買って何をしたいのか……でも同じだから……えー上手く言えなくて申し訳ありません」

「いいえ、ちゃんと聞いていますから。うまく話せなくても、ゆっくり、考えたことを一つ一つ言葉にして」


 初めは相応に落ち着いた素振りを見せていたが、今はすっかり慌ててしまっている。ノワールは宥めるように、このくらいゆっくりでも良いのだと語りかけるように、ハインを優しく諭す。

 その効果があったのか、またハインは少しずつ落ち着いていった。やがて、少し眉間に皺を寄せながら、頭に浮かんだ単語を吐き出すように、しかし慌てている様子はなく言葉を漏らし始める。

 

「……その……大変な人生を歩まれているノワール様、が、新しい使用人、を雇うのではなく、奴隷を集めるのは何故か、ということを考えていたら、屋敷の管理だけで終わるのだろうか、まだ何か別に何かをさせようとしているのではないか、とか色々考えてしまい少し疑問が飛躍してしまって……何をさせようとしているのかというか、何を目指しているのか……? 見据えている先というか……それだけが目的にしては、必要以上に色々与えられている気もしますし……ええっと、何と言えばいいのか……」


 上手な伝え方が思いつかず考え倦ねているハインの絞り出した言葉に、ノワールは少し考えを巡らせる素振りを取ると、すぐに別の回答を出した。


「その先………………奴隷制度を無くすため、でしょうか」


 その回答は、ハインの求めていた回答の向きとしては概ね合致していたが、かなり突飛な回答にも聞こえるものだった。今度はハイン含め使用人たちが首を傾げる番となった。奴隷を買い集める理由が、奴隷制度を無くすため、というのは繋がりが見えず、むしろ逆効果ではないかと思ったからだった。

 そして、ノワールの後ろに立っているアイシャも、驚いた様子でノワールに顔を向けていた。アイシャの態度も含め、その場にいた使用人たちは首を傾げていたのだった。


「それはどういう……」


 ハインが尋ねたのか、アイシャが漏らした言葉なのか、或いは二人ともから発せられたのかは定かではないが、続きを問われたノワールはあくまで淡々と話を続けた。

 

「そういえば、これはアイシャにも初めて話す内容ですね。良い機会ですからお話してしまいましょうか。私はこの国から奴隷制度を無くす、という企みを持っています。ただ、まだまだ先の話になるでしょうから、あまり深くは考えなくて大丈夫です。この家の管理に関しても嘘ではありません。……本当のことを言うと、更にそれら以外の目的の為にも、皆さんをここへ来ていただいてあるのですが……こちらはもう少ししてから説明いたしますね」


 最後は少し力無く、零すような口ぶりで話しながら、ノワールの顔は困ったように笑っていた。ハインはまだ疑問が解消されていないようで、戸惑いながらも再度質問を返した。

 

「ど、奴隷制度を無くす……ですか……。それで、奴隷制度を無くしたり、我々が屋敷の管理をできるようになることで、ノワール様は何か得るものが……最終的な目的は何なのですか?」

「……あっ! そういうことですね、理解しました。それが、ハインが意図していた聞きたかったことなのね」

「え? まぁそう、だと思います」

「なるほど、なるほど。ふふ、よくぞ聞いてくれました」


 得心がいったようで、ノワールは嬉しそうな笑みを浮かべながら後ろを向いた。後ろに立っていたアイシャは驚きながらも、主の動向を見守る。

 歩き出したノワールに付いていこうとするアイシャを言葉で制し、数歩歩いた所でノワールは振り返った。


 笑みを湛えたまま両手を広げ、アイシャも含めた全員に向かって口を開く。今日一番の笑顔で――。


「私はね、皆を幸せにしたいの!」


 主人のこれまた突飛な回答に一瞬面食らったハインだったが、これまで自分たちに齎された恩恵の数々のことを思い出した。衣食住を与えられたこと、仕事を教えてもらっていること、仕事以外の自分の希望を聞いてもらい叶えてもらう約束をしたこと、身体の不調を訴えすぐに対処してもらったこと。

 そして奴隷制度を無くしたい、という子どもの思い描くようなあまりに安易な理想が、全て自分たちに幸福になってほしいからだ、という理由ならば意味は分かってくる。


 幸せにする、という聞く人が聞けば傲慢だと捉えられる言い方だが、ハインは特に不快には思わなかった。見た目の幼さと相まって、まだ現実を知らない子どもが語る夢物語のように聞こえてしまうが、屋敷に居た仕事の出来る使用人たちからも慕われている様から、考えなしの計画では無いのだろうと思い至ったからであった。

 

 聞いていた使用人たちの中に、少し不満の表情を浮かべている者もいたが、幸い今この場で主人へ噛みつく者はいなかった。

 

 内容を理解すると同時に、ハインは諦観に近い感情を抱いていた。主の理想が叶うのならば是非見てみたい所だが、恐らく時間的な問題で自分が生きているうちには実現しないだろうと察したからだった。

 それでも今の主人が掲げる夢物語がいつか実現する世の中になればいいなと心の中で思いながら、頭を下げて礼を述べた。


「お答えいただきありがとうございました。私の中では色々と納得することができました」

「もう良いのですか? 皆さんを幸せにする為の様々なプランがあるのですが……」

「はい、大丈夫です。お手間を取らせてしまい申し訳ございませんでした」

「全く手間なんてことはありませんでしたよ。また気になることがあればいつでも聞いて下さいね」


 そこで一度言葉を切ると、ノワールを広間全体に響くように、両手を一度だけ叩いた。

 

「……それでは、皆さん! こんな素性の主人ですけれど、引き続きどうかお力添えをよろしくお願い致しますね。健康診断お疲れ様でした」


* * * * * * * *


 ようやく解散となりほとんどの人間が出ていった広間には、後片付けをしているアイシャとノワールだけが残っていた。会話もなく、ただ片付けの音だけが広間に響く。

 ノワールも片付けをしているかというとそんなことはなく、アイシャが持ってきた椅子に座り、上機嫌に足をぶらぶらさせているだけだった。アイシャはというと、先ほどのノワールの発言が気になっているのか片付けをしながらチラチラと主の方へ目を向けていた。


 やがて片付けも終わり、2人も広間を出ようとなった時、アイシャは主へ尋ねた。


「主様、伺っても宜しいでしょうか」

「構いませんよ。なんでしょうか」

「奴隷制度の撤廃の話なのですが……」

「そのことですね。すみません、隠していて。実現の目処がようやく立ってきて、不確かなことは伝えたくは無かったのです。まだまだ先になるとは思うのですが……」

「奴隷制度を無くして……主様は何をされるおつもりなのでしょうか……?」


 不安げに、先ほどのハインと同じ質問をするアイシャに、ノワールは呆れる様子もなく笑顔で答える。


「勿論、アイシャもハイシュもリズも皆を幸せにするつもりですよ」

「……そこには勿論主様も……主様も幸せになる……のですよね?」

「勿論。皆の幸せが、私の幸せですから」


 それはあまりに完璧な笑顔を向けられたからか。一瞬の逡巡も無く返事が返ってきたからか。或いは無意識のうちに違和感を覚えたからなのか。

 

 アイシャは、そのノワールの言葉に、反応に、僅かに引っ掛かりを感じていた。しかし、その違和感の正体を確かめる前にノワールが歩き始めてしまう。慌てて広間の扉を閉め、主人を追いかける間にその違和感はどこかへ霧散してしまった。


 広間から出てしばらく歩き、二人は分かれ道で立ち止まり向かい合う。

 

「それでは主様、私は道具を片づけて参ります」

「今日は本当にありがとう。とても助かりました」

「いいえ、お困りでしたらいつでもお呼びください。すぐに駆け付けます」

「ありがとう。それとごめんなさい、少し疲れてしまったから休ませてもらいますね」

「畏まりました。お部屋までご一緒いたしましょうか」

「いえ、大丈夫。少し休んだらお仕事の続きもしないといけませんし……3時間後に私が戻ってこなかったら申し訳ないのですが起こしに来ていただけますか?」

「畏まりました。ごゆっくりお休みください」

 

 アイシャは頭を下げ主人を見送ると、くるりと逆を向き廊下を歩き始める。その音を聞きながらノワールも自身の私室を目指し歩いていく。

 やがて、自分の部屋へと辿り着く。中へと入ると、扉が閉まっていることを確認し、その場にしゃがみ込む。


「……嘘ついてごめんなさい」


 ノワール以外に分かることのない、誰かへ向けたその謝罪は、発した本人以外に聞かれることは無く暗い部屋の中に消えていった。

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