第15話 昔話と失明の真実

 ――むかしむかし。今から百余年程前のこと。ある貴族の家に、それはそれは可愛らしい女の子が生まれました。貴族の家では男の子が望まれる場合が多くありますが、その女の子が産まれてがっかりされる、なんてことは無く、両親から沢山の愛情をもらって育てられました。


 使用人たちからも領民からも信頼の厚い貴族の夫婦は、新たな家族と共にそれは幸せな日々を送っていました。


 しかし、女の子が10歳の誕生日を迎える日に、両親は突如として帰らぬ人になってしまったのです。馬車の車両事故、或いは賊からの襲撃。その他にも色々な憶測が飛び交いましたが、持ち帰られた遺体には、痛ましいほどの傷痕きずあとが残されており、誰の目から見ても何者かの手により殺害されていることは間違いありませんでした。


 亡くなった母には姉がいました。女の子にとっては叔母にあたります。叔母は女の子の母親の死から間もなく、叔母の旦那さん、叔父と娘を連れて女の子の屋敷へとやってきました。女の子の代わりに当主になろうと言うのです。

 正式な跡継ぎの居ない貴族の家では、唯一残された血縁者の女の子が次の当主になります。しかし、突然一人ぼっちになってしまった傷心中且つ幼すぎる女の子には、荷が重すぎました。そんな女の子にとって、その提案はまたとない救いの手でした。


 女の子は叔母の作った契約書に、なんの違和感も疑うことも無く喜んでサインをしました。しかしそれも仕方のないことでした。叔母は、女の子の傍に常にいる侍女長が居ないタイミングを狙い、2人きりで話を持ち掛けたのです。

 そして、その日から女の子にとってまた辛い日々が続いたのです。


 叔母が屋敷での権利を握ると、女の子の屋敷内での居場所は無くなってしまいました。住まいは物置なのか屋根裏部屋なのか、今までの広くて物が充実している綺麗な部屋ではなく、狭く何も無い汚れた部屋がてがわれました。

 元々いた使用人たちの中には、叔母に対して反発する者も多くいましたが、逆らったものは直ぐに辞めさせられていき、従うしか無くなりました。

 そして女の子には、優しい家族も、暖かい家も、頼れる味方も、何もかも残されはしませんでした。


 ……え? 女の子が可哀想? そうですね、度重なる災難に女の子の心は酷く疲弊ひへいし、生きる希望を見出すことは難しい状態になってしまいます。あと少しこの状態が続いていたら、自死を計っていたかもしれません。


 しかし、使用人の中には叔母に従うフリをして、女の子の為に屋敷に残る、という者もいたのです。その使用人の中に、やはり侍女長は居ました。侍女長は心を鬼にして、女の子を叱咤し、激励し、生きるよう言い含めたのです。私が何とかしてみせますから、と。不運と裏切りにあってばかりだった女の子は勿論その言葉に、最初は酷く抵抗を覚えました。それでも、屋敷内で自身が遥かに小さい時から仕え、支えてくれた侍女長の必死の訴えに、女の子はなんとか生きることを選びました。


 そして、叔母たちは恐らくそんな生きる目をしていた女の子が許せなかったのでしょう。契約書があるとはいえ、屋敷の乗っ取りに際して、直系である女の子の存在は邪魔でしかありません。

 でも、自分たちが手を降してしまえばバレた時に処罰を受けてしまう。女の子が自死をしてくれれば、両親の死のショックからと言い訳ができます。

 そんな死ぬ寸前だった女の子の目に、少し生気が戻ったのですから、叔母たちとしても面白くはないでしょう。


 当時は"まじない"なんてものが流行っていました。旅人や行商人、兵士なんかの間でよく使われていたもので、相手の息災を祈り、行程の無事を願うものですね。そういった優しいものだったのですが、それが転じて逆のことを相手に願う物も流行りました。それが"のろい"です。


 あの人間に消えてほしい、あの人間の不幸を願う、あの人間がもっと悲しい目に遭えば良い、というような物です。悲しい限りではありますが、まじないにしろのろいにしろ、実際に影響があったわけではありません。


 まじないの言葉を掛けられ、無事に済んだ人、運が良くなった人も中にはいるでしょう。でもそれは本人が十分に気をつけていただけ、或いは運が良かっただけ。

 のろいの言葉を掛けられ、不幸な目に遭った人、運が悪かった人も中には居たでしょう。でも、それは不注意だっただけかもしれないし、運が悪かっただけ。


 まじないものろいも実在しないのです。……本来であれば。


 叔母は女の子を呪い殺そうとしたのです。眉唾まゆつばものだと多くのものが思っていましたし、事実何もあるはずは無いのです。しかし、叔母はそうは思っていなかったようでした。

 呪いをかけることには色々な手段がありますが、中には生き物の死体なんかも用いる邪悪な物もありました。ほとんどの人間が手を出そうとしませんでしたが、その分強力なのろいになるのだという話を真に受け実行してしまったのが叔母だったのです。


 領地から犯罪者を数人連れてきては、本来の処刑とは違う残虐ざんぎゃくなやり方で何人もの人間を処刑していくようになったのです。叔母のやることに使用人は口を出せず、叔父も娘もそれを悪い事だと思っていなかったようでした。もはや暴走にも近い状態だった叔母を、止められる者はいませんでした。

 

 そしてその日がやってきたのです。多くの死者の血を用いて、地面に怪しげで大きな模様が描かれた物置小屋に女の子は連れてこられました。……そこまでするなら、もう直接手を下しても変わらないのではとも思うかもしれませんが、そんな常識的な考えが通用する状態ではなかったのでしょうね。


 そしてよく分からない言葉を長々と呟き、怯える女の子に向かって手をかざしました。


 しかし何も起こりませんでした。


 思い描いていた結果が得られなかった叔母は、何度も謎の言葉を呟き、女の子に手を翳すという動作を繰り返しました。しかし何度やっても何も起こりませんでした。結果を見に来たらしい叔父も、上手くいっていないことを理解すると自身も叔母と同じことを繰り返しますが、やはり何も起こりませんでした。

 

 既に歯止めが利かなくなっている人間が、思い描いていた理想とは真逆の結果を得たのです。するとどうなるでしょう?

 叔母は結局、女の子に襲い掛かりました。叔父はそんな叔母を止めることはなく、何度も何度も謎の言葉を呟き続けていました。


 叔母が女の子に襲い掛かるのと同時に物置小屋の扉が開け放たれました。そこには女の子を支え続けた侍女長がいました。姿が見当たらなくなった女の子を必死に探していたのです。

 意味不明な光景が広がっているにも関わらず、侍女長はすぐに叔母と女の子の間に入り叔母を止めたのです。


 頼れる人間が現れ、女の子はほっと胸を撫でおろします。そして侍女長が暴れる叔母をなんとか抑え込もうとしている、そんな時でした。


 不意に足元の不思議な模様が光を発し始めたのです。叔父の努力が実を結んだのか、叔母の負の感情が奇跡を起こしたのか、原因は不明です。

 しかし、だんだんと光の強さが増していく模様から侍女長は何かを感じ取ったのか、拘束しようとしている叔母を離し、女の子の元へ駆け寄ったのです。そして、まるで守るかのように全力で抱き締めました。



 

 ……やがて、一番強い光を放ったと思うとすぐに弱まり、元の薄暗い物置小屋が戻ってきました。しかし、物置小屋の中にはいくつもの変化がありました。


 1つ目は、傷一つ無いはずの侍女長が、突如としておびただしい量の血を吐き出しました。頭から血を浴びた女の子は悲鳴を上げ、叔母と叔父は歓喜の声を上げていました。それはもはや狂気の声だったかもしれません。


 侍女長は何とか倒れまいと堪えようとしていましたが、その意志も空しく、侍女長は力なく地面に倒れ伏しました。侍女長に何度も声をかける女の子と、その女の子の呼びかけに何とか答えようとする侍女長でしたが、変化はそれだけに収まりませんでした。


 突然女の子が両目を抑えました。抑える手の隙間から血が流れ落ち、激しい痛みに苛まれた女の子は、悲鳴を上げながら地面に倒れ伏します。その声に反応するように、叔母たちは愉快そうに笑っていました。しかし、その叔母たちも無事では済まなかったのです。


 叔母と叔父があげていた歓喜の声は、急に苦悶の声に変わりました。そしてバタバタと2人の人間が暴れるような音がしたかと思うと、最後に大きな声をあげ、それから二度と何かを発することは無くなりました。どういうわけか、叔母も叔父もその時に事切れていたのです。


 どこかの国では、のろいをかける者には同じのろいが自身に返ってくる、という言葉があるそうです。その言葉を元にした推測ですが、恐らくは女の子を殺める為ののろいを侍女長が受けてしまった。そして残ったのろいでは女の子を殺めることができなかったけれど、のろいをかけた者たちに返ってしまった、ということなのかもしれません。

 

 さて、話を戻しますが、物置小屋には侍女長の弱々しい呼吸音と、女の子の痛みに耐えるような激しい呼吸音だけが聞こえていました。痛みに耐え、何とか目を開こうとした女の子でしたが、開いているつもりでも何も見ることができません。暗闇のせいか、目に血が滲んでいるせいか、その時は分かりませんでした。


 それでも何とか呼吸の音を頼りに、女の子は侍女長の元へにじり寄ります。すると侍女長は優しく女の子をまた抱き締めました。先程のような力強さはありませんでしたが、とても優しく、慈しみを感じるような抱擁でした。


 女の子は泣きじゃくりながらも侍女長に縋りついていましたが、侍女長は頭を撫でながら女の子に最後の力を振り絞り、女の子に言葉をかけます。そして短くもしっかりと言葉を紡ぎ終えると、侍女長の手も力なくだらりと下がってしまいました。


 そうして、原因不明な死を遂げた者3人と、重傷人1人のいる物置小屋に他の使用人が駆けつけたのはもう少し時間が経ってからのことでした。

 使用人たちの手によって、屋敷に運び込まれた女の子が、目そのものを失っているということに気付くのは時間の問題でした。



 




「これが、私が目を失った経緯です」

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