第14話 診療と主の呪い
ノワールたちが街へ行ってから、数日が経過した。それ以降は主がどこかへ出掛けるようなことはなく、何人かの使用人の出入りがあるくらいだった。
新しくやってきて使用人として働き始めた者たちも、屋敷での生活に慣れ、屋敷の主人についてもどういう存在なのか簡単にではあるが周知されていた。とはいえ、自分たちより幼く見える人物が自分たちより年上だ、という話は今のところ誰もが半信半疑、どちらかと言えば嘘だと思われている割合の方が多かった。
屋敷の主人は特定の衣服へ着替えて広間へ集まるよう新たな使用人たちへ指示していた。現在広間では、好奇心と疑いの混じった視線を向けられているということを当の本人は知らないまま、白衣を纏った男を紹介するようにノワールは立っていた。
「ご紹介します。こちらはヴェルデ。本日は健康診断と身体測定等、皆様の健康状態の確認をしてもらう為に来ていただきましたお医者様です」
「……どうも。……ヴェルデでもなんでも……好きに呼んでください」
目の下に隈のできたその不健康そうな医者は、陰気な雰囲気を隠すことも無く無愛想な挨拶をした。本当に大丈夫なのかと不安がる者もいるが、ノワールは気に留めることなく話を進める。
「頼まれていた器材は用意させていますが、他に何か必要なものはありますか?」
「……一人、女性の使用人を呼んでもらえますか。……女性もいるようなので」
「あっそうでした、気が回らずすみません。今は……アイシャが空いていたと思いますから聞いてきますね」
「……お願いします」
小走りで部屋を飛び出していく主人の姿を見送り、新しく来た使用人たちとヴェルデだけの空間となる。誰が口を開くでもなく沈黙が流れる中、ヴェルデが器材の確認をする音だけが時折響いていた。
程なくしてアイシャを連れてノワールが戻ってきた。話は通っているようで、ヴェルデと二言三言話をしたアイシャはそのままヴェルデの横についた。
「他には特にありませんか?」
「……後は、母上も受診していってくださいね」
「私も、ですか?」
至極当然のように、ヴェルデが幼い主に向かって『母上』と呼んだことに驚いている者もいたが、『婆さま』と呼んでいる人間もいたことを思い出しすぐに納得しているようだった。
呼ばれた本人は呼称ではなく、受診するよう言われたことに驚いていた。
「でも私は……知っているでしょう?」
「……変化がないという記録になります。……それに、もしかしたら、もあるかもしれません」
「そ、そうですか……そうですね。では、折角ですし診てもらいますね」
「……そうしてください。……それでは、始めましょうか」
本当に診察が始められるのか、或いは実験でもしようというのかという声音で告げられた使用人たちは、最初は様子を見たいという気持ちが一致し、誰から行くかの譲り合いへと発展していた。その空気を察してノワールが自ら歩み出た。
「流れの説明のためにも、私からやってみましょうか」
「……ありがとう、母上。……君たちも、流れをなんとなく見ながら順番を決めておいてくれ。……男性から先に診るから。……その間に女性はアイシャのところで身体測定だよ」
覇気を感じない声とは裏腹に、指示だけはしっかりと出してからヴェルデは診察を開始した。
ノワールは指示を聞かずとも要求されることは分かっていたが、今回は後の者たちへの説明も兼ねているため、一つ一つヴェルデが確認したいことを発言してから行動した。
「……目を見ますよ」
「はい」
ノワールの閉じられた瞼を、ヴェルデは押し上げた。そこにあるべき眼球は無く、暗闇だけが広がっていた。しかし、眼球が無いにも関わらず、瞼が窪んだり潰れたりしておらず綺麗なままだった。眼球だけがそこに足りていないという表現が正しいのかもしれない。
暫しの間その闇を光で照らしていたが、程なくして手を離した。
「……すみません。……まだまだ自分の力も知識も及ばず、母上の目をなんとかすることはまだ難しいです」
「いえいえそんなそんな! ヴェルデの評判は私の耳にも入っていますよ。若き天才医師とまで呼ばれていて、私は誇らしい限りなんですからそんなに卑下しないで大丈夫よ」
「……自分が医者になったのは母上のためですから。……もっと頑張ります」
「頑張りすぎてはいけませんよ。貴方が倒れては、私はもちろん他の患者さんだって悲しんでしまいますから」
「……そっちも頑張ります」
真剣な声音で答えるヴェルデに対して、ノワールは困った表情で笑うだけであった。
やがて診察を終えると、ノワールが使用人たちがいる方に向かって声をかけた。
「流れとしてはこんな感じです。ヴェルデに聞かれたことは、嘘をついたり隠したりせず、正直に答えてくださいね。それでは、次の方どうぞ」
ばらばらにではあるが全員が返事をしたことを確認すると、ノワールは一瞬何かを考えアイシャの元へ向かう。
「主様。如何されましたか?」
「私も一応測っておこうかと。待っていますから、皆が終わったら教えてください」
「畏まりました。こちらでお掛けになってお待ち下さい」
アイシャに差し出された椅子に腰掛け、ノワールは耳を澄ます。男性陣の診察も、女性陣の測定も問題なく進んでいる様子を確認し、ほのかに笑みを浮かべていた。
暫くして男女が入れ替わり、交代後の診察も終わるとヴェルデは大きく伸びをし、ポキポキと他の人間に聞こえる程に音を鳴らす。そしてまた覇気のない顔をして口を開く。
「……はい、お疲れ様でした。……ひとまず今日はここまで。……必要な人には言ったけど、薬が必要そうな人は後日また自分が持ってくるのでその時にまた詳しく説明します」
「お疲れ様でした、ヴェルデ。忙しい中時間を作ってもらってありがとう。家の事情が事情なので、ヴェルデにしか頼ることができなくて……」
「……もっと頼ってくれてもいいのに。……呼んでくれたらすぐに来るよ」
「ふふふ、ヴェルデの時間を独り占めなんてしたら、他の患者さんたちから怒られてしまいそうです」
「……へへ……自分が怒られるだけだから安心して」
2人の世界に入ってしまっているのか、アイシャ含めた他の使用人たちはその世界に入り込めずにいた。しかし、その空気を取り払ったのはノワールだった。両手を二度叩き、周りが話を聞ける空気に変えた。
「はい、今日は集まってもらってありがとうね。ハインの腰も、他の皆の悪いところも良くなると良いですが、詳細は後日ね。何かヴェルデに聞きたいことがある人は、ヴェルデが帰ってしまうまでか、薬を持ってきてくれる時にお願いします。この後の時間は各自自由にしてもらっても構いません。後は…………何かある人いますか?」
「主様。例の件ですが、折角集まっておりますし時間に余裕があるなら今が丁度良い機会ではないかと」
「例の……? ……あっ! そうですね、有難うアイシャ。あっでもヴェルデの時間も……」
「……それじゃあ、自分に何か用事がある変わった人は、次までに紙に書くとかしてまとめておいて。……また来た時に確認する」
「だけど、そうしてまた戻る必要が出てきたら大変じゃ……?」
「……その時はまた帰ってくる口実ができるからいいよ。……それじゃあ、またね母上」
ヴェルデの言葉に、ノワールは思わず顔を綻ばせる。
覇気のない顔に変わりはなく、ノワールはヴェルデの顔を視認できないことも変わりない。それでもヴェルデは、嬉しそうににへらと笑い、手早く帰り支度を済ませて広間から出ていった。
全員で一風変わった男の後ろ姿を見送り、また視線はノワールへと集まる。ノワール自身も、きっと自分が話を始めることを皆待っているのだろうと察し、すぐに口を開いた。
「伝え漏れていて申し訳ないのですが、もう誰かから聞いているかもしれませんね。私の見た目と言いますか、年齢のことです」
噂が気になっていた使用人たちは少しざわつくが、またすぐに静かになった。
静かになったことを確認したノワールは、やはりなんでもないことのように自分のことを語る。
「見た目は10歳前後で止まっていますが、私が生まれたのは今から約100年程前になります」
本人の口から言われても、やはり信じられないことというは往々にしてあるものだ。今回も例に漏れず、あまりにファンタジー過ぎる事を言われた為、首を傾げる者は多くいた。
そして、そんなことは
「私は、100年前に"呪い"をかけられました」
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