第13話 使用人たちと噂の正体
「それじゃあ今日はお疲れ様でした! リズもナイラもとても疲れたでしょう? 今日はもうゆっくり休んでね、明日また振り返りをしましょう」
何事もなく帰路に着いたノワールたちは、主人の一声で本日は解散となった。屋敷の中を完全に把握しているノワールは一人でどこかへ立ち去っていくが、リズはそれを呼び止めはしなかった。そのリズの様子を認めたナイラは、リズの頭にポンと手を置くと撫でながら声をかけた。
「リズ、偉いね」
「い、いえ。ご主人様の身の休息が第一ですから……ナイラさんは、ご存知だったんですか? その、ご主人様の外部での評価、というか……」
「んむ? まあそこそこに。一番詳しいのは一番古株なセバスチャンだと思うけど、あの人も実際のことは知らないんじゃなかろうかい」
「私の名前が聞こえましたが、こんなところで立ち話ですか?」
「うお、出た」
玄関で立ち話をしている2人の元へ、セバスチャンが呆れた顔で近付いてきた。わざとらしく驚くナイラと、頭を下げるリズに対し、セバスチャンは短く息を吐いた。
「2人もお疲れでしょう。今日は何もしなくて良いので、無駄話をしていないで着替えなど諸々済ませて早く休みなさい」
「セバスチャーン、リズに街でのご主人の話をしてあげてー?」
「休みなさいと言ったばかりでしょうに……今がよろしいですか?」
「そ、そんな私は……セバスチャン様もお忙しいでしょうし……」
両手で断るような素振りを見せるリズだったが、セバスチャンは時計を一瞥すると少し考えてから口を開いた。
「ふむ。……では1時間……いえ、帰ってきたばかりならば余裕を持って……後の時間も考えて……そうですね。90分後、図書室に2人共集まってください」
「えっ、私も?」
「貴女が言い出したんですから、最後まで面倒をみなさい。それでは後ほど」
「はぁーい。ほれ、リズお風呂とか済ませちゃお」
「あ、は、はい!」
リズたちが立ち去る方向とは逆の方へ、セバスチャンは歩いていった。先を歩くナイラに少し駆け足で追いつくと、リズは不思議そうな顔をして尋ねた。
「あの、私断ろうとしてたはずなんですが……」
「んー? まぁ教えてくれるって言うんだしいいんじゃないかな。それに、ご主人に直接聞くのも忍びないでしょ?」
「それは……そうですね……」
ノワールが『誹謗中傷や悪い噂は訂正しなくて良い』と言っていたこともあり、領民からノワールへ向けられる評価について、ノワール自身が既に承知していることはリズにも察しがついた。
それでも、領民から魔女だなんだと忌避されている本人に、事情を聞いて説明させるというのは、リズもナイラも憚られた。
ナイラ自身もリズに聞かれた場合になんと説明すれば良いか考えあぐねていたため、セバスチャンがその役を請け負ってくれるのは思わぬ助け舟となっていた。
「まぁ、リズは遠慮しちゃうからね。セバスチャンも分かっているから、ああ言ってくれたんだと思うよ」
「遠慮……していますかね」
「ははは。よく遠慮しているのを見るねぇ。新しい子たちが来たけど、まだまだリズも甘えていいんだからねぇ」
「は、はぁ……」
「よーし、ナイラおばちゃんが体を洗ってしんぜよーう」
頭を撫でられながらも、リズはナイラと共に浴室へ入っていく。2人は入浴を済ませ、入浴後の諸々、翌日の準備、持て余した時間で少し図書室で雑談をしていると、90分ちょうど経過した頃にセバスチャンが図書室へ現れた。
「2人共、ちゃんといますね」
「はーい。遅刻したら怒られそうだし」
「言い出した貴女が遅刻してたらそうですね。さて、夜も遅いですし手早く済ませましょう。貴女方の睡眠時間を短くしてしまうと、私がご主人様から怒られかねませんから」
「はーい。ということで後はリズにお任せ」
「は、はい」
腰掛ける女性陣2人に対し、セバスチャンは座ることなく図書室内を見て回る。既に本棚に片付けられた蔵書を一冊手にとっては、パラパラとページを捲り直ぐに戻す。そんな動作を何度か繰り返した後、ようやく口を開いた。
「ご主人様の、街での評判は既に耳に入っている、という認識で間違いないですか?」
「あ、えっと、そうです。どうして魔女だなんて……」
「所詮は噂の域を出ないことを、いつしか真実であるかのように語る人間は出てくるものです」
「あんなに領地の事を考えていらっしゃるご主人様があんな言われ方……だってあの街のことも全部……!」
「そうですね。あの街のことも含め、
俯きがちに、しかし明確な憤りを感じさせる口調でリズは言葉を吐くが、セバスチャンの返しは至って冷静だった。
「本来はあの街で暮らす本当の領主がすべきこと。何もしていないどころか、
「そうだそうだー」
「そうですよね! ならばやはり、ご主人様の為になんとか――」
「しかし、その評判に対し改善しようと我々が動くことを、ご主人様は良しとしないでしょう」
セバスチャンは手に持っていた本をパタンと閉じ、また本棚に戻すと次に新しく手を伸ばすことは無く、リズとナイラ2人が座る席までやってきた。後ろ手に手を組み、姿勢よく立ったまま、やはり冷静に言葉を紡ぐ。
「大衆の意見というのはそれだけ変えることは難しく、また異を唱える者は異端と扱われる。その過程で我々まで蔑ろにされることがあれば、あの方は酷く心を痛められるでしょう。恐らくご主人様から何もしなくて良い、という旨の釘を刺されているのでは?」
「はい……でも、それではどうすれば……」
「気にするな、というのも難しいでしょう。ただ、我々が数人の力で、民衆が共通して認識している話を一斉に改めることは到底不可能。私を含めこの屋敷の人間が幸い街に行かなければそんな事を言う者もいませんし、何とか堪えてもらえないでしょうか」
不意に、セバスチャンは深々と頭を下げた。リズは慌てて頭を上げるように言ったが、ナイラは冷静な目を向けていた。
「セバスチャンの話は分かった。分かった上で一個聞きたいんだけど、ご主人の目指している所って結局どこなの?」
「どこ、というのは?」
セバスチャンは頭を上げると、訝しげな表情でナイラを見る。少しも怯むことなく、ナイラは話を続ける。
「ご主人のことだから、きっとこの先も同じことを続けていくんだろうけど、どこが最終目的なのかなって。街の皆から悪く言われてるのはもうどうしようもないとして、それでも領地の管理は続けるでしょ? 結局ご主人がどうなりたいとか、領地をどうしたいとか、そういうご主人の求めてる結果、みたいな?」
「民の生活は今の代が居なくなっても次の世代、また次の世代と、この先も続いていきますからな。そうである以上、国が滅び、ご主人様が領地の管理をする必要が無くなるまで、ご主人様は民の生活をよりよくしようと続けられるでしょう。つまり、最終目的というものはないやもしれませんな」
「ふぅーん? …………ずばり聞くんだけど。セバスチャンさ、何か隠してやいないかい?」
突然鋭い目付きをセバスチャンに向けるナイラに対し、セバスチャンは動揺など微塵にもしていない、感情を伺わせないいつも通りの表情で見返す。
唐突に見えない火花を散らし始めた2人に、リズは動揺を隠せない。しかしセバスチャンは至って冷静に言葉を返すだけだった。
「隠し事ですか。
「うーん、例えば……ご主人から何か秘密を打ち明けられてたり……特別任務が与えられてたり? なーんか最近変な感じするんだよね。どう?」
「私もご主人様の御心の全てを教えていただいている訳ではありませんので、そういった事は何も」
「ほほー? ふぅーん? 本当かなー?」
「ほほ、事実にしろそうでないにしろ、私からはこう答える以外ございませんよ。そんなに気になるのなら、自身でご主人様に聞いてみるほうが手っ取り早いかと思いますが」
ナイラは何かを確かめるようにじっとセバスチャンを見ていたが、やがて諦めるように大きくため息を吐いて視線を外した。
「……はぁ。流石に腹の探り合いで勝てる気しないや。あ、でもこれだけは確認しておきたいんだけど」
「なんでしょう」
「何かしてるにしても、する予定にしても、それはご主人のためになる事、だよね?」
「そうですな。何か命じられてもご主人様が悲しむような物であれば拒否しておりますよ。これまでも、これからもその予定です」
「ん、じゃあいいの。ごめんねリズ、遮っちゃって」
「えっ、えっと。今の話は一体……?」
「んーん。私の思い過ごしみたいだったからだいじょーぶ」
唐突に話が変わりついて行けなくなったリズはオロオロとしてしまう。その様子を見兼ねたセバスチャンが、一度大きく咳払いをする。
「オホン! ともかく、領地での噂については何もしないでいただけると助かります。ご主人様の考えもあってのことですので。よろしいですね?」
「わ、わかりました……」
「りょうかーい」
「それでは2人とも、夜も遅いです。自室へ戻って早く休むように」
リズとナイラは返事をして図書室から素早く出ていった。一人図書室に残ったセバスチャンは、足音が遠ざかったことを確認してから短く息を吐いた。
「優秀な者、或いは育ち優秀になった者。貴女様より小さかった子たちが、こんなに敏く立派になったのは誇らしく思いますが、優秀になった分騙し続けるのも中々骨が折れる。ほほ、全く貴女様の共犯は大変でございますな」
言葉とは裏腹に楽し気な笑みを浮かべて図書室を後にするセバスチャン。やがて夜も更け、屋敷にも静寂が訪れるのだった。
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