第5話 幼い兄弟と無表情な使用人

「それでは、今回はこれでお開きとします。お時間いただいてありがとうございました。相談したいことがあればいつでもご相談してくださいね。それとエミルのお願いの準備、進めておきますね。急がなくちゃ」


 ノワールはステップを踏むかのように上機嫌に広間を後にした。リズと呼ばれていた使用人は扉を開くこともなく、出ていく主を見送ると残っている人間たちを無言で見つめていた。そんなリズを不気味に思っていた人も、一人、また一人と様子を伺いながら広間を後にする。


「それでなんなんだよ、勉強がしたいって……?」


 諸々片付くまで待っていたのか、ノワールが居ないタイミングで聞こうとしていたのか、周りに人がいなくなったことを確認したロンドはエミルへ疑問をぶつけていた。

 何度か口を開いては閉じ、言葉を探していたエミルは、意を決して口を開いた。


「……兄ちゃん、あのね、僕たくさん勉強して、ここで早く働けるようになって、大人になったら偉い人になって、兄ちゃんを楽させたいんだ」

「お、お前……そんなこと考えてたのか……? そんなこと気にしなくていいんだ。お前は兄ちゃんが面倒見てやる。こんなとこも早く抜け出して、お前のしたいことをすればいいんだ」

「で、でも兄ちゃんだってやりたいことあるでしょ? だからここで少しでも兄ちゃんの力になれるように勉強したいんだよ。ノワール様も悪い人には見えないし、少しは頼ってもいいんじゃ――」

「そいつに買われる前に居たところが、そんな考えで辛い思いをしたんじゃないか。利用してやるのはいいけど、あんまり入れ込み過ぎちゃ――」


 弟の言葉に感動しているロンドと少し気恥ずかしそうにしているエミル。そんな二人が言い合いを始めそうになった頃に、二人に近付く人影があった。


「お二方」

「「わぁ!?」」

 

 リズがすぐ側まで近付いてきていたことに気付かなかった兄弟は、話しかけられて飛び上がりそうな程に驚いた。


「び、びっくりさせんなよな!」

「失礼しました。お二方は私が仕事をお教えするよう申し遣っております。ご用がお済みでしたらついてきていただけますか」


 淡々と無表情に告げるリズに、ロンドは気圧されるように後退る。それでもエミルの前に守るように立ち続けた。


「……」

「つ、ついていけばいいんだろ……」

「はい、こちらです」

「よ、よろしくお願いします……」


 歩きだしたリズに、置いていかれないよう少しだけ早歩きをする兄弟がたどり着いた先は、図書室だった。


「こちらで本の手入れを致します」

「うわぁ…………ん? なんでこんなに本があるんだ?」


 ロンドが口にしたそれは、至極当然とも言える疑問でもあった。一貴族が持つにしてもその部屋にある蔵書の数はあまりにも膨大であることが一見して分かる程だった為だ。

 しかし、エミルはその言葉を聞くなり慌て始めた。言葉にこそしていないが、あの主人に対して、そしてあの主人に仕える者の前では配慮に欠けている、と感じたからだ。


 ――どうして目が見えないのに本なんかこんなに集めているんだ。


 そう言外に言っていると捉えたエミルは、どうすればいいのか頭を必死に働かせようとした。

 しかし、気に留めていない様子のリズは、なんの変化もなくまたロンドの疑問に答える。


「この蔵書は私どもの為の物です」

「使用人の?」

「その通りです。つまり、貴方様方の物でもあります。エミル様のご要望の準備ができるまでの間、蔵書の整理や手入れの方法を学んでいただくよう、ご主人様より仰せつかっております。文字は読めますか?」

「あ、あの、い、いいえ」

「畏まりました。そちらも並行いたします」

「そ、それはエミルだけでいいだろ! なんで俺まで」


 反発して部屋から出ていこうとしたロンドの腕をリズが掴んだ。と思えば何も喋らず、また無言のままロンドを見つめていた。


「な、なんだよ……なんか文句あんのかよ……」

「…………」

「なんだよぉ……なんか言えよぉ…………」

「……………………」

「…………わ、分かった、分かったよ! エミル一人にするわけにもいかないし、ついでだからな、ついで!」

「ありがとうございます」


 根負けしたロンドが降参とばかりに外に向けていた足を図書室内へと向け直すと、リズは手を離した。


「この図書室は、数十年以上昔からご主人様が集め続けてきた物の結晶で、今尚増え続けています。外にいるものが持ち帰って来る為です。そしてその持ち込まれた書籍が増えれば増えるほど、どこに何があるかが曖昧になって、汚れや破損のある書籍が後々になって発見されます。そういった書籍がないか確認する必要があるため、定期的にこうして蔵書の点検を行う必要があるのです」

「さっきエミルも言ったけど、汚れとか見つけるだけならできそうだけど、整理は俺たち文字読めないから無理なんじゃないのか」

「お教えしながら整理するので、少しずつ進めて参ります」

「よ、よろしくお願いします」

「はい、それでは早速この本ですが――」


 独特の雰囲気を持つリズに、最初こそ戸惑いながら仕事を始めた二人だったが、仕事を教えてもらいながら同じ時間を共にすることで次第に慣れていった。

 リズの教えぶりは丁寧、且つ何が分からないかも分かっているかのように適切に説明をする。そして分からないことを言わなかったり、困った素振りを見せると気が付けば側にいて説明していく。


「見たことない字で書いてある! リズさん! この本は何が書いてあるんですか!?」

「こちらは言語が異なりますが、医学書ですね。言語問わず集められているので、そういった書籍も混ざっています。こちらは私の方で片付けますのでお渡しください」

「この文字の勉強もできますか?」

「今は母国語に注力しておりますので、一旦後回しです。お二人とも飲み込みが早いので、母国語の読み書きが問題なく行えるようになればこちらもお教えいたします」


 すっかり打ち解けた様子のエミルに呆れつつ、そんな呆れ顔のロンドも、リズのこちらへの淡々としつつも気遣いに満ちた対応が案外心地よくもあった。

 そんな時、ロンドはふと疑問に思っていたことをリズに聞いてみることにした。


「…………そういや、なんであんたはここで働いているんだ?」

「私がそう望んだからです」


 普段のリズの喋り方は、抑揚が余りなく、淡々と何かの説明書を読み上げているような物だ。

 しかし、その問いへのリズの返答は違った。ほんの数時間の付き合いでも分かる程度に、リズの答え方が少し喜色を帯びたものであることをなんとなく感じ取っていた。

 他人が喜ばしく思っているものを悪くいうのも、それでリズに嫌われるのもどことなく嫌に感じたロンドは、それ以上話題を広げることはしなかった。

 

「ふーん……ま、いいけど。よし、これも問題なかったぞ」

「ありがとうございます。棚に戻す作業はまとめて行いますので、この書籍は……こちらに」

「ん」


 新たに持ち込まれて棚に仕舞われていない本の山を、一冊一冊確認していく。リズは、仕事をしながら二人の分からない文字を教えたり、確認が済んだ本の確認者欄に二人の名前を書かせたりして読み書きを教えていく。ロンドとエミルは教えてもらったことを頭に入れ、言葉にしながら書いてみて教わっていく。

 時折雑談をはさみながら、今日出会ったばかりとは思えない程の馴染んだ空気のまま、あっという間に昼を迎えていた。


 リズが確認していた本をパタンと閉じると、時計に目を向けゆっくりと立ち上がった。

 

「午前はお疲れさまでした。教えるペースに問題はなかったでしょうか」

「だ、大丈夫です! 分かりやすいですし覚えやすいですし、読めなかった本が少し読めるようになったのがすごい嬉しいです!」

「まぁ俺も……いや、俺はついでだからあんま関係ないけど、だいたいエミルと一緒だ」

「それは何よりでございます。それでは、昼食の時間といたします。図書室内で飲食はできませんので、一先ず部屋を出ましょう」

「わかりました」


 三人が図書室を出ると、朝よりも幾分か人の気配が増えているようだった。庭で剪定作業をする音や厨房で料理をする音が聞こえてくる上、廊下で窓や花瓶といった物を掃除している姿も見受けられた。


「昼食を終え、一休みした頃にお戻りください。私は、お二人が戻ってくるよりは早く図書室に戻っておりますので」

「うーん……?」


 リズの言葉を聞きながら、ロンドは首を傾げた。その仕草の意味を問いかけるように、エミルとリズの視線が向く。


「あぁいや……ここにきてずっと思ってるんだけど、奴隷の扱い方じゃないなって。主人とあんたらの関係は分からないけど、買われた俺たちの扱いがなんか……それに重りとか手錠とか首輪とか、縛る物も無いし、家の中自由に動けるのも……なんか上手く言えないんだけど」

「ぼ、僕も思ってたけど……普通に人を雇って働かせているみたいというか」

「そうそう」


 リズはじっとロンドを見つめ始めた。

 ロンドとエミルが、リズと過ごして気付いたことがある。このリズの行動の意味についてだ。

 

 リズがじっと誰かを見つめて黙っているときは何かを考えているときだ。読み書きについての質問をした際、時折リズが黙って見つめてくる時間があり、なんとなく検討がついていた。

 行動の意味さえ分かれば変に緊張する必要もない――はずなのだが、それでも緊張してしまうのは仕方がないことだった。その理由の一端には、リズの容姿も関係していると言える。

 簡単に言えば、美人に見つめられると否応無く緊張してしまう、という訳だ。


 ロンドがぼんやりリズの顔を眺めていると、花のような色艶をした美しい唇が動いた。


「ご主人様が、私どもを虐げる存在としてではなく、家族のような関係を望まれております。奴隷の身分であるために購入という手段を用いられておりますが、本当は奴隷という制度自体には反対でおられるようです」

「はっ、奴隷制って貴族たちが望んで作った制度だったよな? 最初は欲しいって言っといてやっぱり要らないって言いだしたのかよ」

「ご主人様はそもそも反対されておりました」

「それで今更奴隷を買って、奴隷たちに優しくして普通の人間と同じように接して、私は普通の貴族とは違います、って?」

 

 皮肉げに言うロンドに、冷静に答えを返すリズ。そして生まれた暫しの沈黙の後、またリズが口を開いた。

 

「……一つ、誤解が無いようお伝えしておきたいのですが、ロンド様とエミル様、そして私含めたこの屋敷の使用人の身分は等しく同じでございます」

「それは、僕たちも使用人のようなものということですか?」


 エミルの疑問に、今度は考える素振りもせずリズは淡々と答えを与える。

 

「私を含め、お二人が来られる前からこの屋敷内で働いている者も正確に言えば使用人ではありません。この国に設けられている身分制度で言えば、私も他の者も奴隷という身分でございます。家も無く、親もなく、奴隷として働き日々命を繋いでいるだけだった所を、ご主人様に連れてきていただきました」


 兄弟は一瞬言葉を失った。目の前にいる聡明で美しい女性が、良い家柄の出身と言われても納得できた女性が自分たちと同じ立場であったことに驚きを隠せなかった。


「い、家が没落した元貴族の方、とか……?」

「……? いいえ、卑賎の生まれでございます」

「で、でもリズさん、読み書きもできますし、他の国の言葉も知ってます……それになんか上品というか……とにかく色んな事を知ってます!」


 得心のいったらしいリズは、ほんの僅かにだけ口許を緩めた。

 それは感情表現が得意ではないリズが、自然と浮かべた笑みであり、二人の兄弟はその笑顔に魅了された。

 リズは胸にそっと手を当て、何かを大事に包み込むように、慈しむように手を握りしめて、嬉しそうに語り始める。

 

「この屋敷に来て、ご主人様や先輩方にたくさんの物を……とても私の人生では返しきれないほどたくさんの物を頂きました。…………その中に、お二人にもお教えしている読み書きや本の取り扱い方も含まれております」

「えっ……? じゃあリズさんはここで……?」


 質問の意図は分からないが、聞きたいことの分かったリズは表情をすっと元に戻すと、あっさりとエミルの問いに答えを返す。


「はい。私がお教えしたこと……この国の読み書きは勿論、他国の言語の読み書き、その他の知識全て、この屋敷で身に付けたものでございます。まだまだご主人様には遠く及びませんが」


 

 その後リズと一旦別れたエミルたちは、その日の仕事も終わり布団に入るまで、信じられない思いとリズが嘘を言っているように思えないという気持ちの狭間で揺れ続け、気が付けば慣れない環境と仕事の疲れから眠りに落ちていた。

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