やさしい影
蝉の鳴き声は今日も暑いぞ! と予告しているようで鬱陶しい。朝顔が薄紫の花を見せている時間なのに太陽の光はもう白く鋭く肌を刺す。夏帽子のメッシュ生地なんて気休めでしかないし、ランドセルを背負った背中はもう汗でじめつき始めていた。
夏の朝の登校時間は憂鬱の一言に尽きる。やってらんないとどうにか訴えたくて、結実は背中を丸めて玄関のドアノブに手をかけた。その背中をビニール袋の擦れる音が追いかけてくる。アームカバーとつばの広い帽子をして真ん丸なごみ袋を持ったお母さんは結実を見ると姿勢の悪さをたしなめた。
お母さんの左手は空っぽだから結実は手を繋ぐ。体温にくるまれた手は汗でべたついて気持ち悪いけれど手を離す気にはなれなかった。
結実は集団登校の集合場所へ。お母さんはその手前のごみ捨て場へ。お母さんはさりげなく結実を道路の端へ誘導して歩く。忘れ物はない? ちゃんと水分補給しなよ? 毎日のように言われて聞きあきた言葉が今日も、朝日と共に降ってきた。
結実と朝日の間にはお母さんがいる。ちくちくと肌を刺す日の光がお母さんの影に遮られて、ほんのちょっとだけ憂鬱がやわらいだ。
集合場所にはもう数人の子どもたちがいた。お母さんはごみを捨てたら仕事に行かなければいけないから、結実の手を離してランドセルをぽんと叩く。
「行ってらっしゃい」
「行ってきます」
聞いているだけで汗が噴き出しそうな蝉の音。ひとりになった掌が
外気を受けて涼しいと思えるのはほんのわずかの間だけ。結実はぐっとお腹に力を入れて、夏の一日に挑みにいく。
そうして年がひとめぐり。
お母さんはもう集合場所についていかなくなって、結実の登校班には小さな一年生が増えた。ぴかぴかのランドセルは夏の日差しを跳ね返して輝き、ランドセルが本体みたいな小柄な体はおじいさんのように前屈みになっている。
夏帽子のメッシュ生地なんて気休めだしランドセルを背負う背中は汗でじめついて鬱陶しい。それでも結実は一年生の隣に立った。
背が高ければ高いほど影も伸びるはずだから背筋を伸ばす。置いていっては意味がないから歩調を合わせる。そうして一年生と朝日の間に入って歩くと、日差しにちくちく刺されるのだってどうということはないのだ。
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