戦闘機乗りと死神のレプリカ

 旋律に歌詞はない。それが男か女かも分からない。血と油の臭いで溺れそうな意識ではそれが人であり、幼く、死の恐怖を吹き飛ばすほどに美しいことしか理解できなかった。

 棺めいた密室コクピットに子どもが忍び込むなどありえないから誰もがそれを幻覚だと言う。彼自身も理性では分かっている。

 分かっているけれど心の奥底にはあのうつくしい子どもとその口笛が焼きついていた。



 今日の任務は領空の巡回。何もなければそれに越したことはないが、退屈で仕方がない。制服の胸ポケットに手を伸ばしたランツを、甲高い声がぴしゃりとたしなめた。

「コックピット内は禁煙」

 ご丁寧にも人差し指を左右に振ってそいつは言う。

 棺桶に毛が生えた程度の大きさしかないコックピットには、ランツ以外の人間は当然いない。ランツは無精ひげの生えた顎をかき、声の主――モニターの傍らに浮かぶ立体映像に苦笑を向けた。

「失敬。しかし集中力を持続させるにはこいつが一番なんでね」

「薬品に依存しなければならないの? 危険な発言だね。本部に報告しておこう」

 男とも女ともつかない、幼い子どもの姿をした立体映像はあからさまに眉根を寄せる。同時に、暗号化プログラムが起動する。

「分かった分かった。俺が悪かったよ」

「よろしい」

 プログラムがシャットダウンされ、ランツは一息ついた。毎度のことだが口ではこの生意気な人工知能に勝てない。やれやれ、とシートに背を預けた次の瞬間。

 彼の目が剣呑な光を帯びた。

「真面目にお仕事しようかねえ? エル」

 ランツの呼びかけに、立体映像はにこりと笑み、告げた。

「前方に『よそもの』五機発見」

 敵機よそもの。砕けすぎた物言いに、こいつが人間だったら二、三発小突いてやるのにとふと思った。

 ランツ・アルテは戦闘機乗り。

 愛機を駆り、〝エル〟ことエルケーニヒ――パイロットのサポートのため戦闘機に組み込まれた人工知能と軽口を叩きつつ、今日も今日とて領空を飛ぶ。彼の敵は赤と白とで塗りわけられた、隣国の戦闘機。



 通信回線を開き、並んで飛ぶ機体に呼びかける。

「一応お知らせしてやれ」

「は、はいっ」

 弾かれたように、新米の若いパイロットが返事を返した。

『頑張ってねハインリヒ。愛してる』

 新米のサポートプログラムが若い女の声で甘く囁く。少しの間の後、彼はたどたどしい隣国語で通告を始めた。

「あー、えー、こちら**国空軍第二部隊所属、ハインリヒ・クーゲル少尉。……貴殿はわが国の領空を侵犯している。速やかに退去されたし。繰り返す……」

 マニュアルには三度この通告を繰り返さなければならないと書かれているが、その義務は果たせそうにない。

 二度目の通告が途切れる。通信機から聞こえたおかしなノイズは新米が唾を飲み込む音。

『来たわ!』

「撃ってきた!」

 対して、警告を放つサポートプログラムは花火見物でもしているかのようだった。

「短気な人間もいたものだな」

「アルテの同類だと思うよぉ。回避」

 さりげなく毒を吐き、エルは管制のサポートに入る。ランツは操縦桿を握った。とりあえず、全弾を避けた。空戦慣れしていない新米は何発か喰らったようだが、深刻なダメージはなさそうだった。

「反撃するぞ坊や。前方の二機をやれ」

 ランツはそう指示を出し、同時に残る三機にレーダーを照射する。エルがこちらに背を向けて、右腕を上げた。

「目標補足。やっちゃえ」

 同時にミサイルのボタンを押す。モニターから敵機の姿が消えた。爆発の衝撃は伝わってこない。

「敵三機撃墜。戦闘ふのーう」

 エルはこちらを振り返り唇を尖らせた。口笛を吹きたいらしいが、生憎ランツは口笛を吹く機能など追加していなかった。仕方なく「ひゅ~」と口で言っているさまは、

「間抜けとしか言いようがないな。残りは?」

「ひとつ撃墜、もう片方はしとめ損ねたみたい。クーゲル機も被弾してて、今ロックオンされてる」

「やれやれ」

「助ける?」

「甘やかすだけが愛情じゃないぞ」

「クーゲルに愛情持ってた?」

「さあ」

 そらとぼけているうちにミサイルが発射された。まっすぐ飛んできたそれを、クーゲル機はなんとかかわす。が、急にミサイルの軌道が変わった。

「追撃型かあ」

 他人事のようにエルは惚けた声を漏らす。両手で湯気の立つマグカップを包み込んでいた。ランツはひとつ舌打ちをすると、クーゲル機に呼びかけた。

「ハインリヒ、応答せよ」

「は、は」

 死の追いかけっこを演じているハインリヒには、まともに返事をする余裕すらないらしい。サポートプログラムは相変わらず甘ったるい声で警告を続けている。

「俺の言うとおりにしろ。進行方向を左60度修正」

 敵が撃ってきた。適当に応戦しながらランツは指示を続ける。

「さらに左……左……そうそう、あとはそのまま直進」

 ハインリヒは指示に従い機体を操る。敵機に突っ込んでいくような形で。

「た、大尉ぃ!」

「騒ぐな! そのまま進め」

 クーゲル機が敵と接触しそうになった時、ランツは咆えた。

「機体を上げろ!」

 急上昇。

 追撃型ミサイルごときではその軌道を追いきれない。

 白い光がモニタを満たす。

 敵が全滅すると元の静かな空に戻った。それ以降は何も起こらず、午後五時きっかりに二人は帰還した。

「お疲れ」

 ランツは軽く手を上げて新米をねぎらった。が、あっけなく素通りされた。咎めようかと思ったが、丸めた背中に漂うかげりがそれを思いとどまらせた。



「アルテは平気なんだ」

 エルが声をかけてきた。

「何が」

 大きな体躯を折り曲げたまま首だけ上げる、という不自然な体勢でランツは訊いた。右手にはボロ布、左手には消臭スプレー。メンテナンスは整備士の仕事とはいえ「あのおっさん最近カメムシ臭い」「加齢臭」なんて陰口を叩かれているのを知っている。気にしたいお年頃なのだ。

 汗がつうとこめかみを滑り落ちる。ほぼ無意識のうちに手にした布で汗を拭った。

「そういうとこね」

 エルが苦笑し、区切りをつけるようにまばたきをした。エルの隣に格納された戦闘機は、これまた掃除の最中だった。整備士が忙しく立ち働くなか、機体の主の姿はどこにもない。

「アルテは平気なんだ」

 エルはさっきと同じ台詞を繰り返す。

「クーゲルは駄目だったのに」

 ハインリヒ・クーゲルはもういない。ストレスのため体を壊し長期休暇をとったと聞くが、それはおそらく一生続く長い休暇になるだろう。

「奴には婚約者がいたそうだ」

 部屋に残されたディスクに彼の思いがつづられていたという。又聞きなので、ランツ自身真実かどうか知らなかったが。

「虫も殺せぬ優しい娘で、二人は愛し合っていた。入隊してからも、メールでやりとりしていたらしい」

「それで?」

「耐えられなくなったんだとさ」

「何に」

「お前にはわからんだろ」

 ランツは笑った。

 ハインリヒは人工知能の人格のモデルに婚約者を使ったそうだ。メールのやり取りを記録したディスクと彼自身の記憶をベースに擬似人格を構築し、立体映像ももちろん婚約者の姿を取って現れるように設定した。

 それは間違いだった、とハインリヒは嘆いたそうだ。

 虫も殺せぬ優しい彼女が「撃て」と自分をせっつく事に耐えられなくなった。何気ない顔で人殺しを迫り、相手を落とすと美しい微笑で褒め称えてくれる、その姿に。

 戦闘機乗りは孤独だ。地面から離れ、棺桶のようなコックピットの中で殺し殺されるという日常は、感傷的な表現をすれば、寂しい。それによるストレスを軽減するために人工知能に人格を与えてあるのだ。親しいものと離れた喪失感を埋めるためには、知人友人を模した擬似人格は有効だろう。

 しかし、いくら人格があるといっても、兵器として差し支えない程度で、という条件つきである。擬似人格は人殺しを恐れもしないし罪悪感も抱かない。死んだことがないから分からないが、パイロットが死んでも悲しむことなどおそらくない。そんなものに親しい人の面影を求め続けたら壊れることもあるのだろう。

「なんでアルテは平気?」

「お前を知ってるからさ」

「わからない。具体的に言ってほしい」

「分からんなら言わん」

 モニターを拭き終え、ランツは体を起こした。大きく伸びをしたはずみに、ずっと曲がっていた腰が軋んだ。いてて、と思わず呻いたら、エルがにんまり笑って口を開きかけた。

「アルテおやじくさ。カメムシ」

「黙っていたら口笛を吹かせてやるぞ」

 とっておきの殺し文句を口にしたら、エルは両手で口をふさいだ。口の達者な人工知能を黙らせることが出来て少しだけ愉快になった。



「口笛?」

 プログラマーの友人は首をひねりながらもディスクを受け取った。

「戦闘に必要ないアプリケーションを、よくもまあ追加しようって気になるな」

「そこを何とか、頼む」 

「まあいいけど……ところでずっと気になってたんだが、これのモデルって誰?」

「少なくとも友人じゃない」

「お前嫁さんいないし……ひょっとして隠し子?」

「違う。なんというかまあ――想い人」

「は?」

 思考停止した友人を置いてランツは部屋を出た。



 それはもう随分と昔、血気盛んな若者だったころ。

ランツは撃墜されたことがある。そのとき見たのだ。男とも女ともつかない、生意気な口を利く死神を。

 しかし死神は、ランツが死ぬ前に彼の前を去ってしまったのだ。それから救助されるまでの間、彼はたったひとりきりでコックピットに閉じ込められた。

 それをきっかけにランツは悟った。

 俺は寂しがりやだから、空の棺桶でたった一人で逝くのは真っ平だ。最後の最後にあの死神の軽口を聞いて、笑ったまま逝きたい。だから人工知能にはあれやこれやと余計な機能を追加し続けている。あれに少しでも近づけるために。

 死神はエルケーニヒと名乗った。

 だから最期の瞬間を共にするであろう相棒の名も、それを勝手に拝借している。

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