第2話 ハデス様の休日②

ーここは現代日本のK市公園、刻は午前八時を過ぎた頃、ベンチに座りジョギングをしている人々をぼんやり眺める金髪碧眼の中年男性が一人…全身黒ずくめの彼こそ神々が畏れる冥界の王、ハデスその人(?)である。


いつもであれば冥界特製エナジードリンクを三本空けて業務の荒波に身を投げ出している頃合いだが、今日一日は故あって彼の生涯初の休暇を過ごしている。


当初は冥府の自宅で過ごす予定だったが、休みの間自分に代わって業務を担う妻ペルセポネのことを考えると心配でロクに心が安まらず、自宅では休みにならんと考えたペルセポネは知人の異邦神ツクヨミに掛け合い、ハデスとは縁遠い日本の地で過ごせる様手配をつけ地獄の番犬ケルベロスをお供として連れて行くようハデスに勧めたのだった。


:あのぉ…ハデス様?

神の権能により小犬に化けたケルベロスが話し掛ける。

ケルベロス:もうニ時間ほどベンチに座ったままですけど、そろそろ移動しません?

 

ハデスの護衛として同行しているケルベロスだが、内心はテンション爆上げ状態だった。久々の外、ましてや初めての異国となれば無理もない。

 

ハデス:…そうだな……そろそろ行くか。

どっこいしょ、っとハデスがベンチから立ち上がる。

ハデス:ペルセポネに勧められるまま休暇を貰ったはいいが、行く宛がないな……

ケルベロス:そうっすねー、とりあえずモーニングでもどうです?

ハデス:朝食か…

 

オリンポスの神々は皆不死の為栄養摂取を必要とせず、食事は完全なる娯楽の一種とされている。今まで仕事に忙殺されてきたハデスにとっては縁の無いものだった。

 

ケルベロス:ちょうど今道向かいの店が営業始めたみたいっすよ。

ハデス:よし、行ってみるか…しかし店の看板に「ペットお断り」と書いてあるな。

ケルベロス:そりゃ無いっすよ⁈ハデス様ぁ…何とかなりません…?

 

懇願するケルベロスをハデスは権能で青年に変え、二人は公園向かいの定食屋の暖簾を潜った。

店内は昔ながらの大衆食堂と言った雰囲気で、壁に貼られたメニューとカウンターの向こうには店主と思しき初老の男性が立っている。

 

店主:いらっしゃいませ!こちらの席にどうぞ。

二人は店主に案内されテーブルにつく。

ケルベロス:なんか雰囲気あるお店ですねー。

ハデス:あぁ、厨房からも何やら芳醇な香りが漂ってくる。何やら懐かしい匂いだ…

ケルベロス:いい香りですねぇー。えぇっと…朝のメニューは「モーニング定食」ってのがあるみたいです。

ハデス:ほぅ…なら私はそれを注文しよう。

ケルベロス:なら自分も同じもんで。

 

ケルベロスは「すんません!」と店主に声をかけ定食を注文。料理が運ばれる間、異国で食べる初めての料理に二人は否が応でも期待が膨らむのだった。


しばらくして……

 

店主:お待たせしました!モーニング定食二つです。

 

二人のテーブルに料理が運ばれてきた。

 

ケルベロス:キタキター♪って…エェッ⁈

ハデス:何と…

 

定食を見た二人は目を丸くした。それは茶碗に盛られた白い米飯と少しの漬物、そして味噌汁という神々にとって食事と言うにはあまりに…あまりに質素なものだった。

 

店主:ごゆっくりどうぞ。

 

店主がニコッと微笑み席を後にする。

 

ケルベロス:あ、ありがとぅ…ございますぅ……「ごゆっくり」もなにも、こんなメシ一瞬で終わっちゃいますよぉぉ!

ハデス:鎮まれケルベロス。まずは一口食してみようではないか。

 

そうしてハデスは茶碗に盛られた白米を口に含んだその刹那―

「ッ⁈」

ハデスの脳裏に稲妻が疾る!

(な、何という甘み⁈砂糖とは全く違う仄かな甘みが噛めば噛むほど口の中に広がり、ねっとりとした食感と相まって口の中を多幸感が幾重にも駆け巡るッ!)

主人の尋常ならざる表情にケルベロスは思わず声をかける。

 

ケルベロス:ハ、ハデス様⁈大丈夫っすか⁈

ハデス:あ、あぁッ、大丈夫だッ…!問題ない。

 

「フゥッ」と一息付くと、ハデスは味噌汁の入った汁椀を手に持つ。すると椀から酒にも似た深い香りが立ち上る。

 (厨房から香る芳醇な香りはこのスープが原因か…長年寝かせたブドウ酒のような香りが鼻腔をくすぐり、自然と心を落ち着かせる。)

そしてハデスは椀を口に当てズズッと一口。すると……

(あぁ…嗚呼、何という豊かな味わい…!甘味、辛味、酸味、苦味そして旨み…様々な風味が混ざり合い、口の中で絶妙に調和し一つの秩序を創り上げている…。そしてスープに入っている具材も良い。スープの味をしっかりと吸込み、噛めばほろほろと崩れて旨味としてスープに溶けていく…こんなものが異邦にあったとは…。)

驚きと喜びが混ざったようなハデスの表情を見て、ケルベロスは益々困惑する。

(ハデス様めっちゃ幸せそうじゃん…イヤイヤ言っちゃなんだけど美味そうなイメージが全然湧かない。肉も魚もない食事なんて坊さんくらいしか食べないっての!)

(…でも残すのも悪いし、とりあえず一口…)

そうしてケルベロスも定食を食しハデスと同じく内心絶叫、気付けば二人は八割がた食事を食べ終えていた。

ケルベロス:ハデス様、これヤバいですねぇ!

ハデス:あぁ、やババいな!

聡明で知られるハデスからは考えないような語彙が飛び出す。それを側から見ていた店主が二人に声を掛ける。

 

店主:外国のお客さんにそんなに喜んでもらえるのは嬉しいです。ありがとうございます。

ハデス:いや礼を言うのはこちらの方だ。差し支えなければこれは何という料理か教えて頂けないだろうか?

店主:はい、このスープは味噌汁といいまして「味噌」という米や大豆などの穀物を発酵させて作る調味料を溶かして作ったもので、香りは発酵した時に作られるアルコールが元になっています。

ハデス:なるほど、だからブドウ酒に近い香りがしたのか。

店主:調理法はシンプルですが味噌も具材も種類が多く、多種多様な味の味噌汁があります。

ケルベロス:マジですか⁈他の味も食べてみたいっす!

店主:ありがとうございます。ウチの定食は見た目は質素ですが、味噌と米は人一倍こだわって作っているんです。あと折角なので私が一番好きな食べ方があるのですが…

ハデス:なんと!是非教えて頂きたい。

店主:ご飯の茶碗に味噌汁を流し込み、漬物を加えてご飯と一緒に口にかき込む「猫まんま」と呼ばれる食べ方です。少し無作法ですが、私の知る限り最高に美味しい食べ方です。

ケルベロス:ハ、ハデス様ぁ……自分もう限界っす。早く食べて「猫まんま」とやらを試しましょうよ!

店主:あ、ご飯のおかわりは無料なのでお気軽にどうぞ。

 

そうして二人は残りのご飯に味噌汁を流し込み、それを自分たちの口の中に一気に流し込む!

その幸福感は二倍ではなく二乗、三乗に口の中で広がり、身体中をえも言われぬ満足感で満たしていった。


ハデス:ふぅ……馳走になった。この恩義にどう報いたらよいだろうか?

 

会計を済ませたハデスが店主に声をかける。

店主:いえ、こちらこそ久しぶりにお客様とお話し出来て楽しかったです。あと、もし宜しければコレを……

そう言って店主は名刺をハデスに渡す。

ハデス:これは……?

店主:ウチの店の名前と住所が書いてあります。またいつでもお越しください!お待ちしております!

ハデス:なんと有り難い…このご厚意に必ず応えよう!

ケルベロス:はい、また必ず食べに来ます!知り合いにもドンドン告知しときますんで!


こうして二人は大満足で店を後にしたのだった。

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