第一章 白鼠と記憶と秘密入りの桜餅⑥

和人がテーブルの下を見ながらたずねる。

 えっ、と萌子が振り返ると、モルモットが二匹、よいしょよいしょ、とテーブルの脚をよじのぼっていた。

「わっ、気が付かなかった」

『神様のいそうろう』は強いエネルギーを持っているが、時に自らの力を隠し、ただの動物を装うことにもけている。

 そのため、人ならざるものの気配に敏感な萌子と由里子もモルモットたちがここに来ているのに気が付いていなかった。

 モルモットは、テーブルの上に登ると、

『あらためて、あいさつをと思って参った』

『短い間だと思いますが、よろしくお願いいたします』

 二柱はそう言って、ぺこりと頭を下げる。

 彼らの言葉が分からない和人は、あはは、と笑う。

「二匹そろって頭を下げて、可愛いなぁ」

 その横で愛らしいものが大好きな由里子が、はわわ、と震えていた。

「こんなに可愛いもふもふ様がうちに……」

 萌子は小さく笑って、よろしくお願いいたします、と頭を下げる。

「せっかくですから、ここで食事にしませんか? リーフのサラダやニンジンがありますし」

 モルモットたちは、ぱっと顔を明るくさせた。

『おお、それは、ぜひ』

『ありがとうございます』

 萌子はすぐに小皿の上にリーフとニンジンを載せて、二柱の前に置いてから、自分の席に着いた。

 皆で、いただきます、と手を合わせてから、食事を始める。

 由里子と和人は白ワインで乾杯して、くうう、と目を細めた。

「もふもふ様をでながら、仕事の後の冷えたワイン、たまらない」

「そして萌子ちゃんのポトフが、最高に美味しい」

「本当に。春野菜を美味しくいただけるのもうれしいわね」

「豚肉のトロトロ加減がまた」

 かわるがわる褒める由里子と和人に、萌子はあわわと目を泳がせる。

「わわっ、もうそのくらいで……」

「そう? 今日は学校、どうだった?」

 優しく問う由里子に、萌子は笑みを返す。

「絵磨と同じクラスになれたから、楽しくやってるよ」

「それは良かった」

 そんな話をしていると、そうそう、と和人が思い出したように顔を上げた。

「昨日、鹿が町中まで出てきたというニュースを聞いたから、萌子ちゃんも気を付けるようにね。人に悪さはしないと思うけど、追突されたら大変だから」

 そう続けた和人に、萌子は、はい、と答える。

 そんな様子を見て、モルモットたちも楽しげな様子だ。

『仲の良い家族というのは、良きものである』

『本当ですね』

「モルモットさんにも、ご家族が?」

 そう問うた由里子に、二柱は肩をすくめた。

『おそらく、いたと思うのだが、よく覚えておらぬ』

『そのうち、思い出すでしょう』

「その間、なんてお呼びしましょうか? モルモットさんというわけにもいかないでしょうし」

 萌子がそう言うと、モルモットたちは顔を見合わせた。

『では、わたしがモルで』

『わたくしが、モットで良いでしょう』

 萌子と由里子は、安易……、と口の端を引きつらせる。

 おそらく、モルが男神で、モットが女神のようだ。

 うつしを見にくる『神様のいそうろう』は、それぞれ様々な想いを抱いている。

 こちらの二柱は、どんな想いで現世に来たのだろう?

 萌子は、ジッとモルモットたちを見詰める。

 そうすることで、何か伝わってくるかと思ったのだが、何も感じなかった。

 分かったのは、モルモットの外見のみ。まるまると太っていて、つやのある毛並みだ。

 二柱は、それぞれ色が違っており、モルがチョコレート色と白、モットがキャラメル色と白のツートンカラーだ。

 羊毛フェルトで再現するなら三色で済みそうだ。

 これなら、部屋にある材料でいけるだろう。

 萌子は、羊毛フェルトの出来上がりを想像して、頰を緩ませた。



「僕も萌子のポトフ、食べたかったなぁ」

 一方その頃、理龍は、御所(京都ぎよえん)の東側を訪れていた。

 そこには、『椿つばき邸』と呼ばれる、大きな和風邸宅がある。

 ここは、現代も活躍するおんみようがつどう屋敷だった。

 いにしえより、京都の陰陽師は、あやかしなどが起こす怪異を解決に導いてきた。

 その歴史は古く、飛鳥あすか時代──七世紀の後半に、てん天皇が設置した『陰陽寮』が、はじまりと言われている。

 陰陽寮は明治三年に解体されているが、解体後も形を変えて、活動を続けていた。

 主に賀茂忠行を祖に持つ賀茂家が主導し、血筋にこだわらず、除霊能力のある者を招いて、新たな組織を作ったのだ。

 そんなわけで、現代においても、陰陽師たちは表向き普通の仕事をしながら、日々京の町をまもっている。

 組織の名称は、『がらすかもたけつぬみのみことだい、君子之事上也、進思盡忠、退思補過』。

 八咫烏は、賀茂家の祖先と言われている。

 その昔、じん天皇が、くまののくにから大和やまとへ向かう際に、賀茂建角身命が、三本の足を持つ烏──八咫烏に姿を変えて、道案内をしたという言い伝えがあった。

『八咫烏鴨武角身命』は、賀茂建角身命のことであり、『代』は代理──彼に代わっての意。

 すなわち、組織に所属する陰陽師一人一人が、『八咫烏鴨武角身命代』ということだ。

『君子之事上也、進思盡忠、退思補過』は、古代中国の経典『こうきよう』からの引用である。

 つまり、

『我々は、君主(国家・依頼人など)の前では進んで忠誠心を尽くし、君主の前から離れた時は、君主の過失を補い、改善することを心掛ける』

 という、なかなか、したたかな名称である。

 名前が長いので基本的に『組織』と呼ばれてきたのだが、近年になって組織の存在が一般人の間でも、まことしやかにささやかれ出していた。

『国を裏から操る組織、八咫烏!』などと都市伝説的に取り上げられるようになり、それを面白がった当事者(陰陽師)たちは、自らの組織を『八咫烏』と呼ぶようになっていた。

 そんな八咫烏の本部が、御所の東側にあるのだ。

 建物は、平屋造りの和風邸宅だ。広いその庭は四季折々の花が咲くのだが、特に椿が美しいということで、『椿邸』とも呼ばれている。

 一等地に建つ和風邸宅であるが、周囲の者からはいちげん様お断りの高級料亭だと思われている節があった。せんさくを嫌う陰陽師たちは、これ幸いと、勘違いをそのままにしている。

 ちなみに、理龍の父親は、八咫烏関西本部の本部長であるが、理龍自身は、組織に属していない。

 しかし時おり相談を持ち掛けられることがあり、それにはこたえるようにしている。

 たびも八咫烏に呼ばれていた理龍は、萌子と別れたその足で椿邸を訪れていた。

「若様!」

 建物に入ると、水干をまとった若い陰陽師たちが足早に駆け付ける。

「皆さん、お久しぶりです」

 と、理龍がにこりと微笑むと、彼らはほんのり頰を赤らめた。

「お久しぶりです。お会いできて光栄です」

「ささ、本部長代理がお待ちです」

 本部長代理とは、絵磨の父親、三善朔也のことだ。

 理龍の父親が京都を離れているため、朔也が代理を務めている。

 彼らに案内されるまま、理龍は和室の大広間に入る。そこには水干を纏った陰陽師たちがずらりと並んで座り、深々と頭を下げていた。

 皆の前、上座には、朔也の姿があった。

 絵磨と同じ明るい色の髪に、ぱっちりとした目が印象的だ。四十代男性であるが、十歳は若く見える。

 言ってしまえば、『とっつぁん坊や』だ。

 強い力を持っているのだが、そのエネルギーは感じられない。

 これは朔也が自らのエネルギーを表に出さず、内側に隠すのにけているためだ。

「おっ、若、悪いな。急に呼んで」

 と、朔也は自分の横の座布団をたたいて、隣に座るよう促した。

 理龍は一礼をしてから、朔也の隣に腰を下ろす。

「小腹いてるだろ。さくらもちでも」

 理龍の前には、桜餅と玉露が載った小さなお盆がある。

そうろうさんのところの桜餅ですね」

 春ですね、と理龍はにこりと目を細めた。

 宗次朗とは、理龍のしんせきで、理龍にとって伯父おじのような存在だ。和菓子職人であり、『さくらあん』という和菓子店を数店舗経営している。

 広間にいる陰陽師たちは今一度頭を下げてから、顔を上げた。

 彼らは萌子と同様に、理龍を生き神とあがめているため、ありがたそうな表情を浮かべている。

 そんな中、ただ一人、『あれは誰や?』と仲間に訊ねている新入りの姿もあった。

『本部長の息子さんだよ、そっくりだろ。すごい力を持っておられるという話だ』

『俺、本部長にはまだお会いしてへんし。ってか、ぜんぜん、エネルギーを感じへんのやけど?』

『三善本部長代理と一緒で、力をお隠しになるのが巧みなんだよ』

 小声ではあったがそんなやりとりが聞こえてきて、理龍はかすかに頰を緩ませる。

 強い霊能力を持つ者は、エネルギーを放っているものだ。

 しかし、強いエネルギーをき出しにしていると、相手の力も推し量れない程度のやからが、その力が欲しいとやってくることがある。いちいち相手をするのが面倒になった理龍は、あえて自分の力を内側に閉じ込めていた。

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