第一章 白鼠と記憶と秘密入りの桜餅④


    *


 はじめて萌子のもとに『神様のいそうろう』がやってきたのは、萌子が中学生になったばかりの頃。

 フリースクールから中等部へ移ることが決まったことで、もろもろの手続きをするため、萌子の母が京都を訪れたのだ。

 京都に移り住んで間もなくの頃は、母も年に数度、萌子に会いに来ていたのだが、年月を重ねるごとにその頻度が下がっていた。

 そのため、久々の再会だ。

 母が京都に来た際は京都駅で待ち合わせて、駅に直結している百貨店の屋上で食事をし、解散するのがいつもの流れである。

 今回は、進学の手続きのために学園がある北区を訪れたため、ランチは京都駅ではなく、きたおお駅直結のショッピングモールの中で食べた。

 きっと食事を終えたらいつものようにすぐに帰るのだろうと思っていたのだが、『ようやく萌子が普通の学校に行ってくれた』とその時の母は機嫌が良く、

「ねっ、さか神社へ行こうか」

 と、言い出したのだ。

 北大路駅の地下にはバスターミナルがあり、八坂神社へのアクセスが良いと知っての言葉だった。

 母と二人で出かけられることなど、滅多にない。

 萌子は、緊張しながらもうれしく思っていた。

 地下のバスターミナルから、京都市営バス206号系統(きよみずでら・京都駅方面行き)に乗車すると、約三十分で『おん』というバス停に着く。

 そこが最寄りであり、目の前が八坂神社の入口だ。

 じようどおりの東の突き当たりにある朱色の西楼門をくぐると、石段の両脇にはたくさんの露店が並んでいるのが見えた。

にぎやかね。今日は、お祭りなのかしら?」

 母は楽しそうに話していたが、八坂神社は一年中、縁日の様相を呈している。

 石段を上りきった母は、本殿のおまいりもそこそこに、

「御朱印が欲しかったのよ」

 と、急ぎ足で列に並んだ。

「それにしても、すごい人ね。萌子、ちょっとその辺で待ってて」

 萌子は、うん、とうなずいて、境内のベンチに腰を下ろす。

 御朱印は、一枚一枚手書きをしているようで、列が短くなる気配がなかった。

 はぁ、とため息が聞こえた。

 萌子のものではない。

 ふと、横を見ると、白鼠が隣に座っていて、肩を落としている。

 これは『生きている鼠』なのか、それとも、他の人には見えない精霊なのか判断がつかず、萌子が凝視していると、

「ねぇ、見て。あそこに白鼠が座ってる」

「ぬいぐるみじゃない?」

 という声が聞こえてきた。

 どうやら、隣に座っているのは『生きている鼠』のようだ。

『やっぱり、まだまだのようだ。こんな自分は、やはり転生し、修行しなおさねばなるまい』

 白鼠は、ふぅ、と息をついて、独り言のように言う。

「……まだまだって?」

 萌子が小声で問うと、白鼠は、にっと笑って顔を上げた。

『やはり、強い力を持っている。わたしの声が聴こえるのだな?』

 萌子は、はい、と小声でうなずく。

『実は、ひと時、この体を借りているのだよ』

「なんのためにですか?」

うつしの見学である。転生の打診が来て、今検討しているところなのだ』

「転生の打診……?」

 ぽかんとした萌子に、白鼠は小さな人差し指を立てた。

輪廻りんね転生──生命が生まれ変わるというのは、ご存じか?』

 萌子は黙って首を縦に振った。

『基本的に死んだ人間は、再び人の子として生まれてくるもの。だが時に人にうんと愛され、賢く徳の高いあいがん動物が人の子として生まれることもある』

 へぇ、と萌子は静かにらす。

『かも動物病院』では、動物の死が身近だ。

 いかに動物たちが飼い主に愛されているか、萌子は何度も目にしてきた。

 あの子たちが、人に転生したならば、きっと優しい人間に生まれるだろう。

 しかし、と白鼠は顔をしかめる。

『近年、この星の人の数が雪だるま式に増えているであろう? 実は魂の数が追い付かなくなっているのだ』

 へっ、と萌子はき返す。

『そのため、まだ練度の足りない粗暴な動物の魂が人の子として生まれてきている。そうすると、人間として求められる振る舞いができなかったり、我欲にあらがえずに行動してしまったりと、人間世界に悪影響を及ぼすだけでなく、結果として、その魂自身にも悪い結果になってしまう』

 まだ中学生になったばかりの当時の萌子には、深く理解することができず、黙って聞き入っていた。

『そのような者が増えることで、現世全体の波動が下がる事態となっている。そこで、たかまがはらは、しん使や神に、人に転生するよう促し始めていてな』

「えっ、神様が人に?」

 思わず大きな声が出てしまい、萌子は慌てて口を閉ざす。

 とつに母の姿を確認したところ、彼女はまだ行列の中にいた。

『とはいえ、魂がまるごと転生するというわけではない。魂の一部を転生させる、いわゆる「分けたま」というものだな。しかし、いくら高天原の意思であり、神とはいえ、この現世はなかなかに過酷な修行の場。迷ったわたしは、とりあえず、現世の見学に来たというわけだ』

 萌子は納得して、首を縦に振る。

「現世の動物の体の中に入って、見学しているんですね」

『そうだ。一時の「いそうろう」である。多くの神が自由に空を飛べる鳥を選ぶが、わたしは鼠にした』

「どうして、鼠を?」

 白鼠は大きく息をつく。

『わたしは、元々、おおくにぬしのみこと様の神使であった。神使の中にも位がある。神話に登場するほどに活躍した神の使いは高天原に上った時に、神の位を授かるのだ。かつてのこの国の貴族階級でいうところの、じゆといったところだろうか』

 萌子も授業で習ったことがある。

 いにしえの日本では、『しよういち』から『しようしよいの』まで三十段階に分かれており、従五位下からが貴族。従五位下すべてではないが、殿てんじようびとと呼ばれ、みかどが住まうせいりよう殿でんへの昇殿を許されるのだ。

 あれを見よ、と小さな社に向かって手を伸ばす。

 社の前には、『大国主命』の石碑と、『だいこくさまと白うさぎ』の石像があった。

 ああ、と萌子は手を打った。

 八坂神社の境内には、大国主命をまつる社があり、縁結びのご利益で知られていた。

 うさぎと向き合っている像があるのは、うさぎが神話の中で大国主命を助けたとされているからである。

 それは、『いなの白兎(素兎)』という伝説で知られている。

 地上の神々のリーダーとして知られる大国主命であるが、元々は『オオナムチ(大穴牟遅神)』という名だった。

 因幡の白兎の物語を簡単にまとめると、こういうことである。


①オオナムチ(後の大国主命)は、見目麗しい青年であったこともあり、たくさんの兄弟(がみ)からねたまれ、常にいじめに遭っていた。

②ある日、八十神は、美しい姫(かみ)に求婚するために、こぞって因幡の国へ向かう。その際に、オオナムチを荷物持ちとして使っていた。

③大荷物を持ったオオナムチが、ようやく因幡の岬につくと、皮をはがされて泣いている白兎にう。

④話を聞くと白兎はワニ(サメ)をだましたことで、皮をはがされてしまった。痛い痛いと嘆いていたところに出くわした八十神に「それは大変だ、海水につかりなさい」と言われる。白兎は、それを信じて海の中に入り、大変な目に遭ったのだという。

⑤心優しいオオナムチは、白兎にすぐに川の水で体を洗い、薬草の上で寝るように伝えた。白兎は、彼の言葉を信じ、その通りにしたところ、たちどころに回復。

⑥その時に、白兎はオオナムチにこう伝えた。「あの八十神たちは、姫とは結婚できないでしょう。姫に選ばれるのは、あなただ」と。

⑦その白兎の予言通り、オオナムチは、八上比売に望まれるのであった。

(ちなみにオオナムチは、さらにしつを募らせた八十神に二度ほど殺されるも、その後、高天原の意思によって生き返るのだが、それはまた別の話)


 そんなわけで、大国主命を祀る神社では、白兎の姿もよく見かけるというわけだ。

 とんっ、と白鼠は、ベンチに小さなこぶしたたきつけた。

『わたしは、悔しいっ』

 萌子は、えっ、と白鼠を見やる。

『大国主命様の冒険はその後も続いており、不肖ながらわたし、鼠もかの方の力になっている。言ってしまえば、白兎よりも直接的に役に立っているというのに!』

 白鼠の話を聞くと、オオナムチはその後、スサノオ(素戔嗚尊)の娘にひとれをした。

 しかし、娘をできあいするスサノオは、オオナムチを認めようとはしない。

 蛇だらけの部屋に案内したりなど、目に見えて分かるほど嫌がらせをする。

 最終的に『この矢を持ってこい。そうしたら二人の仲を認めてやる』と火のついた矢を野原に放ったのだ。

 それでも矢を取りに行こうとするオオナムチ。しかし、火の海に囲まれてしまう。

 絶体絶命のピンチの時に、現われたのが鼠だった。

 オオナムチが燃え死なないよう、穴に落ちるよう誘導して彼をまもり、さらにオオナムチが穴から出た時、鼠は矢をくわえて駆け付けたのだという。

「えっ、すごい」

 映画ならクライマックスを思わせるシーンだ。

『そうであろう』

「うん、間違いなく英雄」

 その神話は知らなかった、と萌子は思わず口に手を当てる。

 白鼠は、ふふん、と胸を張るも、

『そう、どう考えても直接的に力になっているのは、兎よりもわたしであろう。わたしこそ大国主命様を祀る社の狛鼠になるべきけんぞく。それなのに、どこに行っても兎ばかり。民草はわたしのことなど覚えておらぬ』

 そう言って、わっ、と顔を手で覆う。

 萌子自身、大国主命と白兎の逸話は知っていたが、鼠の活躍は知らなかった。

 申し訳なさに掛ける言葉が見付からずにいると、白鼠は何かを感じ取ったようで、はじかれたように顔を上げる。

 萌子もつられて顔を向けると、そこには、理龍の姿があった。

「理龍様!」

 学徳学園の高校の制服をまとい、いつものように肩に小太郎を乗せている。

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