第一章 白鼠と記憶と秘密入りの桜餅③

 建物は、しつくいの外壁に焦げ茶色の木枠、えんじ色の屋根といったクラシックな外観で、まるで避暑地にある別荘を思わせる。

 どうぞ、と萌子は玄関の扉を大きく開けた。

 玄関は、吹き抜けになっている。廊下にはえんじ色のじゆうたんが敷かれており、ダークブラウンの扉が並ぶ様子は、まさに古き良き洋館の装いだ。

 お邪魔します、と理龍は靴を脱いで、玄関の端に置き、スリッパに履き替えた。

「久しぶりだなぁ。やっぱり、いいね、このクラシカルな雰囲気」

「理龍くんのおうちとは、まるで違うよね」

「うちは、和風だしね」

 理龍の家は上賀茂にあり、そこは、完全なる純和風邸宅だ。

 彼の両親は、静岡県に長期出張中であり、理龍は現在、広いやしきで独り暮らしをしている。

「独り暮らしも結構経つよね。すっかり慣れた?」

「うん。うちは来客が多いから、寂しいと思う暇もないよ」

 萌子は廊下を歩き、ふすまの前で足を止め、理龍を振り返る。

 理龍はうなずいて、その場に正座すると、こんこん、と襖の横の壁をノックした。

「こんにちは、入ってもよろしいでしょうか」

 理龍が問いかけた瞬間、襖の向こうが光った気がした。

 昨夜よりも強いエネルギーを感じ、萌子は息をむ。

『良いぞ』

 理龍がそっと襖を開けると、小さな座布団が二つ並んでいて、その上にもふもふのモルモットが二匹、ちょこんと座っていた。

「!」

 予想とは違ったのだろう。

 理龍は意表を突かれたように口に手を当てる。

「今回のお客様は、なんとまぁ、愛らしいというか……」

 モルモットには隠していたが、理龍のくちもとが緩んでいるのが分かった。

 一見クールな彼だが、実はもふもふした可愛らしいものが大好きなのだ。

「理龍くん、彼らはしん使? それとも神様?」

 萌子が小声でたずねると、理龍は首を傾げる。

「どちらとも判断がつかないかな。今、彼らはモルモットの中に入られているので、力が随分と抑制されている」

 モルモットは、理龍を見て、大きく目を見開いた。

『おお、そなたは仲間ではないか』

『あなたは無事、転生を済ませたのですね』

 と、前のめりになって言う。

 理龍は、彼らを前ににこりと微笑む。

「はじめまして、賀茂理龍と申します。お困りのことがあればお力になれればと思うのですが、まずあなた方は今回どのような経緯で人の世界に降り立たれたのでしょうか?」

 理龍の問いかけに、二匹のモルモットは互いに顔を見合わせた。

『それが、よく覚えていないのだ』

『転生前に、うつしを見ておきたいと思ったまでは覚えているのですが』

「転生を考えられていた、ということは元は神様でいらっしゃるのですね」

『……おそらく。しかし、自分たちに関することを忘れてしまったようなのだ』

『この体に入った衝撃のせいやもしれません』

 それにしても、と萌子は口に手を当てる。

 何度か見てきた光景ではあるが、いまだにこう思う。

 ──メルヘンな夢でも見ているようだ。

 狐や蛇などの動物が時に神使──神の遣いとして働いているというのは広く知られているが、時折神使ではなく、神自身が動物の姿を借りて地上に降臨することもあるのだという。こうしたことは、日本の神にとどまらず、聖書において神が白い鳩となって降臨している例もある。

 萌子と理龍の間で、現世の生き物にひと時、神が入っていることを──、

『神様のいそうろう』と、呼んでいた。

 しかし、表で『いそうろうが来た?』という会話は、誤解を招くことがあり、人前では『お客様』と言うようにしている。

「ちなみに、あなたがたが、モルモットを選ばれた理由は?」

 理龍の声に、萌子は我に返った。

 モルモットは、首をひねっている。

『それも、よく覚えていない』

『ちょうど二匹そろっていたからではないでしょうか』

 ふむ、と理龍はあいづちをうち、萌子の方を向いた。

「こちらのモルモットは、動物病院に来ていた患者さんなのかな?」

 萌子は、ううん、と首を横に振った。

ったのは、『三角デルタ』で」

『三角デルタ』というのは賀茂川とたかがわの合流地点にある三角形の広場だ。そこは、憩いの場のように使われている。

 萌子は、『三角デルタ』が好きだった。

 大きなエネルギーを持つ川が合流し、さらに強いエネルギーとなって下流へと流れていく様子をぼんやり眺めていると、さいなことなど気にならなくなる気がするのだ。

 昨日の夕方も萌子は、学校帰りに『三角デルタ』を訪れており、その時に草むらでモルモットが死んだように眠っているのを見つけたのだ。

 死んでいるのだろうか、と驚いて近付くと、モルモットは起き上がり、萌子に話しかけてきて──今に至る。

「由里子さんが言うには、おそらくどこかの家のペットが脱走したんじゃないかって。それで和人さんが、飼い主捜しをしなければって、『モルモット預かっています』というチラシを作って貼り出したりしててね……」

 飼い主は見付かるだろうか……。

 心配から思わず険しい表情になった萌子に、大丈夫、と理龍が目を柔らかく細める。

「『神様のいそうろう』期間が終わって、彼らがただのモルモットに戻ったなら、自然と飼い主が見付かるだろうから、そのあたりのことは心配しなくていいと思うよ」

 その言葉を聞いて、萌子もモルモットたちも、ホッとして胸に手を当てる。

『そういうことであるなら、安心だ。まずは、この体で現世をたんのうしたい』

『自分たちに関する記憶もそのうち取り戻すでしょう』

 ええ、と理龍がうなずく。

「来るべき時に、良きようになるものだと思います」

 理龍はそう言ってから、萌子を見た。

「萌子、高校に入学したばかりで、色々と忙しいとは思うけど彼らのお手伝いをお願いできるかな?」

 自分にとっての生き神からの『お願い』を断る理由はない。何より、こちらの二柱は、自分が出逢い、家に招いたお客様なのだ。

 謹んでお受けいたします、と頭を下げようとした瞬間、

「もちろん、僕も手伝うし」

 と、理龍が続けたので、萌子は勢いよく声を上げる。

「はい、喜んで!」

「萌子、なんだか居酒屋さんみたいだね」

 そう言って理龍は、愉快そうに口角を上げた。



 萌子の趣味は、ハンドメイドだ。

 あみぐるみや羊毛フェルトで動物を作り、彼らを寝かせるベッドや布団も作製する。

 時々、その趣味が功を奏する時があった。

 今回のように、神を宿した動物が訪ねてきた時である。

 滞在も長くなりそうだから、と萌子は本格的に客間を整えた。

 和室の隅にカーペットを敷き、ベッドにテーブルにソファとハンドメイドで作ってあった家具を並べたのだ。

『おおおお、記憶がないが、あこがれていたことだけは分かる』

『ええ、これが、ベッドなのですね!』

 モルモットたちは、それは感激してベッドに入っていく。彼らの食事は、中に神様が入っていようと、モルモットが食べるもの──ひまわりの種や牧草で良いのだという。


 モルモットたちの部屋を作った後、萌子はキッチンに立ち、夕食の支度をはじめていた。

 萌子が、下鴨の賀茂邸に身を寄せて、八年。

 小学校高学年になったあたりから、率先して食事の支度をするようになっていた。

 その理由は、自分が居候であるというのはもちろん、由里子と和人が常に忙しそうなので見ていられなくなったのが大きい。

『かも動物病院』の診療時間は、午前の部と午後の部に分かれている。

 午前の部は、朝九時から正午まで。

 午後の部は、十七時から十九時半まで。

 関西の医療機関では、こういった時間帯設定が一般的だった。

 萌子としては、『午後の部というより、夜の部ではないか』と思っているため、夜の部と呼んでいる。

 午前の部は受付を正午で締め切るのだが、十四時近くまで診療が続くこともあるし、手術が入っている日は、午後のほとんどの時間を使って手術をしていることもある。

 そして、少し休憩を取ったら、すぐに夜の部に入るのだ。

 二人は、『腹が減っては戦はできぬ』と十六時半頃におやつを食べてから、夜の部を迎えている。

 夕食は、夜の部が終わった二十時頃だ。

 とはいえ、急患が入ると食事をれない時もあるので、終わってから簡単に食べられるように、なべや煮込み料理を作っておくことが多い。

 今夜は、春キャベツや新玉ねぎを使ったポトフにした。

 朝のうちに、キャベツ、ニンジン、玉ねぎ、一口大に切った豚バラブロック肉、ウインナー、水、コンソメ、ローリエを炊飯器に入れて、セットしておいたため、準備は万全だ。

 二人が好んで飲む白ワインも、冷蔵庫に冷やしてある。

 この他にチーズオムレツと、サラダに生ハム、フランスパンを出したらかんぺきだろう。

「──それにしても、『神様のいそうろう』なんて久しぶりだなぁ」

 前回も春だったから、一年ぶりだろうか。

 萌子は目を細めて『神様のいそうろう』に出逢った日に思いを馳せた。

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