第一章 白鼠と記憶と秘密入りの桜餅②

「ええと、話って?」

「うん。久々、君のところに『お客様』が来られたとか」

 ああ、と萌子は思い出して、大きく首を縦に振る。

「そうそう、昨日の夕方に。さんにお願いして、今は客間にいてもらってる」

「お客様は、御名を名乗った?」

 そう問われて、萌子は首を横に振る。

「名乗らなかったから、とりあえずお部屋を用意だけしておいた」

「僕も会いたいから、紹介してもらっていいかな?」

「もちろん」

「良かった」

 と、理龍は、花が咲くように微笑んだ。

「…………」

 人間離れしている美しい笑顔を間近にし、萌子は眩暈めまいを感じて、額に手を当てる。

「あれ、萌子、どうかした?」

「気にしないで。モグラの目に陽の光が眩しすぎただけだから」

「また、そんな、よく分からないオリジナル慣用句を……」

 理龍はふふっと笑い、それじゃあ放課後、と腰を上げて、教室を出て行く。

 萌子が、はぁ、と熱い息をついていると、

「春宮さん、賀茂先輩と知り合いだったの?」

「どういう関係?」

 と、これまでかたんで見守っていたクラスメイトたちが詰め寄ってきた。

「あ、ええと、実は遠いしんせきで……」

 萌子がしどろもどろに答えると、

「萌子は、若様の父親の兄の嫁の父の弟の子なのよ」

 と、教室に戻ってきた絵磨が答えた。

 えっ? と皆が顔をしかめる。

「賀茂先輩のお父様のお兄様……の奥様のお父様の弟さんの娘?」

 彼女たちは、混乱している様子だ。

 無理もない、当事者である萌子も時々混乱することがある。

 つまり、と絵磨が人差し指を立てた。

「若様の伯母おばさんと萌子が、いとこ同士ってこと」

 そうそう、と萌子はあいづちをうつ。

 そんなわけで理龍と萌子は一応は親戚だが、血のつながりはない。

 ついでに言うと、萌子は小学二年生の頃からいとこである賀茂由里子と夫のかず(理龍の伯父おじ)の家でお世話になっている。

 絵磨の説明でなんとか納得してくれたクラスメイトたちは、思い思いに自分の席へと戻っていく。ちょうど、ちりりんちりりん、という予鈴が鳴り、萌子はあんの息をついて、シャープペンシルを手に取った。

 今のこの気持ちを書き残さなければならない。

 春の学び

 やうやう午後になりゆく教室に、神が降臨したる。

 ああ、今日も『推し』は美しい。

 うっとりしながら、ノートに今の想いをしたためていると、

「なんだそれ」

 と、頭上から絵磨の声がし、放っておいて、と萌子は腕で隠した。



 学徳学園は、かみ神社の近くにある。

 そこから、萌子が住む下鴨神社の東側へ向かうには、『上賀茂神社前』の停留所から四号系統のバスに乗ると、道がすいていたら三十分もかからずに『下鴨神社前』の停留所に到着する。ただこれだけの移動なのだが、後光を放つ神様のご移動ともあれば、周囲の視線が集中するから大変だ。

 理龍が注目されるのは、はや自然の摂理なのだから仕方ない。

 しかし皆が皆、『隣のあの子は彼女だろうか?』と傍らにいる萌子の姿を確認するので、いささか居たたまれない。

 それは、劣等感ではなく、自分のようなモブが彼の隣にいて純粋に申し訳ないのだ。

『ご安心ください。ただの遠縁、ただのおさなじみでございます』という演説をしながら歩きたい、と萌子は心から思う。

 下鴨神社前の停留所でバスから降りると、閉ざされた空間での視線から解放されたことに萌子はホッと胸に手を当てる。

 そのまま理龍と萌子は、下鴨神社の境内を西から東へと横切った。

 途中、右手に広がる糺の森を眺め、萌子は懐かしい気持ちになって足を止める。

 糺の森──それは下鴨神社境内に広がる森の名称だ。

 かげどおりから本殿に向かって、まっすぐに伸びる参道があり、その左右に広がる原生林こそが『糺の森』であり、神社を含めてこの森も世界遺産に登録されている。

 萌子にとってここは、はじめて理龍と出逢った特別な場所だ。

「懐かしいね」

 そう言ったのは萌子ではなく、理龍だった。

「あの日の萌子は、大変そうだった」

 そうだね、と萌子は苦笑する。

 足取りは重く、お腹がしくしくしていて、背中の中心は石を押し付けられたように苦しかった。

 そんな萌子の不調をたちどころに回復させたのは、理龍だ。

 当時、理龍が天から降ってきたように感じたけれど、実のところ境内を横切る小路の東側から、ひょっこりやってきただけなのだという。

「あの頃の萌子は、もらいやすかったよね」

「……うん」

 小さい頃は、人混みや、人の強い感情が苦手だった。

 理龍が言うように、『もらってしまう』のだ。

 あの頃と比べて、今は噓のように生きやすい。

「ねっ、萌子、僕たちが一緒に下鴨神社の境内に来たのは久々だし、せっかくだから参拝していこうか」

 理龍の提案に、萌子ははにかんでうなずいた。

 そのまま手水ちようずで手と口を清め、南口の鳥居の前で足を止めて一礼をし、朱色が鮮やかな楼門へ向かって歩く。

 平日の午後ということで、観光客はまばらであったが、やはり理龍は周囲の視線を集めている。

 萌子はまたも居たたまれない気持ちになりながら、ちらりと理龍を横目で見ると、彼は何やらたのしげな様子だ。

「もしかして、理龍くん自身、下鴨神社に来るのは、久々だったり?」

 そう問うと、ううん、と彼はあっさり首を横に振った。

「僕は、何かと用があってちょくちょくきているから」

 そうだよね、と萌子は納得する。

 彼──賀茂理龍の家は、かつてべのせいめいの師匠と言われた賀茂ただゆきの流れをんでいるという。

 ちなみにおんみようである賀茂忠行の家と、いにしえより賀茂神社をまもってきた賀茂家(賀茂あがたぬし氏)は、苗字が同じなだけで実は別の家だ。

 しかし理龍の家は、どちらの賀茂家ともゆかりがあるそうだ。

 どちらも子孫の端くれだけど、と彼は言っていた。

 さらに理龍の父親・賀茂れいは、表向きは大学教授であるが、その裏では陰陽家業を生業なりわいにする組織の長であり、理龍の母親・はるはかつて『現代のさいおう』とうたわれた伝説的な存在だという。

 理龍はそんな二人の間に生まれた、まさに陰陽師界のプリンスだ。

 そんな理龍の存在は、表立って知られているわけではないが一部でひそかにささやかれており、やんごとなき方へのとうなどの際には指名を受け、呼ばれることもあるそうだ。


 楼門を抜けると、舞殿があり、その向こうに中門がある。

 中門を潜ると、本殿だ。

 さらに下鴨神社は、その本殿をぐるりと囲むように『ことしや』という七つの社に干支えと(十二支)を護る神様がまつられていた。

 萌子と理龍は、最初に本殿を参拝してから、それぞれ自分の干支の社をまいった。

おりひめ様にもごあいさつに行きたいところだけど、早くお客様にお会いしたいから、次の機会にしよう」

 ということで、理龍と萌子は下鴨神社を後にした。

 境内を東側に抜けて、少し歩くと『かも動物病院』という看板と共に、動物病院と洋館が並んで建っているのが見えてくる。

 萌子がこの家に来る少し前まで、ここは、『賀茂産婦人科』という理龍の伯父おじ・賀茂和人が院長を務める病院だったそうだ。

 しかし、和人は、獣医師である妻の由里子とともに、『これから、ここで由里子さんと動物病院をやっていきたい』と言い出したのだという。

 周囲は仰天し、反対の声もあったそうだが、和人の決意は固かった。雇っていた看護師たちの再就職先を確保したうえで産婦人科を閉めると、自らは動物看護師の資格を取り、動物病院を開院したという話だ。

「そういえば、うちに『お客様』が来られたって話は和人さんから?」

 萌子が問うと、理龍は、ううん、と首を横に振り、

「それは、もちろん……」

 と、茂みの方に目を向ける。

 その瞬間、ぽんっと狐が姿を現わした。

 美しい毛並みと金色のひとみ、もふもふの尾を持つびやつだ。

 大きさはまめしばくらいで、じりと尾の先が赤く、背中には竹筒を背負っている。

ろう

 理龍が手を伸ばすと、白狐はパッと顔を明るくさせた。

 跳ねるように駆けてきて、理龍の肩に飛び乗る。

「そっか、小太郎が伝えたんだね」

 この白狐は理龍に仕えている精霊、つまりは神のけんぞくだ。彼の夢は徳を積んできつねがみになること。目下、尾を増やすのを目標としているそうだ。

「小太郎、相変わらず可愛い……でてもいい?」

 萌子が撫でようと手を伸ばすと、小太郎は身を翻して、反対側の肩に逃げた。

「…………」

 伸ばしかけた手を下げると、理龍が申し訳なさそうに目を細める。

「ごめんね、萌子。小太郎は相変わらず、人見知りで」

「ううん、理龍くん、小太郎はむしろ正しい。自分の神以外に触らせない眷属なんて胸熱でしかないから。もしここで急にわたしに触らせるようになっちゃったりしたら、うれしいというより、がっかりしてしまうかもしれない」

「えっと、萌子……?」

「わたしのたわごとは気にしないで。それより、理龍くん、早くいこう」

 と、萌子は、洋館へと向かう。

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