第一章 白鼠と記憶と秘密入りの桜餅①


「『平凡なわたし』というところに、まず赤字を入れるわ」

 前の席に座る友人が、後ろを振り返った状態で冷ややかに春宮萌子を見据えた。

 今は昼休み中であり、教室内がざわついている。

 窓の外には、木々の緑に囲まれるようにたたずむ異国情緒あふれるれん造りのモダンな校舎と、中庭の高い塔が見えた。

 萌子は、自分の手記を隠そうともせずに、小さく笑って目の前の友人・よしを見詰め返した。

 彼女は、薄茶色の髪に日焼けした肌、そしてぱっちりとした目を持つ美少女だ。

 華やかな見た目のためギャルに見られがちだが、髪は地毛であり、肌はジョギングで焼けたもので、ついでに言うと成績は学年トップクラス。

 一方のわたしは……、と萌子は自らを顧みる。

 ボブカットの黒髪、肌の色は日本人として標準的、体型も標準であり、特筆すべき容姿でもなく、言ってしまえば『どこにでもいそうな女子高生』だ。

 しかし自分はそれでいい、と萌子は心から思い、胸に手を当てた。

「何を言いますか、この『平凡の代表』のようなわたしをつかまえて」

 絵磨は、やれやれ、という様子で肩をすくめる。

「『平凡の代表』は、幽霊えたりしないよ」

「…………」

 一瞬、言葉に詰まったけれど、萌子はすぐに気を取り直した。

「でも、うちの学校には多いじゃん。『視える人』」

 まぁねぇ、と絵磨はほおづえをつく。

 この学園にいては、霊感の強い人は『視える人』と呼ばれていた。

 ここは、きようきたかみにある『がくとく学園』という私立高等学校だ。

『学徳学園』は小学部から大学部まであり、さらに霊感等が強いために普通の学校に通うのが困難になった児童を受け入れるフリースクールも運営している。

 そのフリースクールから学園の高等部に入学する者も多く、そのため、当校は必然的に霊感が強い人の比率が高くなっていた。また、この学校の生徒は、全国から来ているので、標準語率も高い。萌子もその一人だ。

 萌子は、小学二年生の頃に関東からやってきて、学徳学園のフリースクールに入った。中学(中等部)に進学する時に、普通クラスに移り、そのまま今年の春、高等部へ進学した。

 ちなみに萌子は入学して間もなく誕生日を迎えたため、十六歳になっている。

 前の席に座る絵磨とは幼い頃からのかおみだったが、中等部から親しく付き合うようになった。

 彼女は京都出身であるが、両親共に関東出身者なので、その影響で標準語だ。

 うちはさ、と絵磨は静かにらす。

「パパ……お父さんがおんみよう家業をしていて、お父さんが大好きだった私は子どもの頃、自分も大きくなったら一緒に鬼をやっつけるんだ、なんて思ってきたんだよね」

 絵磨は、へいあん時代に活躍した除霊師『じようぞう』の流れをむ家の娘だ。

 彼女の父、三善さくは表向きはビジネスコンサルタントであるが、裏では陰陽師がつどう組織に所属している。

 けどさ、と絵磨は残念そうに息をつく。

「私はいつまで経っても視えなくて。だから『視える人』が少しうらやましいんだよね」

 彼女はそこまで言うと我に返ったように、口に手を当てた。

「あ、ごめん」

「どうして、謝るの?」

「前に『視える人』に羨ましいって言ったら怒られたことがあって……。『私の苦労も分からず、羨ましいだなんて安易に言わないで!』って」

 ああ、と萌子は苦笑した。

 その人の気持ちは、理解できる。

「……でも、わたしは『羨ましい』って言われたら、この厄介な体質もそう悪くないのかなって思えるよ」

 萌子がいたずらっぽく笑みを返すと、絵磨はホッとしたように頰を緩ませた。

 ところで、と絵磨は視線をノートに落とす。

「萌子が書こうとしているのは、小説?」

「小説じゃなくて……わたしたちも気が付けば高校生でしょう? 今は自分の人生にとって『奇跡の時代』だと思っているから、記録として残しておきたいと思って」

「『奇跡の時代』ってなにそれ……つまりは日記?」

「日記とも違う。気持ちは、ちゆうぐうさだ様への愛をしたためたせいしようごんというか」

「そんじゃ、随筆か。春はあけぼのってやつだね」

 そんなところかな、と洩らして、萌子は話を戻す。

「『平凡の代表』が駄目なら、『モブの代表』に書き直しとく」

 その時、きゃあ、という黄色い声が湧き上がった。

 萌子が入口に目を向けると、そこにはおさなじみの賀茂理龍の姿があった。

 ごく自然にこの教室に入ってきたが、彼は同じ学年ではなく、この学園の大学部の三回生だ。

 つやのある黒髪、白い肌、すらりと高い背、かんぺきに整った顔立ちは見た者の心をとらえて離さず、即座に老若男女の視線を集める。

 彼は、この学園の王子様といっても過言ではなかった。

「か、賀茂先輩、こんにちは。お会いできてうれしいです」

「弓道の試合、拝見していました」

 クラスのキラキラ系女子たちが一オクターブ高い声で理龍を取り囲んでいる。

「相変わらず、まぶしいねぇ。若様は……」

 絵磨は遠くを見るような目でしみじみとささやく。

 理龍は小さい頃から絵磨の父を含む一部の大人たちに『若』と呼ばれており、その影響で、絵磨は彼を『若様』と呼んでいる。

 萌子はというと、

「今日も神だわ、理龍様……」

 顔の前で拝むように手を合わせて熱っぽく洩らした。

「萌子、また、『様』が付いてるよ。あんたは常々、若様に様付けで呼ぶの、やめてって言われてたよね?」

 小学部から大学部まである学徳学園だが、小学部と中学部の校舎は少し離れたところにあった。

 しかし、高等部と大学部は同じ敷地内にあるうえ、一部校舎がつながっている。

 言ってしまえば、高等部と大学部は、同じ屋根の下だ。

 さらに理龍は、大学院に進むつもりだという。つまり、自分が高校を卒業するまで、同じ校舎で学べるということだ。

 そう、萌子にとって今は人生において『奇跡の時代』なのである。

「とはいえ、まさか、神がわたしの教室を訪ねて来るなんて……これは、恐れ多くて妄想すらできなかった展開……」

「って、聞いてねーな」

 と、絵磨がのけ反る。

 そんな話をしていると、理龍はキラキラ系女子たちをあしらって、こちらにやってきた。

「おはよう、二人とも」

「おはよう……って、もうお昼じゃん」

「そうだね。さっきまで寝ていたから、つい」

「絵磨、神が『おはよう』とおつしやったのだから、『おはよう』でいいの」

 真面目な顔で言う萌子に、絵磨は頰を引きつらせた。

「って、あんたも相変わらずやばいわ」

 あきれたように言った絵磨に対して、萌子はかすかに肩をすくめ、理龍を見上げた。

「ところで、理龍くん、どうしたの?」

「萌子に話があって」

 理龍がそう言った時、絵磨は、そういえば、と立ち上がる。

「私、職員室に用事あるの思い出したから行ってくるわ。若様、座っていいよ」

 絵磨はそう言うと、ひらひらと手を振って、教室を出ていった。

「ありがとう」

 と、理龍は、絵磨の席に腰を下ろして、萌子を見てにこりと微笑む。

 その微笑みに周囲の女子たちが、きゃあ、と洩らす。萌子はすぐさま真顔で心のカメラのシャッターを切った。

 絵磨がこの場を離れたのは、おそらく萌子に気を遣ってのことだろう。

 彼女は、『萌子が理龍に恋をしている』と勘違いしているのだ。

 萌子は、うーん、とうなってけんしわを寄せる。

 もちろん、萌子は、理龍が好きだ。

 並々ならぬ強い想いを寄せている。

 だが、それは『恋』ではない。

 初めてったときに、『神様だ』と思ってしまった感覚が今も抜けておらず、自分のような一介の──さらにその中でも平凡に属している人間が神様に恋なぞ恐れ多いという感情しかない。

 萌子が理龍に抱く感情は、絵磨に伝えた通り、中宮・定子に心酔していた清少納言に近い。

 現代に当てはめると、『推し』といったところだろうか。

 萌子にとって理龍はアイドルだ。アイドルとはそもそも、『偶像・崇拝される対象』の意。ピッタリの言葉ではないか。

 ただ、彼は幼馴染。

 長い付き合いということもあって、こんなに美しい『推し』を前にしても過度に緊張せずにいられるのは、ありがたいものだ。

 もし免疫がなかったら、間違いなくこんなに間近で話せない。

 眩しすぎる光を前に、即行、宇宙のちりあくたになっていただろう。

 しかし、気を抜くとおおな敬語になってしまうので、そこは気を付けなければ。

 それにしても、今四方八方から注がれる視線が痛くて仕方ない。

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