京都下鴨 神様のいそうろう

望月麻衣/角川文庫 キャラクター文芸

序章

 あの特別な日を、わたしは昨日のことのように覚えている。

 あれは、わたしが小学二年生になって間もない頃。

 待ち合わせ場所がここだから、と母はしもがも神社の境内に入った。

 新緑が目に鮮やかに映る春である。

 境内を行き交う人たちは浮かれた様子だったけれど、わたしの心は沈んでいた。

 足取りは重く、お腹がしくしくしていて、背中の中心は石を押し付けられたように苦しい。目に映るのは、砂利道だけ。うつむいていたからだ。顔を上げられなかったのは、具合が悪かったから……だけではない。

もえ、いい加減にしてちょうだい」

 前方から母のいらった声が届き、わたしはさらに胸が苦しくなって身を縮めた。

 そのせつ、ふわりと自分の前にのだ。

 実際に『降りてきた』わけではない。けれど、その時のわたしにはそう感じられた。

「大丈夫ですか?」

 わたしの前に降りてきたその方は、そう言ってわたしの背中を優しくさすった。

 その瞬間。

 ふっ、と呼吸が楽になって、背中の重さが、お腹の痛みがなくなっていた。

 自分になにが起こったのか分からず、戸惑いながら視線を上げると、そこには水干をまとった中学生くらいの少年が微笑んでいた。

 カラスれ羽のようにつややかな黒髪に、陶磁器のような白い肌。

 小さな顔の中に、形の良い目鼻がかんぺきに配置されている。

 神様だ、とわたしは思った。

 彼がわたしの背中を摩った途端に、具合が良くなったし、何より、こんなに美しい少年がこの世の者なわけがない。

 わたしは拝むような気持ちで、ありがとうございます、と小さく会釈をする。

 手を合わせなかったのも、しっかりお辞儀できなかったのも母が近くにいたためだ。

 きっと、この神様の姿も、母には見えないのだろう。

 そう思っていたのだけど……、

「萌子、心配してくれているんだから、お礼くらい言いなさい」

 母がおおまたでわたしのもとに戻ってきて、強い口調で言う。

 わたしは戸惑いながら、母と神様を交互に見た。

「お母さん、この方が見えるの?」

 小声でたずねると、何を言ってるの、と母はけんしわを寄せた。

「当たり前じゃない。ありがとう、君。もしかして、神社の子?」

 と、母は少年に向かって、にっこりと微笑む。

「いえ、あなた方をお迎えにあがったところです」

 今度は母が、えっ、と戸惑いの表情を浮かべた。

はるみやさんですよね。僕は、りようと申します」

 ただすの森の木漏れ日の下、理龍と名乗る少年は、とても美しい所作で頭を下げた。

 それが、わたしとかの方のい。

 以来、八年間、彼はわたしにとっての『神様』だ。


 これは平凡なわたし、春宮萌子が美しい生き神様をただひたすらに推す……もとい、前世の記憶と不思議な力を持つ美しい青年・賀茂理龍と神様を尊むものがたり。

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