(2)


 急な心変わりの理由は知れないが、こうと決まれば再度の心変わりの前に出発してしまうに限る。

 出るかどうかも知れぬ妖怪を待つ夜は長い。面白い話が聞けそうだ。ゲンナイはほくそ笑む。



 カラン、コロンと己の下駄の音を響かせつつ、西の空に日が沈み、追って三日月も沈んでいくのを眺めつつ、反対側にに寛永寺の塔を見送って、目的地はもうすぐ先だ。


「あぁー、歩き疲れた。ちょっと休憩しないか。」

「もっと手前で言ってくれたら、どこなりと休める店はあったのに。」

「道端に腰掛けりゃあいいんだよ。この辺でいいさ。どっこらしょ。」


 半時も歩いて、中途半端な所でハルが音を上げてへたり込む。

 ゲンナイとしてはこのまま彼を背負って埼玉までも歩いていけるほど体力が余っているが、べつに急ぐ道行きでもない。ゆったり隣に腰掛け、持ち歩いていた瓢箪を差し出す。



「折角の兄さんとの外出に締まらねぇこった。ま、呑むかい?」

「おぉ、ありがとう……酒じゃねぇか。しかも水増しがひでぇ。ロクな酒じゃねぇな。」

「ちぇ。貧乏人にゃぁそれで上等もんだよ。」


「お前さんにゃ酒乱のケがあるんだ、程々にしときな。

 で。そんな秘蔵ひぞっ子(酒)を出してきたってことは、なんか聞きたいことがあるんだろ。言ってみな。」


「まぁ、そういうこっちゃねェんだけどよ。話の流れで考えれば、笠森稲荷の方にナンパ男?から守りてぇ女がいるんだろ? 初耳だ、教えてくんな。」


「あー。ホモのお前に秘密にすることでもねぇが、その軽い口に乗せてもらっても困るんだがな。まぁいいや。

 あっちの方の茶屋にな、もう何年かしたら絵のモデルになってほしいような娘っ子がいるんだよ。悪い虫がついたら困る。」


「へぇ。じゃあ、まだ子供なんだ。茶屋娘ねぇ。

 兄さんが絵にしてやるっつったら江戸中の女が、武家の奥方だろうが吉原の太夫だろうが行列しそうなもんだが! そのうちの2,3人と祝言あげたって構わねぇだろうによ。」


「馬鹿言え。アタシはな、恋愛ってもんは、美少女が美少年を想ってキューンとなってる、その姿をこっそり目にできればそれでいいんだ。おのれの恋愛なんて興味の外だね。」



「いやいや、若衆道ホモの徒として言わせてもらっても、それはどうかと思うぜ。鈴木春信の血を後世に残さないなんざ、罪だぜ。」


「うん?あ、モデルの話で思い出した。お前さん、あたしの居ない所じゃ「鈴木春信の描く絵は男も女もみぃんなおんなじ顔で誰が誰だかわかんねえ」って吹聴ふいちょうしてるらしいな。モデルなんかいらないだろうって思ってるんだろう!」


「い、言ってねぇよそんなこと。非道い冤罪だ。なんなら、兄さんが描く光源氏と在原業平の現代転生だって見分けてみせるぜ!」


「馬鹿野郎、背景の小道具でお前さんなら見分けがつくだろうさ。そういうこっちゃねえんだよ。

 美ってのは剥いだら仕舞いの面の皮一枚の話じゃねぇ、美少女として生きてきた一挙手一投足の何気ない振る舞いが美になるんだ。こればかりは想像で済まされねぇ。

 13,14も25,26も37,38歳もキレイに生きてきた所作ってもんがあるのさ。それを描き写したいだけなんだ。顔なんざぁ牡丹の花と同じで、ちゃあんと咲いたらどれもキレイなもんだ。」



 短かからぬ付き合いのなかでハルの一番の長広舌の芸術論を浴びせられて、ゲンナイは恍惚として震えるばかり。あんな事を言えるのは目の前のこの男自身がかなりの美男だからこその残酷さ、とは思うが指摘する理由がない。


「ん、そろそろ行こうか」と立ち上がるハルに合わせて、残りわずかの道を進む。




「で、そのモデル候補の娘さんは兄さんのことは知ってるのかね。神田明神の向こうへは年に一回くらいしか行かないって言ってたじゃぁねぇか。」



 日も沈みきって、町のにぎわいも後ろに過ぎていくとますます夜闇は濃く、静寂は深くなっていく。


「そこまで心配してもらう謂われはないぜ。アタシくらいにもなりゃあな、その辺まで行ったら「あら、先生!」なんて言って向こうから寄ってくるって具合よ。」


「そりゃ、ただの接客じゃないか。まぁいいや。そろそろ行かなきゃ妖怪が先に出てきちまう。」



 そんなこんなで谷中へ到着した二人だが、道なりに提灯の明かりが点々と、ずーっと奥の方まで続いてる。

 なんだなんだ、ちょっとキレイなライトアップじゃねえか。なんて思って近づいてみると、みんな灯りを持って集まった物見高い江戸ったち。妖怪を一目見ようとやって来たのだろうが、


「なぁゲンナイ、こんな中に妖怪が出てくると思うか?」

「この賑やかなところに「妖怪でござい」って出てくんのか。そりゃあ、あやかしの風上にも置けねぇな。さて、どうしたもんだか。」


「あら、先生!」


 男二人がコソコソ耳打ちし合っているところに、急に背後から呼びかけられたものだからビクッ! となって、事故は避けられたが危ういところだった。

 ゲンナイなどは惜しいところだった、仕損じたと落胆の色も隠さず乱入者をにらみつけるが、提灯の灯りが夜闇に白く映し出したのは美少女。それも、ハルの絵から抜け出てきたようなとびきりの美少女だ。



「ハル兄さん、ひょっとしてこの娘が?」


「ん? あぁ、そう、さっき言ってた、もう何年かしたらモデルにしたいってその娘だ。お前さんの俗っ気にもあんまり晒したくなかったんだが。

――どうしたんだセンちゃん。こんな遅くに出歩いちゃいけねぇよ。」


 センちゃんと話す青年の声に、いつもは無い甘さが含まれている。嫉妬に唇を噛み締めるゲンナイは鬼のかおをしている。

 その見苦しい顔が少女の目に映らないように立ち位置を調整しながら会話を続ける。



「心配ないわ、父ちゃんにも来てもらってるもの。そこに、ほら。…ここに来てるみんな、妖怪騒ぎにかこつけて夜にも集まっておしゃべりしたいだけだもの。ホントに出るっていうのはもっと奥の方らしいよ。」


 快い声色、心浮き立つ弾けるような調子でセンが話す。それだけで彼女が顔だけではない、何か特別なものを内面にもっていることが感じられる。

 だが男たちの今の目的はとりあえず彼女ではない。道の奥に目を向けて、


「ふうん。そんなもんかね。ゲンナイ、どうする?」


「ここまで来て手ぶらで帰れるかよ。奥の奥まで行ってやろうじゃねぇか。な、ハル兄!」


「あ、私も行きたい! 連れてってよ先生! いいでしょ、お父ちゃん。ゲンナイさんってことは、お隣は噂の風来先生でしょ? お話、聞きたいわ。」



 なし崩しに同行者が一人増えて、妖怪探しに谷中の奥地へ向かう。

 不思議なもので女の子が一人いるだけで、男二人連れよりパッと花が咲いたように華やいだ雰囲気になるものだ。ゲンナイとしても茶屋の娘さんにまで名が知られていると嬉しいものか、表情は幾分か緩んでいる。



「ゲンナイよ。そもそも、美少年ってのは、何だい。」

「おぉっ、聞いちゃう? それを、俺に聞いちゃう?」


 軽い質問を受けて、この話題ばかりは譲れないとばかりに勢いづいてまくしたて始める。


「そもそも “少年” てぇのは、ただの子供は卒業してもイッパシにはまだ遠い男のことだ。だから古今東西、まず戦士階級においてこそ “少年” は成立するんだ。」


 そういう「そもそも」を聞きたかったわけではないが、とハルはツッコもうとするがセンちゃんは聞きたそうにしているので放っておくことにする。ゲンナイが続ける。


「戦場での殺し合いに望んで参加しても屈強の男には敵すべくもない、全体の半分は簡単に死ぬだろうという前提で守られながら戦うという、存在のイビツさ。遠からず死んで無くなるか、成長して少年ではなくなるのか、その一瞬だけの魂の輝きが “少年” の美なんだ。

 その意味で “少年” は誰もが美少年であって、面の皮一枚の問題じゃねぇってのはハル兄さんがさっき言ってたこととも同じだな!

 ま、顔が良いに越したこたァねぇから、お話の中じゃあみんな顔が良い美少年になるんだが!」



「センちゃん、つまらねえだろ? ほら、言ってやれ「眠い」ってさ。」

「あら先生、私、もっと聞きたいわ。面白いもの。」


 面倒な話になった、と女の子をダシにして打ち切ろうとしたハルだったが、意外に乗り気な反応に「この娘がゲンナイの毒気に当てられてしまったか」と、憤りに唇を噛み締める修羅のかお


 一方のゲンナイは子どもの素直な賛辞に頬を緩め、勝手に調子に乗る。


「その系統の美少年といえば、たいらの敦盛あつもりくゅかな。ハル兄さんも若気の至りで専門外の武者絵を描いてみた、あの。」


「きゃー、先生、敦盛あつもりくゅも描いてらしたんですか?」

「おいゲンナイ、黙れ。」



「いや、悪い悪い。でも敦盛あつもりくゅは戦いらしい戦いができてないから、その点じゃ牛若丸きゅんか。義経公ぎけいこうになってからも弁慶のサポート付きで “小兵ならではの戦い方” を見せるあたりポイント高いよな。

 平家物語はその他にも維盛たんはじめ経正も知章も平家方はみんな美形だし、木曽義仲の息子も悲劇的でバッチリだ。

 太平記じゃ楠公の息子たちが、顔の造作はわからないがこれこそ美少年って感じだし、顔が良いのは北畠の顕家公だな。誰か1人くらい幸せに終わってもいいのに。

 戦国時代じゃあ織田信長なんてのも、父親も弟も妹も姪も評判の美形だし、本人もすごい美少年だったらしい。人気者でいえば山中鹿ノ介も涼やかな美少年ってことになってる。


 でも、美少年にはもうひとつジャンルがある。理屈を超えて理不尽に強い美少年だ。我が国では日本武尊ヤマトダケがそうだし、唐土じゃ西遊記の哪吒太子なたたいし、なんでか三国志の呂布も挿絵じゃ紅顔の美少年っぽく描かれるし、水滸伝の浪子・燕青も無闇に強い。天竺インドでだって、美少年アルジュナが一番強かったりするんだ。」


「勉強になりますぅ☆」

「センちゃん、役に立つ勉強をおし。それは、一生何の役にも立たない知識だ。」


 はしゃぐ女の子に釘を刺そうとしてみるが、どちらもまるで止まる気がない。



「なかでも日本武尊はすげぇぜ。初登場で兄を素手でバラバラに引き裂いて、次のクマソタケル討伐の任では女装潜入してクマソタケルの性癖ごと切り裂く。

 その次のイズモタケル討伐は唐突に水浴びエピソードになって、これは史上初の「とりあえず水着回」だといわれているんだ。

 そしてちょいバカでマザコン気味で泣き虫。いろいろ盛り盛りで、いいだろうセンちゃん」


「いい……とってもいいよゲンナイ先生! それで、今夜見に行く妖怪はどんな美少年ですか!」


「それを確かめに行くんだよ。」



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