(3)


 無駄話に盛り上がりながらも足は止まらず、いつの間にか周囲に人影は絶えて、提灯の頼りない灯りの他は真っ暗。目を凝らせば、その頼りない灯りが墓石を闇の中に浮かび上がらせている。


「ひぇぃっ」


 小さな悲鳴を上げて少女が青年の袖をつかむ。青年の方でも、少女を守るべく肩を抱くように引き寄せ、油断なく周囲に目を向ける。

 提灯の頼りない灯りでもわかるほど少女が赤面するのを見て、隣の若者が舌打ちをひとつ。



「美少年の話の続きだが、」


「なんだ、終わってなかったのか。」


「ここからが本番さ。ほら、噂すれば影、っていうだろ。言霊が呼び寄せるんだよ。噂ってのはそれ自体が簡単な呪術なんだ。

 …で、理不尽に強い少年とは何かという話だがな。


 子供というのは大人よりも神の世界に近いという考え方がある。小さい子は妙なものを見たとか、わからんことを言い出したり、ふとしたことで死んでしまったりすることがあるから、らしいな。

 でも幼児の間は知恵も力もないから、ある程度の年令になって、力をつけてから、まだ残ってる神秘の力で戦うんだ。カッコいいじゃないか。

 日本武尊ヤマトダケだって、最初の16歳の間は無茶なアクションをしてたのに、だんだん活躍が常識的な範囲になって、30にもなったらローカルの神様にも祟り殺されてしまうんだ。悲しいな。」



「おいゲンナイ、妖怪を呼び寄せるんだったら妖怪の話をしないといけないんじゃないのか。美少年を呼び寄せてどうするんだ。」


「そりゃ、手広く妖怪なら何でもいいってわけじゃァないんだ。がしゃどくろとか子泣きじじいが出てきてもお呼びじゃないだろ。

 一応、俺ぁ事件の解決を請け負ったわけだが、何にも出なきゃあ「不審者がいたから追い払った」って話つくって誤魔化すよ。…てなことで、朝までのんびり駄弁りながら待とうぜ。」


 適当な墓石に腰を下ろしながら呑気なことをいうしからん男に、


「センちゃんがいるのに朝までなんて無理だ。じきに引き返すぞ。」

「先生、私のせいですみません。」

「いやゲンナイひとり残してきゃいいんだ。構うことないさ。」


「おいハル兄さん、ちょっとむごくねぇ?」


 なんてバカなことを言ってた、その時!


   カラーン


 と下駄の音が響いた。

 こちら側じゃない、向こうから、魂の底が冷えるような音。

 地の奥底から響くような、でも向こうに伸びているはずの土の道が立てるににふさわしくない澄んだ音で、  コローン



 続いてフワッと、ヒヤリと風が吹き付けてきた。妙に生臭い、そのわりに冷たく感じる風だ。

 月も沈んだ後の夜闇が一段と暗さを増した気がする。そんな漆黒のなか、一つの灯りが墓石の隙間からチラチラとこちらに向かって近づいてくる。

 まだずいぶん遠くなはずの灯りだが、それにしては速い。速すぎやしないか。一定の間を置いて鳴る下駄の音と灯りの動きの辻褄ツジツマが合っていない。


 センちゃんがいまさらながらにガタガタ震えてハルにしがみつく。そのハルも、さすがに震えを抑えきれない。ゲンナイさえも固唾を呑んで、腰に提げた刀の鯉口を切って口を開く。


「こんなこともあろうかと、神田明神でお守りをもらってきてるんだ。明神さんといえば平将門たいらのまさかど公だ。美少年でなんとか出来る将門公しょうもんこうじゃねぇや。どーんと、まかせときな。」


「御札じゃなくてお守りかよ。おい、何のお守りだ。」


「縁結び。」


「センちゃん、逃げるぜ!」 


「待った!待った。…もうそこまで、…来るぜ!」



 不意に、灯籠の明かりが正面から当てられる。

 まぶしい! と身をよじろうとしたが、身体が動かない! 金縛りだ! どうやら、軽く見ていたよりもちゃんとした妖怪らしい。


 周囲は静まり返っている。自分たちの他には物音を立てる者もいない。さっきの光に目がくらんで前がよく見えない。

 妖怪はすぐに襲いかかっては来ず、どうやらこちらの様子を伺っているようだ。

 相手が注意を向けているのは、どうやらハルではなくゲンナイでもなく、センちゃんだ。これはまずい。彼女を守ろうとしに来たのにわざわざこちらから差し出す形になってたまるものか。



 身動きがとれないまま、じりじりする時間が流れる。一刻も経ったか、まだ2,3秒くらいかもしれない。しかし、目は見えるようになってきた。


 まだ冷静になれているとは言い切れない。大きな不安、恐怖。それよりは少しだが好奇、期待。あくまで浮世げんじつを絵にすることにこだわってきた絵師の目でしっかり見てやる。

 隣のゲンナイからの視線も感じる。口もまだ開かないが、向こうも気を取り直しているようだ。

 さあ、噂の妖怪、顔を見せてみろ。気合を入れて目をしばたたく。



 正面には、灯籠を手にした若い男が立っている。子供と呼ぶには背が高い。元服前の前髪を残し、振り袖を着た若衆の風体だ。

 ちなみに、ハルもゲンナイも髪型はチョンマゲのための頭頂さかやきを剃ることなく残している総髪そうはつスタイルだ。公家や学者など文化人の印でもある。若衆スタイルは、頭頂の一部は剃るが前髪は残して、女っぽく結ってちょっと色っぽい感じにしたチョンマゲ頭。


 その髪型の下にあるのは茫漠ぼんやりとした印象を残す顔。“醜い” と感じる個性を顔の全てから注意深く取り除けばこうなるだろう、と思える、確かにとんでもなく整っているが、そのせいで掴み所がない、退屈な記号のような容姿だ。


 美しさとはこういう顔の皮のことじゃないんだ、と自説の正しさを改めて感じたハルだが、相変わらず身動きはとれない。



 そこに、“妖怪” がツっと、前に一歩出た。空気が揺れる。同時に、拘束が少し緩んだようでもあるが、ここはまだ我慢だ。

 ゆっくり、退屈な顔が口を開く。


『なぁんか、』

『「「用かい?」」』



 あまりにも知れた台詞に、ついハルとゲンナイも金縛りを破って口を揃えてしまう。

 少年妖怪がギョッとした隙に、ゲンナイが刀を鞘ごと、その肩口へ振り下ろす!


 ゴッ、と鈍い音が響いて、次いで、ドロン。という古風な音が鳴る。


 わさっ、と音を立てて地面に転がったものを見れば、真っ白のキツネ。


「なんだ、化け狐だったか。いやしかし、本物の化けるのを見たのは初めてだ。」


 化け狐は死にはしなかったようで、ぐったりと気絶している。悲鳴を上げることさえできなかったこの頼りなさで、よくも今まで人を驚かせて斬られずにいられなかったものだ。

 とはいえ、こうなったからには野放しにはできない。



「おいゲンナイ、縛っておく縄はあるかい。」

「無いよ。そんな嵩張かさばるもの持ち歩いてたら不審者じゃねぇか。」

「じゃ、どうすんだよコレ。」

「しょうがねぇな、鍋にしちまうか。」

「きつねうどんならかく、キツネの肉なんて食えるのか? 初耳だよ。」

「? キツネうどんって何だよ。ハル兄さんは時々面白いことをいう。」


 言いながら刀をスラリと抜くゲンナイ。山歩きとジビエは彼にはお手の物だ。が。


「先生、お稲荷さんの側で白狐を殺さないで……。ほら、この紐でどうかな。」

 センちゃんがなにやらモジモジしながら可愛らしい紐を差し出す。


「あ、あぁ……獣畜生にはもったいない紐だ。ちなみに、これって何の紐?」


 ハルが紐を受け取って、倒れている白狐の首に蝶結びで縛り付ける。


「その紐はですね…腰紐なの、帯の下の。ひとに言わないでね。」


「ゲンナイ、お前さん帯を貸しな。獣にはそっちがお似合いだ!」

「えぇ…」

『勘弁してくれぇ……』


 わっ、喋った! と、まだ寝そべりながらも息を吹き返して話しだした白狐に、驚きながらも油断なくゲンナイの刀でおどかしながら、妖怪狐に話を聞くことに。



『オイラは、お見通しのようだがそこのお稲荷さんの眷属の白狐さ。…うぅ痛ぇ、むちゃくちゃ殴りやがって。おい人間! オイラ偉いんだぞ、畏れ入って謝れ!』


「知らねェーよ、そいつが何のためにこんな所でイタズラしてんだい。」


『イタズラじゃねぇやい、そんなに聞くなら教えてやるよ。そっちの女の子はな、後の世に「笠森稲荷の仙女・お仙」になる予定なんだ、ちゃんと成長すればな。

 世に稲荷社は数多あまたあれど、新しい仙女が生まれ育った稲荷社なんて京の伏見稲荷にだって対抗できる栄誉よ。しっかり、見守ってやらなきゃあなるめぇ。手前てめっちごとき盆暗ボンクラが関わって良いお方じゃねぇんだよぅ!』



「ほぅ、要するにハル兄さんとザコ狐は奇しくも同じ目的だったわけだ。しかし、なァ。」


「騒ぎを起こしちゃ逆効果だろう。ゲンナイ、化け狐のこと人に話すかね。」


「したら、界隈にガラの悪い面倒なのがあふれることにならぁな。無かったことにするのがいちばんだが…それじゃあ俺がオマンマの食い上げだ。さて、迷惑料は安くねぇぞぉ。」


 ゲンナイは普段「この世に知らないことはない」と豪語する男だ。この世でないものの消息が転がっているのを目の前にして、舌なめずりでもしそうな表情になっている。



『うぅ……』


「風来先生、稲荷ちゃんイジメたらダメよ!」

「そうだぞゲンナイ!」


「裏切ったかハル兄! …まぁ、子供にゃゲンナイ様だって勝てねぇよ。

…そうだな。化け術を見せてもらうくらいで手を打とうか。じゃあ、平敦盛くゅにでも化けて見せてもらおうじゃねぇか。」


 ドロン。


 不承不承の面持ちではあるが、首に巻かれた紐の片方をお仙ちゃんに握られていては白狐は従わざるを得ない。

 不思議にわき起こる煙とともに、たちまちに烏帽子に大鎧姿の先ほどの少年が、ちょこんと座り込んでいる。


「うッ、カワイイじゃねぇか。しかし顔は変わらねぇのな。じゃあ、太平記の北畠顕家公!」


 ドロン。

「ただの鎧武者だな。だったら、天草四郎時貞!」


 ドロン。

「一緒じゃねぇか!」

『よく見ろ、鎧兜も持ち物もぜんぜん違うじゃないか!』


「…うーん、化け術は見事だが、思った感じじゃねぇな。どう見るハル兄さん。」

「だから、妖怪に “美” は期待できないのさ。…待てよ狐公。お前以外の、例えばセンちゃんの服をお姫様スタイルにできるか?」


『バカにするな、できらぁ!』

 ドロン。

 こんどはセンちゃんが煙に包まれ、現れたのはお雛様のような重厚ながらも可憐な姿。


「キャッ、これ、十二ひとえ? すごい! 鏡、鏡はないの?コンちゃん、鏡に化けなさい! …暗い、暗いわ!」


「どうだゲンナイ、美少女のほうがいいだろう。転向してもいいんだぞ。」

「ちぇーっ、少年が負けてただけサ。」



 せめて月明かりでもあれば、と願わずにいられない提灯の弱い灯りのなかで次は仙女、南蛮人スタイルとくるくる変わりながら繰り広げられるファッションショーは丑三つ時、パッタリとセンちゃんが倒れるように眠るまで終わることを許されなかった。


「どうだコンちゃん(笑)、これでりたか。」

りましてございます、お許しを…』


 化け術を酷使されてげっそりやつれ、気息奄々きそくえんえんの風体だった白狐は、ひとこと言い残すやとんぼ返りをひとつクルリとして、ドロンとどこかへ消え失せてしまった。


「一応、妖怪退治はできたのかね。…アホらしいこっちゃ。あぁゲンナイ、次発明するならエレキテルとかよりカメラを発明してくんな。」


「また、何を言ってんだか。次こそは兄さんのお眼鏡に叶う美少年と狐公を見つけてきて絵のモデルにさせてくださいと頭を下げさせてやる。見てろよ…」



 本当の戦いはこれからだ、となにやら誓っているゲンナイは放って置くとして。眠ってしまったセンちゃんを背負って、こんな遅くまで女の子を連れ回してしまったこと、その子の腰帯を持っていかれたことをどう言い訳するか、深刻に悩むハルノブだった。


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美少年談話 ~ 春信と源内の妖怪事件簿 (短編) 相川原 洵 @aigawara

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