第8話 【解放】

「会場の皆さん、サブMCのホリエ・ミホです。エスカ地下街プレゼンツ758人目賞の来場者に来ていただきました」


 モニターに小学校低学年くらいの男の子とお兄ちゃん、その親族が映し出される。彼らを挟むようにしてオフィシャル・マスコットのディーディーとダイヤモンドルージュのメンバーが一人付く。ミホちゃんが再びマイクを向ける。


「推しの選手はいますか?」

「スダ・ユウタロウせんしゅです」

 子供が答え、その可愛さにドルアリの空気が弛緩する。カメラがコート上でシューティングするスッサンを捉えた。

 モニターに自分が映っていることに気づき、スッサンが手を振って応える。素敵なやり取り。やはり選手はスターだ。


「ありがとう。ご家族の皆様には名古屋駅エスカ地下街で使用できるお買い物・ご飲食券3000円分がプレゼントされます。美味しいもの食べてね」


 ミホちゃんの声のトーンにはファンを包み込むような優しさがある。ドルアリの客層は老若男女と様々だけれど、なんとなく家族連れが多い気がする。この場に、ぴったりの声だ。


 進行は予定通り、滞りなく運ばれ、ディーディーとダイヤモンドルージュがオフィシャルパートナーである『青柳総本家』からいただいたウイロウを配っていく。

 そこかしこで「欲しい!」と、お客さんが手を上げてアピールする。みんな楽しそうだ。


「クロさん、では、そろそろアウェイの入場に移りましょうか」キノシタさんが僕を促し、スタッフにも知らせる。


 映像のサトウさんがそれを受けると、モニターに日本地図が映し出され、本日の対戦相手であるサンロッカーズ渋谷の本拠地、東京都が点滅した。

 キューが出され、マイマイクを握り、呼吸を整える。


「And now, Let me introduce today's away team……」


 シンプルなビートが流れ、黄色を基調としたユニフォームのサンロッカーズ渋谷の選手が次々とコートに走って現れた。

 大きな拍手が送られる。アウェイのブースターとドルファミによる温かい拍手だ。Bリーグの良いところの一つは、お互いにリスペクトを送り合うところである。


「これより演出のため、会場内を暗くします」


 ミホちゃんのアナウンスをきっかけにドルアリが暗転する。無数のペンライトがつき、会場から「おおー!」という声が漏れた。


 今季から使用する新しい映像と音楽が流れ、誰もが一点に集中しているのがわかった。

 モニターにこれまでのハイライトと共に、昨シーズン琉球ゴールデンキングス相手に悔しい敗戦を喫したときの、選手の涙があえて使用されていた。

 あの痛みを決して忘れないためである。

 その効果が功を奏したのか、会場内に良い意味での緊張感が走った。キノシタさんが再び僕に向かってキューを出す。間髪入れずに叫んだ。


「It's your 2023-2024、Nagoya Diamond Dolphins!!!」

 

あらん限りの声でドルフィンズの精鋭たちを呼び入れる。明日も試合があるため、声の消耗度を考えれば、もう少し抑えなくてはならないのに、いきなりトップギアに入れてしまった。

 なぜかそうしてしまった。

 選手が子供たちと手を繋ぎ、コートに出てくる。赤のユニフォームが眩しい。

 やはりホームコートは自軍を輝かせる。

 音が徐々にフェードアウトし、センターで簡単な写真撮影が行われた。

 これまでと違うオープニング。

 だが、会場の雰囲気を見る限り、悪くない感触を得た。

 再びキノシタさんのキューで「選手の皆さんは、ウォームアップを開始してください」とアナウンスする。

 『バスケットLIVE』でもお馴染みのジングル「Bリーグ」の一言が会場内に流れた。


「クロさん、約15分後に応援練習です。準備しておいて下さい」キノシタさんが言う。


 一息つく暇もなかった。

「ちょっとトイレ行ってきていいですか」


 さすがに緊張してきた。

 この後、バスケを観に来たお客さんを前にライブのようなことをするのである。

 もう一度、冷静になりたかった。

 用を足していたら、DJコースケとトイレで一緒になった。

「あれ、コースケも?」

「なんか、緊張してきました。クロさんのバックですし、変な失敗できないなと思って」

「大丈夫だよ。俺に任せておけ」

 なぜか強がってしまった。これまでに経験のない種類の緊張を感じているくせに。しかしコースケの前で強がったことで、どこか吹っ切れた部分もある。

 ハッタリも時には重要だ。


「クロさん、1分後です。選手たちのフリースローの練習が終わったら応援練習のビートを流します。Tip Offの時間が決まっているので、必ずそれまでには終わってください」キノシタさんが大きめのデジタル時計を僕に見せる。


「この時計を出しておくので、確認しながらやってください」


 コートでセイガが最後にウォーミングアップ用のフリースローを決め、ドルファミから手拍子が2回鳴らされた。

「それじゃクロさん、いきますよ!」コースケが待ったなしでターンテーブルから音を出す。

 スタジオでユウジくんと一緒に作ったホーンがドルアリに鳴り響く。コートに深く一礼し、イントロにラップを乗せて颯爽と登場した。


「Clap your hands everybody……」

 

会場が一体何が始まるのだと、ざわついているのがわかる。当然だ。いきなりラップしているのである。


「みなさん、ようこそドルフィンズアリーナへ! 今シーズンからホームコートMCを務めさせていただいている、HOME MADE 家族のクロです。さあ、今季から、選手たちがウォーミングアップしているときに、僕たちは声のウォーミングアップをしてみませんか?」


 まだどういうことなのかよくわからない雰囲気がドルアリに漂っている。

 ここは我慢だ。とにかく、今は丁寧にいくしかない。


「大丈夫です! わからないときは、お近くのダイヤモンドルージュルージュに従ってください! まずは彼女たちの紹介から! キャプテン、リサ! バイスキャプテン、メイ!」


 モニターにタイミングよくルージュのメンバーが映し出される。バッチリだ、セツコ。


「では、今からこのドルアリを二つに分けたいと思います! 北半分から西側、そして僕の裏側に位置する南半分の皆さんは全員、僕がダイヤモンドとコールしたらダイヤモンドと返してください! いいですか、いきますよ!」


 ざわついていた観客が、だんだんと僕に耳を傾けようとしてくるのがわかる。


「こっからこっちだけ声出せよ、Say ダイヤモンド!」


 第一声目はどうしたって声が小さい。

 それはライブと同じ。想定内だ。

 しかし、第二声目からとんでもない声が返ってきた。これはもう人間の条件反射なのだ。


「完璧です! それでは続いて、北半分から東側、そして後ろの南半分の皆さんは僕がドルフィンズとコールしたら、腹の底からドルフィンズと返してください! いきますよ!」


 すでにダイヤモンド側の声を聴いているので、やり方が伝わっている。第一声目から大きな声が返ってきた。

 ドルファミが今、自分たちが何をやらされているのか、ようやくわかってきたという雰囲気になる。


「完璧です! さあ、ここからもう一つ次の段階にいきますよ! 今度は東西に分かれて、ダイヤモンド側とドルフィンズ側で交互に声を出していきましょう! お互いの声援に負けないように声を出してくださいね! いきますよ!」


 これも第一声目は小さい。というよりも、意味がまだ伝わっていない。

 一緒に言ってくれるまでは、自分がお手本となって言い続けるしかない。


「ダイヤモンド! ドルフィンズ! ダイヤモンド! ドルフィンズ!」


 僕の声にドルファミの声が徐々に重なっていく。各エリアに座る応援団長のような人が率先して声を張り上げ、釣られるようにして周りが引っ張られていく。大人が声を出すと、子供も一緒になって言うようになる。

 いつの間にかみんなの声量が僕の声を凌ぎ、東西の声援が、寄せては返す波のようになる。頃合いを見てドルファミの声だけにした。

 西側半分に負けないように東側半分はさらに声をあげ、東側半分に負けないように西側半分がさらに声をあげる。お互いに薪をくべるように、燃え盛り、声の炎が倍々ゲームのように増幅していく。


「ダイヤモンド!! ドルフィンズ!! ダイヤモンド!! ドルフィンズ!!」

 

会場が揺れ始め、ドルアリがドルファミの声一色に染まる。その音の塊はすべてを包み込み、アウェイすらも飲み込む。

 ドルフィンズの選手たちがチラチラとアリーナを見渡している。ここまでくると、もうほとんど僕はやることがない。あとはドルファミに任せるだけだ。


 思えば僕たちは、コロナ禍でずっと声出しが禁止されていた。音楽の世界もそうだ。

 潰れたライブハウスもたくさんある。

 人との関係性が壊れてしまった人もいる。

 誰もが自粛を強要され、世界が制限がされ、見えない何かに日常さえも締め付けられていた。一刻も早く何かこの鬱屈した日々から解き放たれたかった。

 大きかろうが、小さかろうが、心から叫びたいそれぞれの思いがあった。

 僕も、当たり前が当たり前じゃなくなった。

 ライブとは会話だ。

 演者と観客が呼応し、一体化して最後の一瞬まで共に駆け抜けていく。

 バスケだって、同じだ。選手とファンが一つになって最後まで走り抜けていく。

 今、ずっと抑圧されていた思いが爆発したのだ。

 グループ活動を休止して久しく忘れていた。

 これが人の力だ。

 ファンの力だ。


 『ダイヤモンドドルフィンズ』のコールが鳴り止まない声の波間で、僕は全身に漲るものを感じていた。よく見たらルージュもミホちゃんもコースケも声を出している。

 キノシタさんが僕にデジタル時計を見せて、巻くようにと指で指示を出した。


 構うもんか。

 もっと聞かせてくれ。

 もっと選手に届けてくれ。

 「ドルファミ! カモン!!」

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