第7話 【仲間】

 黒いバッシュの紐を固く結ぶ。

 別にクロだからこの色を選んだわけではない。これはドルフィンズの練習を見学しに行ったときに、ひょんなきっかけでタクミから譲り受けた物だ。


 室内履きを持参せずにいた僕は、靴を体育館の外に置いて来客用のスリッパを借りて見学していた。ところが途中でスコールがあったようで、帰る段になって靴がびしょ濡れになっていることに気づき、入口で途方に暮れていた。するとタクミが「クロさん、靴のサイズいくつですか?」と聞いてきた。


「28か、27.5かな……」

「じゃ、ちょっと小さいけどギリギリ入るかもしれない」そう言うと、裏からほとんど新品のバッシュを持ってきた。

「え、いいの?」

「全然いいっすよ。まだ2回しか履いてないから綺麗だと思います。あげますよ。使ったら捨ててもらっても結構ですし」

「いや、そんなことはできないよ。うわー、ありがとう。大切に履かせてもらいます」


 ファンにとっては垂涎のアイテムである。本来なら保管しておくべき代物だろう。しかし背に腹はかえられない。有り難く頂戴した。

 そんな経緯があり、開幕戦は絶対にタクミの黒い靴を履いてやると決めていた。何かそれだけで今日は勝ちそうな気がしていた。


「クロさん、サウンドチェックお願いします」ダイヤモンドルージュのリハーサルを終えて、キノシタさんが控室にいる僕を呼びに来る。

「了解です。今、行きます」


 普段、ライブで使用しているマイクを鞄から取り出す。デビュー前から僕の声を支えてくれている大切なマイクだ。低音域の強い僕の声をよく通してくれる。シュア製よりは幾分いいはず。

 ひょっとしたらBリーグのMCでマイマイクをわざわざ持参する人は僕だけかもしれない。しかしドルアリも一つのライブ会場という意識を持てば、これからも音響には拘っていきたい。


 DJコースケのところに行き、スタジオでユウジくんと作った応援練習の楽曲を流してみる。予想通りアリーナでの響きも悪くない。

 360度の空間は音が激しく反響するため、リズムが取りにくい。会場が大きくなればなるほど、歌手がよく耳にイヤモニをするのはそのためである。これは演者側だけでなく、お客さんもそういう状態になる。

 二階や三階など、座っている位置によっても聴こえ方が違ってくるのだ。より音を取りやすくするため、ドンシャリと言って、ドラムが際立つようにユウジくんにミックスを施してもらった。これならリズムがハッキリするので、ずれにくく、ドルファミの手拍子や声も揃いやすくなるだろう。前回のプレシーズンで学んだことだ。


「チアの映像の確認をしましょう」左隣に座る、モニター席のセツコに話しかける。


 下の名前でいきなり気安く話せるようになったのは、僕の母と同じ名前ということがわかって、お互いに親近感を持ったからだ。

 スタッフの名前もようやく覚えてきた。

 PAのヤマグチさん、ヨシダさん、照明のハシモトさん……。ちなみに、セツコは盟友Ms.OOJAの大ファンでもあり、そのことでも仲良くなった。


「それじゃいきますよ。上からリサ、メイ、モエカ、ミナ、ミサキ、ハルカ、ユイ、マドカ、ノア、ミラノ」


 二人で指差し確認しながらモニターを見ていく。応援練習のとき、ダイヤモンドルージュを紹介したタイミングで、四面モニターに順番に彼女たちの写真が映って欲しいからだ。ルージュも大切な出演者である。


「よし、大丈夫そうっすね。本番もよろしくお願いします」


 いよいよ今日から一新する。

 映像だけでなく、選手入場から勝利したあとに流す音楽まで違う。ディフェンスとオフェンス・チャントに至っては昨シーズンよりもパターンが増えている。

 前者は二つ、後者に至っては四つ。

 バリエーションを増やすことで、試合中の応援に緩急をつけるためらしい。

 もちろんすべてを変えたわけではない。

 残した部分もある。

 第四クオーター、ラスト5分を切ったところでオフィシャルタイムアウトでかかるAK-69の『KAMIKAZE』。あの曲はドルフィンズの歴史の一部だし、劣勢のときには"追い風"を、圧勝しているときには"引き締め"をドルアリにもたらせてくれるため、今シーズンもそのままだ。プレシーズンで初めてコート上で体感したときは鳥肌が立った。コロナが明けた今、ドルファミ一丸となって歌う『KAMIKAZE』は、今シーズンさらなる効果を発揮してくれるに違いない。

 それと、手前味噌ながらHOME MADE 家族の楽曲も数曲だけ提案させてもらった。

 僕がいることで意味がより出ると思い、調べてみると過去にも何度か使用されていたという記述を見つけたので、復活をお願いした。退出するときに流す『We Are Family』は、きっとドルファミとも相性がいいはずだ。

 オオノさんが舞台監督かのごとく、照明や音のタイミングを何度も確認して、各スタッフに指示を出している。


 控室に戻ると、選手たちが廊下でストレッチをしたり、テーピングをしてもらったりしていた。時折笑いもあるけれど、ピンと張り詰めた空気があって近づけない。中には音楽を聴いて集中している者もいる。

 今日から新しいシーズンが始まるのだ。

 根拠のない自信があったとはいえ、やはり一抹の不安はある。


 本当に受け入れてもらえるのだろうか。

 ライブ感覚をバスケに注ぐことが果たして正解なのだろうか。

 プレシーズンが散々だったので、そのトラウマもあった。

 普段のステージとは違う緊張感である。

 最終的には試合に勝って欲しい。

 それが全員の願いだ。


 初戦の相手は、サンロッカーズ渋谷。

 3Pの強いベンドラメ礼生や日本代表のジョシュ・ホーキンソンが在籍している。なかなか簡単にはいかないだろう。

 ここまで散々考えを巡らせても実際にプレイをして結果を出すのは選手たちだ。なんだか歯痒い気持ちもある。

 果たして応援の力でどこまで勝利に貢献できるのか。とにかく、選手とドルファミを信じて自分の持ち場を100パーセントやるしかない。


「それじゃ、私、先行くね」

 ミホちゃんが言った。

 彼女は先にアナウンスしなければいけないことがあるので、僕よりも早く出る。新しいドルフィンズのTシャツがよく似合っていた。

「うん。俺も準備が整ったら行くよ。本番よろしくね」

「きっとうまくいくよ」

 僕の不安を読み取ったのか、ミホちゃんはそう言うと笑顔で控室を出ていった。


 考えてみれば、僕一人でやるわけではない。選手たちにチームメイトがいるように、僕にはスタッフという最高の仲間がいるのだ。何をすべて背負った気でいたのだろう。

 全員で、今日という日を作るのだ。


「ありがとう」


 小さく呟き、願うようにタクミから貰った靴に触れた。  

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