第5話 【不安】
2023年9月9日。プレシーズン。
横浜ビー・コルセアーズ戦。
不安しかなかった。
新シーズンに向けて新しい演出家チームになる予定だったが、なかなか決まらず、昨年と同じスタッフに御鉢が回り、プレシーズンはエキシビジョンマッチなので、一先ず昨年と同じ演出でいくことになった。
つまり入れ物は変わらず、僕たちMCだけが変わったということで走り出すことになった。
自分の中では、やってみたい応援練習の構想があっただけに、それが最初からやれないのが残念だった。
が、組織が大きくなればなるほど足並みを揃える難しさも知っている。僕も音楽の世界で何度も経験してきた。そんなことで後ろ向きになるほどウブではない。がしかし……。
外見は変わらず、中身の人間だけが変われば、間違いなく昨シーズンと比べられるだろう。ドルファミは今までの演出に慣れている。僕にとっては向かい風のような状況だった。
ドルアリには、リハーサルをするために前日入りした。まだお客さんがいないコート。
東西南北の表記が四方の壁に貼ってあり、バスケ以外に名古屋場所が行われることを物語っている。由緒ある愛知県体育館の風合いを残しつつ、天井から四面モニターとスピーカーを吊るし、照明や椅子などに赤の化粧を施したドルフィンズ・アリーナは、ビシッとスーツを着ているようで格好良かった。
これから一体どんなドラマを僕たちに見せてくれるのだろう。周囲を見渡す。誰もいない体育館というのは静謐で厳かな雰囲気がある。
明日からここが僕のもう一つのステージだ。
まだ声の出し方も、試合中の煽り方も、MCの言葉遣いにしても何一つ定まっていない。
そもそもプレイの速さについていけるかどうか、選手のインタビューにしても、心配事は尽きない。この日の夜はうまく寝ることができなかった。
***
「それでは皆さん、よろしくお願いします」
午前11時半。プレシーズン当日。
台本を作成したキノシタさんが、進行ミーティングで本日の流れを説明する。
僕の前にミホちゃん、右隣に映像のサトウさん、その前にダイヤモンドルージュのディレクターのチエコさんが座る。
この部屋は外の喫煙所につながる通り道にもなっているため、ミーティング中も人通りが激しい。僕の背後を社長やカジヤマさんなど、様々な喫煙者が通っていく。プライバシーがあってないようなMCの控室である。
「本日、ビーコルのエース、カワムラ選手のインタビューは本人不在のため、行いません」キノシタさんが言う。
ほっとした。先日まで行われたパリ五輪出場権を決めるW杯は僕も食い入るように観ていた。トム・ホーバスHC率いる日本代表は見事48年ぶりにパリ五輪出場を決め、各メディアが特集を組み、国を挙げてのお祭り騒ぎとなった。
そのエースの一人でもある、横浜ビー・コルセアーズに所属するカワムラ・ユウキは、代表でも目覚ましい活躍を見せ、事前にもらっていた台本では僕がインタビューをすることになっていた。
テレビ越しに観ていた身としては、時の人にどう接していいのかわからず、大して知識もないため、完全に臆していた。しかし今回は代表の疲れをとるため、カワムラ選手は帯同せずに温存するとのこと。不安材料が一つ消えて内心「助かった」と思った。
「こんなこと言うのもアレですけど、初日で頭がパニックってるので、カワムラ選手のイタンビューがなくなって安心しました」正直に言った。
「興行的にはあった方がお客さんが盛り上がるので、残念なんですけどね」キノシタさんが言う。
その通りだ。僕もお客さんだったら見たい。来場してきた人たちを楽しませるのが僕たちの役目である。自分の甘い考えを反省した。
「名古屋にちなんだ758人目の来場者のインタビューはホリエさんよろしくお願いします。お客さんが推しの選手を言ったら、サトウさんはその選手をカメラで抜いてモニターに映してください。チエコさん、ここはルージュの誰をつけますか?」
「今日は、リサで」
「わかりました。では、758番目のコーナーが終わったら、お客さんにウイロウを配るところ、必ず席に座っている人に渡してください。ホリエさんもそうアナウンスしてください。動き回ると転んだりして危険なので」
キノシタさんは僕よりもだいぶ若いが、雑談などで話が横道に逸れると瞬時に軌道修正をして淡々と進めていく。顔が少しデトロイト・タイガースのマエダ・ケンタに似ていることからスタッフからは『マエケン』とも呼ばれていた。もう何年もドルフィンズの台本を担当している大ベテランである。
「ウイロウはルージュからの手渡しになります。クロさん、アウェイの入場は英語でお願いします。ここはカッコよくキメましょう」
「はい」
「それでは、15分後に会場でサウンドチェックをします。遅れないようにお願いします」
いよいよ始まる。エキシビジョンマッチとはいえ、僕のデビュー戦だ。
ファウルコールはミホちゃんが担当する。スポンサー告知など、アナウンスものは彼女に一任して、僕はドルアリに熱を入れる役目だ。役割を完全に分けることで、お互いの持ち場に専念できるようにしてもらった。きっとこの方が力を発揮できる。
試合中はドルフィンズ側を僕が、アウェイ側を彼女がコールする。テンションと声を明確に分けることで、アドバンテージが少しでもホーム側に働くように演出するのだ。せっかく2人でやるのである。コンビMCの特性が最大限に活かせればと思った。
T.O.(テーブル・オフィシャルズ)と呼ばれる長机が三列並んだスタッフ席の真ん中にメインMCの席がある。一番何も知らない男が、いきなり我が物顔でここに座るのだ。
「DJコースケです。よろしくお願いします! 音周りは僕が担当しますので、なんでも言ってください」
両耳にピアスをした、細身の優しそうな青年が話しかけてきた。クラブで誰かに会うとよくやるような握手を本能的にする。
「こちらこそよろしくです。まだ何もわからないので、いろいろと教えてください」
「いや、僕も引き継ぎなんで今年からなんです! 一緒に頑張っていきましょう」
MCにとってDJは相棒である。これから彼と息を合わせていくのだ。
自分の席に座り、背後のPAと呼ばれる音響や照明、隣に座る映像スタッフなどに一通り挨拶をする。まだ名前を覚えることができない。
「それじゃ、クロさん、まずはマイクチェックをお願いします」キノシタさんが言った。
机にワイヤレスとコード付きのマイクが1本ずつ置いてある。シュア製だ。経験上、あまり自分の声と相性のいいマイクではない。だが、一先ず発声してみる。スピーカーから悪くない音量で声が響いた。席を立ち、音の反響を確認する。これならいけるかもしれない。しかし問題はお客さんが入ってからである。
360度のアリーナは音が掴みづらい。見たところ自分の足元にモニターはない。お客さんが入ると音は吸収されてしまうので、リハーサルとはまた音がガラッと変わってしまう。こればかりはやってみないとわからない。
「どうですか? 大丈夫ならオープニングのリハーサルからいきたいのですが」キノシタさんが言う。
「大丈夫だと思います。一先ず、やってみましょう」
10人のダイアモンドルージュが、ポンポンを持って配置につく。背丈も髪型もみんな同じくらいで、それだけで見た目の統率が取れている。
「照明が落ちると見えないので手元の明かりはこの携帯用ライトを使用してください。では、クロさん、アウェイのヘッドコーチの紹介をお願いします。それきっかけでいきます」
会場が暗転する。
AK-69の曲が大音量でかかり、重低音が腰に響く。
昔からよく知る仲間の歌である。これも何か不思議な縁だと思いながら、モニターを見上げるとドルフィンズの選手たちが次々と映し出されていく。赤と黒のコントラストが渋い。まだリハーサルなのに自分もお客さんになったような高揚感に包まれる。
カットが変わる。
キノシタさんが、僕に向かってキューを出した。
その合図をきっかけに、目一杯、声を張り上げる。
「And now this is the moment you've all been waiting for!!!」
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