第3話 【洗礼】

 大曽根駅北口を出て、南に向かい、高架沿いを歩いていく。両手にはバスケットボールではなく、バスケットボール級のスイカを二つぶら下げて。


 駅からドルフィンズの練習場まで意外と距離がある。ひもが手に食い込んで痛い。おまけに8月である。夏真っ盛りの13時過ぎ。照りつける太陽が首を焼いて、身体中から汗が吹き出ていた。


 しばらくしてから、コンビニを右手に、低めのガード下を左にくぐる。すると高級車がズラッと並んでいるのが目に飛び込んでくる。つい立ち止まっていつも眺めてしまう。

 カジヤマさんが選手たちに普段からなるべくいい車に乗るようにと伝えているのである。

 プロになればきちんと稼げると、道ゆく若い子たちが憧れを抱くようになれば、目指す子も増えて未来のバスケットボールの繁栄の一助となるからだ。


 キュッ! キュッ!と体育館からバッシュの鳴る音やボールの弾む音が聞こえてくる。岡村靖幸の名フレーズ“汗で滑るバッシュ、まるで歌うイルカみたいだ”がいつも頭を流れてくる。奇しくも、同じドルフィンズだ。


 ここに来るのはこれで三回目。


 夏休みを利用して練習場に通うことにしたのはいくつか理由がある。


 一つは、MCをやると決めてから挨拶もせずにいきなり本番を迎えるのは嫌だったからだ。

 ホームなのに、気持ち的にアウェイ過ぎる。できれば少しでも選手たちとお近づきになりたかった。向こうも僕のような年上の、それもミュージシャンがいきなりMCをやるとなったら戸惑うだろう。神聖な現場である。畑違いの人間が足を踏み入れるなら、まずは筋を通さなければならない。


 もう一つ、選手たちの素早いプレイに少しでも慣れるためだ。ドルフィンズはBリーグの中でもスピーディーなバスケをする。瞬時に誰が点数を決めたのか、誰がパスを出したのか、目まぐるしく展開されるゲームに目を慣れさせるためにも練習から見ておきたかった。


 これまで様々な現場を音楽の世界では踏んできたつもりだったが、さすがに初めてドルフィンズの練習場を訪れたときは緊張した。

 最初は誰もがよそよそしく、副キャプテンのタイトだけが「ファンで、よく聴いていました」と握手をしてくれたが、テンケツは足の怪我からのリハビリで、独自のメニューを淡々とこなし、僕も邪魔しては悪いと思い、短い会話に終わった。

 きっと外国人選手ならフレンドリーだと思い、トイレで一緒になったエサトンに英語で話しかけてみたのだが、あまり弾まない。

 カジヤマさん曰く、ドルフィンズの外国人選手はシャイな人が多いらしい。

 確かに、僕と同じ一年目のフランクスにも声をかけてみたのだけれど、筋トレ中で忙しかったらしく「ワッツアップ! ロボ!」の一言で終わってしまった。多分、馴れ馴れしく愛称で呼んだのがいけなかったのかもしれない。


 数日通い続けて少しずつ会話を交わしてわかったこともある。

 マナトはそもそも会話のスピードが遅く、レイは強面のわりにニコニコで、タクミは超絶マイペース、タツヤことタッチャンは「今度飲みに連れていってください」と声はかけてくれたものの、セイガは野原を駆けるように僕の横を上裸で走り抜けていく。

 ユース育成特別枠の高校生のエイタとユウトは、もぎたての果実のようで、アラフィフの僕とは共通するテーマがない。HOME MADE 家族の「ホ」の字も知らなかった。

 年長者のトシさんは紳士的、ソアレスはまだブラジルから合流していない。

 一番気になっていたキャプテンのスダ・ユウタロウことスッサンは、代表からの心と体の休養中でまだ会えていなかった。


 「ヘイ! クロさん!」


 今季千葉ジェッツから移籍してきたタクマが、僕のところに転がってきたボールを見てパスをよこすように促した。

 思わず反応して、20年以上ぶりにボールを掴んでパスを出す。タクマがキャッチしてレイアップを決めた。


「ナイスパス!」


 なんか、彼だけは面白い。


「クロさん、タクマが今日遅刻してきたので、罰ゲームで誰かにメシを奢らせようと思うんですが、センターラインからみんなでボールを投げて決めません?」タクミがいたずらっ子な顔して言ってきた。


「え、俺も参加していいの?」

「もちろんすよ。そもそもこいつは今日、差し入れのスイカを食べる権利もありません」


「ちょっと!」タクマがツッコむ。


 有無も言わさず選手たちがセンターラインから次々とボールを投げていく。

 すぐに僕の番になった。

 ところが、久しぶりにボールを投げてみると筋力が低下していて驚くほど届かない。見かねたタクミが「クロさんはスリーポイントからでいいっすよ!」と言ってくれた。

 これ以上、選手たちの前で恥をかきたくない。が、久しぶりのスリーも情けないことに両手でないとリングに掠りもしなかった。そのうち次々とボールを放つ選手のうち、なぜかタクマが決めた。


「よっしゃ! これで奢りなし!」


「おい、待て待て。それはダメ」タクミが言う。

「なんでよ!」

「そもそもなんでお前が決めんねん」タイトが横からツッコむ。

「じゃ、クロさんがフリースローを決めたらもう一回やろう。外したら、今回だけは見逃してやる」


「え……」思わず、声が出る。


「クロさん、これ大事な一本ですよ。お願いします」


 タクミ。この男は可愛い顔して、えげつないプレッシャーをかけてくる。


 図らずも僕は選手たちが見守る中でフリースローを投げる羽目になった。

 緊張感が一気に増す。なんならHC(ヘッドコーチ)のショーン・デニスも見ている。

 どうやらタクミは僕を、ただ練習を見学するだけで帰すつもりはないらしい。


 覚悟を決める。

 こういうのはあまり時間をかけない方がいい。

 学生の頃にやっていた投げるまでのルーティンを思い出し、さっきまでの遠投で筋力が低下した自分の力を考慮して少し強めにフリースローを投げた。

 背後でタクマが小さく「わ、なんか、入りそう」とつぶやく。

 ボールはボードにワンバンし、見事リングを潜ってネットを揺らした。


「すげぇ。僕、今けっこうなプレッシャーをかけたつもりなのに、よく決めましたね! クロさん。持ってますよ!」タクミが笑って言う。

 やはり意図的にプレッシャーをかけたのだ。なんてドSな奴。


「よし、もう一回だ!」


 全員またセンターラインからどんどんとボールを放り投げていく。

 タクマだけが頭を抱えてコートサイドでうずくまっていた。


 最終的に別の選手が決めたが、あのプレッシャーの中、フリースローを決めた僕にタクマが今度ご飯を奢るということで罰ゲームのオチがついた。

 どうやらこの日、僕はドルフィンズのちょっとした洗礼を受けたのだった。

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