第1話 【言霊】
「どうしましょうね」
帰りの新幹線で深く座席に腰掛けて一息つくと、隣に座るマネージャーが言った。
「そうっすね……」
正直に言えば、できないと思った。試合は残念ながら71対74でドルフィンズが負けた。だが、内容がどうとか関係なく、MCの仕事量に気圧されてしまった。
選手入場のコール、試合中のファウル、ルール説明のアナウンス、イベントのときはコートに出て司会業をし、試合後には選手へのインタビューまである。
これをホーム開催に限り、最低30回。それも試合がある日は、週末や祝日がほとんど。ライブと重なる可能性もある。果たして本業をやりながら、スケジュール的にも能力的にもこなせるか自信がなかった。
「大変は大変ですよね」マネージャーが沈思黙考している僕を見て言った。
「できるとは……即答できないですね。何しろ、やったことがないですし」
試合こそ負けたが、確かにヨウスケの言う通り、カッコよくて魅力的なチームだった。スピーディーなバスケでラフプレイが少なく、特にディフェンスの堅さが光った。守備がいいのはチームの結束力を物語っている気がした。
何より、バスケはやっぱり面白い。展開の速いスポーツは観ていて楽しい。
ただ、僕はお客として通うわけではないのである。仕事を引き受ける以上、先方の期待に応えなくてはならない。
「今すぐにはなんとも言えないです。いわゆる司会業を僕に求めるのならもっと適任者がいますし、しばらく考える時間が欲しいです」
まさかこれが後にセミファイナルまで進出し、東名間を30回以上も往復することになるとは、このときの僕は知る由もなかった。
***
平日に行われるナイターゲームと週末では雰囲気が違うらしい。同月25日の土曜日に行われたFE名古屋戦も視察に行った。
今回はマネージャーとスケジュールが合わず、一人での参加。わざわざVIP席まで用意していただき、温かいおもてなしにますます心苦しくなる。
この日の相手は同県内のチームとあり、名古屋対決。いわゆる“愛知ダービー”だ。
相変わらずコロナ禍であるため、マスク越しの応援ではあるが、この前とは違う熱量。試合前から女性DJが会場を盛り上げている。彼女の隣には映画『デッドプール』のような『レッドル』というキャラがいた。
平日と週末ではホームMCも違うようで、今日はギョウテンさんという人が声を張り上げている。
前よりも選手の名前が頭に入っていた分、ウォーミングアップから誰が誰なのか、なんとなくわかるようになった。『ダイヤモンドルージュ』と言われる公式チアにも目を向けることができ、全体の演出にも注視することができた。
スピーカーの数、照明のバリエーション、ファンが歓喜するポイントなど携帯にメモしつつ、改めてこれは“スポーツ・エンターテイメント”だと気づく。
コートは選手たちのステージであり、作品だ。お客さんは、ここにいる間だけは非日常を感じ、魅了され、夢の中にいる。選手を応援しながらも同時に自分自身を鼓舞し、明日への活力にしているのだ。ある意味、僕たちの音楽とも通じるものがあると思った。
が、僕は音楽で呼ばれているわけではない。バスケのホームコートMCとして声がかかっているのだ。司会業なら、あそこにいるギョウテンさんの方がよっぽど向いている。わざわざ東京から僕を呼び寄せるほど、果たしてドルフィンズの気持ちやメリットに応えられる仕事が自分にできるのだろうか。
「クロさん、ちょっといいですか」
振り返るとクマガイさんが立っていた。
「GMのカジヤマが、お話したいと言っているので少しだけお時間いただけますか」
緊張が走る。GMと言えば、ゼネラルマネージャーのことである。組織の上位に位置する人間が僕に何の用だろう。
クマガイさんの後に続き、ドルアリの中二階にある部屋に通された。
要人を接遇するための場所だろうか。
ここから直接試合が観れるわけではないが、ソファーがあり、トイレも完備する貴賓室のような空間だ。こんな場所があるとは知らなかった。
「本日もお越しいただきありがとうございます」
長身でスラっとした男性が、とても柔らかい口調で僕に向かって深々とお辞儀をした。
てっきりGMという肩書きから威圧感があるものだと思っていたので、面食らってしまった。
言葉に少し関西訛りがある。
年齢的には僕と同じか、少し上か。スーツではなく、ドルフィンズの黒いスタッフユニフォームを着用しているところに好感が持てた。どこか選手と同じ場所に立っている気がしたからだ。
「ドルフィンズ、どうですか?」
単刀直入に言われ、一瞬、答えに窮してしまう。まさかGMと直接話をすることになるとは思わず、心の準備が全くできていなかった。MCを引き受けるかどうかもまだ決めていない。
「いや、あの、カッコいいと思いました……すごくスマートで、フェアだし……。個人的には好きなプレイスタイルのチームです。ええと……」
妙な間が生まれる。クマガイさんもどことなく落ち着かない様子だ。
「ですよね。僕も大好きです」
カジヤマさんがニッコリと笑う。
卑下することも、自虐することもなく、自分のチームを素直にそう言い切った。
空気が弛緩する。
僕は正直に今の気持ちを伝えようと思った。
「あの、僕はずっと音楽畑にいた人間です。自分にああいった司会ができるか、正直、自信がないです。ここまでおもてなしされて本当に本当に心苦しいんですけど……」
「クロさんの思うMCをやって欲しいんです」
思わず顔を見る。
視線から目を逸らすことができなかった。
カジヤマさんは、一呼吸置くと、続けてこう言った。
「2025年にはIGアリーナという新しい体育館ができます。最大収容人数1.7万人です。今以上の要素がないと絶対にダメなんです。来季からは、声出しも解禁になります。チームもスタッフも、ここでもう一つ上の段階にいかないといけないんです。一緒にドルフィンズと戦いませんか? クロさんのスタイルで、クロさんの思うようにやってみて下さい。どうか僕たちに力を貸して下さい」
まるで僕の迷いを見透かしていたかのように、カジヤマさんは真っ直ぐに目を見つめて言ってきた。そして、まだ何ができるかもわからない僕に向かって再び頭を下げた。
閉じたドアの向こうからボールの弾む音が聞こえる。部活で流した汗、枯らした声、その音が、遠い日の記憶をノックする。
バスケの音だ。
こんなに響くんだな。
カジヤマさんの柔らかい口調には弱さがない。ドルフィンズに対する並々ならぬ愛情と歴史の重さが感じられた。こんなにも素晴らしいGMがドルフィンズをやっているのかと静かな感動を覚えた。
これがミスター・ドルフィンズ、カジヤマさんとの最初の出会いだった。
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