Diamond in the rough
サミュエル・サトシ
プロローグ
「バスケのMCをやりませんか?」
結婚式の二次会で新郎が僕の耳元で言った。さっきまでの厳かな披露宴と違い、DJのかけるBGMで会場はクラブと化していて、最初、よく聞き取れなかった。
「ハーフタイムショーのオファーですか?」
「いえ、違います。バスケのMCです。僕、Bリーグで働いているので、クロさんを推薦してもいいですか?」
生まれて初めて結婚式の司会というものを務めたばかりだった。新郎のヨウスケとは、共通の知人が開催した“卓球飲み会”でたった一度会っただけ。お互いそれほど知らないのに、なぜこんな大役を引き受けてしまったのかというと、ちょっとした気まぐれからだった。
2004年にHOME MADE 家族としてメジャーデビューし、長いこと音楽業界しか知らなかった僕は、2016年のグループ活動休止を機に、苦手だったSNSを始めたり、異業種の人たちと積極的に交流したりすることで新しい刺激を求めていた。
新郎新婦どちらとも関係性が薄いのに、結婚式の司会を二つ返事で引き受けたのはそういった理由からである。
「バスケのMCですか、それって何するんですか?」
「選手の入場コールをしたり、試合を盛り上げたり、まあ、いろいろっす。今日の司会を見ていて、クロさんならできそうな気がして」
「いわゆる、レディース&ジェントルメン! みたいな、ボクシングのリングアナウンス的なやつですか?」
「そうです、そうです」
「はあ、なるほど」
正直、裏方の仕事か、とあまり気乗りしなかった。バスケは高校でもやっていたし、大学でも友だちとバスケサークルを立ち上げるほどのめり込んでいたが、あくまでもやる方である。一回だけの結婚式ならまだしも、司会業だけに専念するというのは、これまで音楽のMCはやってきても経験がなかった。そういった司会進行的な立ち位置はずっと相方のミクロに任せて、自分の役割だとは思えなかった。
「できるかな……」
「クロさんなら大丈夫です! 今日のお礼がしたいんです。ちょうど名古屋ダイヤモンドドルフィンズというチームが新しいMCを探しているので、推薦してみてもいいですか?」
「ダイヤモンドドルフィンズ?」
「はい!」
「イルカなのに、ダイヤなんだね」
「いいチームですよ。選手もみんなカッコいいし、人気あります。今、新アリーナも建設中で、今後さらに大きくなると思いますよ」
陽キャなヨウスケの熱に押されて、僕はなんとなく首を縦に振った。
「じゃ、推薦しておくので、また連絡しますね!」
どうせこの場だけのノリになるだろうと、僕はたいして期待もせず、披露宴でありつけなかったビールに口をつけて一息ついた。ヨウスケは仲間たちに手を引かれ、奇声を上げながら写真撮影の輪に入っていった。
***
『クロさん、ドルフィンズが興味を示しています! 一度、試合をご覧になりますか?』
一週間も経っていなかった。
LINEを開くとヨウスケの性格そのままに絵文字だらけの文章が踊った。
『え、レスポンス、早くね!? 何、試合って観れるの?』
『はい! ちょうどシーズン中なので、ぜひお越しくださいとのことでした』
『それって、観たらもうやらないといけない感じ?』急激に不安になった。あまりにも対応を良くされると、今度は断りにくくなってしまう。
『いえ、まずは観てもらいたいだけだそうです。やるかやらないかはクロさんの方で判断して下さい』
判断するのは向こうでしょ、と心でヨウスケにツッコミながらもとりあえず事務所のマネージャーに即連絡して、事の経緯を簡単に説明し、スケジュールを合わせてもらった。
とはいえ、説明すると言っても、僕もよくわかっておらず、眉唾物だったのでマネージャーと「まあ、せっかくですし、久しぶりにバスケでも観戦しに行きましょう」と軽い気持ちで一路東京から名古屋に向かった。
2023年3月8日。初ドルフィンズアリーナ。
地元の人はまだ『愛知県体育館』と呼ぶ方がピンとくるだろうか。タクシーの運転手に行き先を伝えても、カタカナで言うより旧名の方が伝わる。
ここに来るのは数年前にファッションショーのライブで立ったとき以来だ。
大学の頃はバスケサークルでよく使用させてもらったので、そういった意味では思い出深い場所でもある。
隣に天下の名古屋城があり、いつの間にか駅を出たところに“金シャチ横丁”というグルメ街ができていた。
多くの外国人観光客が“NAGOYA”と書かれたロゴオブジェの前で写真を撮り、異国の言葉で盛り上がっている。
団体の邪魔にならないよう、後ろを通って会場に向かった。
草木が生い茂るお濠端を下に見ながら巨石が積み上がった城壁を抜けると、鮮やかな金のシャチホコが眼前に現れる。ザッツ・ナゴヤ。
立地としては名古屋を象徴する場所としてこれ以上ない場所にドルフィンズの本拠地がある。
すでに赤のドルフィンズTシャツに身を包んだファンをちらほら見かけた。
首から選手の名前入りタオルを下げ、ロゴ入りのトートバッグを持ち、まるでバスケ会場に向かっているというよりはライブ会場に来ているかのようだ。
入口に回ると、キッチンカーが数台止まっている。軽食を買い求める客で長蛇の列ができていた。マネージャーと「ウマそうっすね」と言いながら、一先ずドルフィンズのスタッフ、クマガイさんに一報入れる。到着したら連絡することになっていた。
「大ファンです」
坊主で色黒の髭を生やした、どう考えても僕が在籍するHOME MADE 家族のファンというより、長年ドルフィンズのテーマソングを手がけてきたAK-69のファンという感じの強面の男が僕に言った。渡された名刺にクマガイと記載されている。
「え、ウソですよね」思わず本音が出る。
「ウソじゃないですよ! 僕はクロさんの昔からのファンで、それで坊主にしたんですから!」
確かにデビューしたときはずっと坊主だった。しかし未だに継承しているとは、にわかに信じがたい。
それでもクマガイさんのつぶらな瞳を見て、この場だけの社交辞令にも聞こえなかった。強面のわりに目が可愛いのである。
「見やすい席をご用意したので、ドルフィンズの試合を楽しんでいって下さい! どうぞ、こちらへ」
入口で選手のトレーディングカードを渡され、アウェイ側のベンチシートに通される。
前列から二つ目の席。コートは目の前だ。
すでにウォーミングアップしている選手たちがいる。その大きさにまず目を奪われた。
「でけぇ〜」
久しくプロバスケットボールの試合を生で観ていない。最後に観たのはマジック・ジョンソンかシャキール・オニールが来日したときだろうか。ルールもあれからだいぶ変わったと聞いている。日本人の体格もずいぶんと進化したものだ。
前列は、見渡す限りほぼ女性客。誰もが望遠レンズを嵌めた一眼レフのカメラを持参している。まるで子供の運動会で見かける光景のような、この距離で撮影したらプロカメラマン顔負けの写真が撮れるに違いない。
カバンや携帯には、チームにまつわるものが所狭しと貼ってあり、名前入りのうちわを手に持っている人もいれば、選手と同じユニフォームを着ている人もいて、いわゆる『推し活』というやつなのだろう、僕が知らない間にバスケットがアイドル級の人気になっているのだ。
「すごい人気ですね」マネージャーが僕に言った。まだコロナ禍にあってお互いマスク越しの会話である。
「この様子だと前列はすぐに埋まるんでしょうね。僕の時代はここまで女性に注目されるスポーツじゃなかったな。上には四面モニターもあるし、BGMもヒップホップで、まるでNBAみたいっすね」
試合開始まで、お互い懐かしいバスケ選手の名前を出して花を咲かせた。
マネージャーも経験者であり、同時代のバスケに熱中した世代である。きっとドルフィンズアリーナでディケンベ・ムトンボやアキーム・オラジュワンの話をしているのは僕たちだけだろうと思った。
会場内が突然、暗くなる。
赤い照明が点り、AK-69の楽曲が大音量で鳴り響いた。
モニターに選手たちの映像が流れ、ライブに来たときのような高揚感が生まれる。
炎が上がり、頬に熱波を感じた。
どこからともなくMCが高らかに選手名を次々とコールすると、無数のスポットライトが入場口に集まり、名古屋ダイヤモンドドルフィンズの選手たちが花道を通って現れた。
何人か外国の選手もいる。
もらったパンフレットで名前を追いかけた。
“レイ・パークス・ジュニア”
まるでゴーストバスターズの主題歌を作ったレイ・パーカー・ジュニアみたいな名前で覚えやすいと思った。
MCの熱量がもう一段上がる。
スターティングファイブ。
つまり、本日のスタメンである。
ファンも盛大な拍手でそれに応える。コロナ禍で声が出せないのがもどかしい。
ふと自分が任されることになるのは、あのポジションだということを思い出し、一瞬、気後れする。
毎回あのクオリティの声量を求められたら、喉が壊れてしまうかもしれない。
明転し、曲が変わる。
会場全体が手拍子を打ち始めた。
いよいよTip Offだ。
アウェイは白地に水色の背番号が入った京都ハンナリーズ。
素人の僕には強いのかどうかもわからないが、いい名前だと思った。
お互いのビッグマンがジャンプボールの準備に入り、腰をかがめる。
つんざくようなブザー音が鳴り、アンパイアが笛を鳴らしてドルフィンズの試合が始まった。
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