第16話 湿地の虹

 沼から現れたトレントは喋った。


「オマエラ、クビ、オイテケ」

「「断る‼」」


 無機質な声だ。そして湿地帯だというのに無味乾燥な声。

 生命の気配がしなかった。


 さらに瘴気が格段に増した。

 黒紫の雲が辺りに立ち込め、地面から湧き上がる靄も濃くなった。

 こいつが瘴気の発生源でもあるのかもしれない。


「……我が王……こちらです……こちらがニエです」

「そして隣のあいつが魔物化したアルラウネか」

「俺を呼んでたわけじゃないのか?」

「いや、呼ばれてたんだぜ。アルラウネにとって、紛らわしい言葉で敵の誤解を招くことは美徳の一つだ」


 ロイドがそんなこと言っていたな。

 ローザリンデに唆されたかもしれないという話だったか。

 確かに『囁き』の威力は絶大だった。

 焦りを増幅され、認知を歪めさせられ、挙句に「王」という言葉が俺を指してなかった、というオチまで用意するのだから。

 してやられたよ。


「ああ、すんでのところで思い出した。この森に逃げ行方知れずになったトレントとアルラウネがいたとね」

「あれがアルラウネの囁きだったわけか。完全に引っかかったな」


 一升かずますと反省をしていると王たるトレントが叫んだ。


「コノヌマニ、イキチヲ! コノ湿地王、ジョンニ栄光ヲ」

「ジョン? 名前に聞き覚えは無いな」

一升かずます? 余裕カマしている場合か? お前足を取られていただろう」

「ぬかせ、『憂断ゆうだち』の力見せてくれよう」


 そう言うと腰まで沼に浸かっていた一升かずますは剣を取る。


「【戦技せんぎ水無月みなづき】!」


 右上腕のみで放つ片手突き。それは正拳突きのように反時計回りの回転が加えられていた。

 刹那沼地から水が消えた。いや、尽きた。

 『憂断ゆうだち』の切っ先から水の槍が逆巻いて1本の槍となった。


「ナニ? バカナ?」


 そりゃ驚くだろう。俺だってビビった。

 いくら『憂断ゆうだち』でも湿地帯の水全部吸い上げるなんて聞いてない。沼の水を全て抜いてみたどころではない。

 泥は全て乾ききって砂粒となった。水気はもはや感じられない。


「ガ、ガガ」



 それが王のジョンの最期だった。

 隣にいたアルラウネも近衛のように取り巻いていたトレントも文字通り木端微塵になっていた。


「ああ、あのジョンか。懐かしいのう」


 どうやら顔見知りだったらしい。

 一升かずますの顔は面に覆われているので表情は見えない。

 しかし、その仮面には陰りが見えた。


「して? どうする? まだやるか?」


 しかし、思い出に足を取られる一升かずますではない。

 俺たちの退路を断っていたトレント達に問いかけた。

 返答は勿論突撃だった。彼らは知性を失って凶暴化したのだ。恐怖を感じたら全力で殺しに来る。


「いよっと」


 一升かずますは一跳びで嵌っていた地面を蹴り出だして、俺の前に立つ。


「さらばだ。かつての友よ。この一撃を以て閼伽水あかみずとしようではないか。【戦技:水飛沫】」


 4本腕をすべて使って、全身の捻りも使った荒々しくも清々しい一閃。

 『憂断ゆうだち』からほとばしる水飛沫は慈雨となりえるか、俺には分からなかった。

 しかし、その一撃はトレント達を断ち切り破砕した。

 沼には敵影も面影も、もはや無かった。


 さらに、一升かずますの斬撃の余波は空にまで届く。分厚い雲を切り裂いて陽光を呼び戻し、放たれた水滴は雨水となって再び漠砂に注がれた。


「見ろよ、虹だ」

「ああ、……そうだな」


 一升かずますの顔は相変わらず仮面の下だ。表情は読めない。

 しかし、仮面を伝う一粒の滴に写る虹はきれいだった。


「しかし我が王、なんでそんなところに?」


 しんみりした雰囲気は一升かずますのどこか抜けた問いによって崩れ去った。


「いや、当たり前だろう。あんな爆風に生身で耐えられるか」


 俺は先ほどまで一升かずますが腰まで埋まっていた穴に身を沈め、小さく丸まっていた。


 一振りで300ものトレントを粉々にし、雲まで切り裂くほどの剣圧だ。当然爆心地ほど影響が大きい。大気が押し退けられたことで気圧が下がり、薄くなった大気層へと周囲から風が流れ込んでくる。


 一升かずますの甲冑の体には傷一つついていないが、飛ばされてきた砂礫だけでも十分な殺傷能力があるのだ。


「いや、すまんかった。あれほどの大軍、乱戦になれば王を守り切れぬからな」

「いや、結果だけ見れば問題ないわけだから気にする必要はない」


 死ぬ、とは思ったけどね……。


「瘴気も無くなったことだし、少し休むか?」

「そうだな。まんまとおびき出された後じゃ、気配を探る気にならない」


 しかし、疲れたな。

 歩きとおしたこともあるし、死にかけたことも原因なのだが、なにより少し一升かずますの元気が無い。

 森の中だと遭遇戦になりやすいから、拓けたところで寝っ転がる。

 乾燥しきった大地は雨を吸って、横になれなくはないかな。


一升かずます、昔話いいか?」

「ん? いいぞ」

「ジョンはどういう知り合いなんだ?」

「けっこう昔のトレントだな。ロイドの祖父ジョージは覚えてるか?」

「うん」


 一升かずますはぽつぽつと話し始めた。

 雨みたいだった。


「そのジョージが話していたんだった。某も昔、ジョンに呼ばれたらしいぞ?」

「ん? ということは、ジョンも俺と同じ蟲珀魔こはくま使いだったってことか?」

「ああ。おそらくな……」


 一升かずますは寂し気にだった。


「おそらく? 覚えてないのか?」

「ああ、覚えていない。前回、召喚されたことまでは覚えている。つまりジョージの時代は覚えているが、それ以前の記憶はないな」

「え? じゃあジョンのことは、ジョージからの伝聞でしか知らないと」

「そうじゃ。ジョージは、ジョンとともに戦場を駆けた伝説が今も残っている、とそう言っていたな。そのときは懐かしいと答えたのだ」


 一升かずますはどうやら古い戦友を弔ったようだ。

 俺も一升かずますも何も喋らなくなった。

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