第13話 瘴気の森

 瘴気の森、そう呼ばれ恐れられる森は意外と近くにあった。

 葉が黒々としていっそう暗い。

 下草こそ無いが、大地から黒いもやが染み出し、時に噴き出している。これが瘴気というものか。


 ロイドたちはかなり追い詰められていたんだな。

 この森は彼らやアルラウネにとっての生存不可領域アネクメーネ。深入りすれば理性を失うと恐れられた禁足地であった。


「おい、一升かずます。いくらなんでも急すぎじゃないか?」

「なぜじゃ? 早く出ないと逃がしてしまうじゃろうて」


 一升かずますの行動は本当に早かった。

 ロイドの許可を得てから10分しないうちに出発したのだから。

 瘴気の森へは20分ほどで到着しているのでだいぶ近い。


「それもそうだけど、遭難するリスクだってあるだろう。食料も水もろくに持たずに出てきて……。迷うかもしれないだろ?」


 瘴気の森に地図はない。トレント達も入らないから地理に明るい者は当然居ないし、深入りした者は帰ってこないのだから。


「そんな心配はないぞ。この辺りでよいじゃろうか」


 そういうと一升かずますは俄かに太刀を抜き放った。

 上腕と下腕の4本の腕を全て使って太刀を握り、水平に構える。

 その太刀の先端は窮屈そうにその湾曲を森の内側に滑り込ませた。


「おいおい、敵か? なにをするんだこんな狭い森の中で」

「まあ見ておれ、【戦技せんぎ水飛沫みずしぶき】」


 そう叫ぶや否や、太刀を横薙ぎ。

 【憂断ゆうだち】が水を纏ったかと思えば、研ぎ澄まされた水の刃が木々を薙ぎ払っていく。

 一刀両断、という切れ味の鋭さはまるでない。まるで砲弾に弾き飛ばされたかのような粗々しい断面を形成していく。


 しかも斬撃、もとい衝撃はただ一撃では終わらなかった。

 玉突き事故でも起こしたように、木々の断面から破砕が連続し、森に静寂が訪れたときには、ウッドチップが敷き詰められた幅3mの道路ができていた。


「粗暴かと思いきや繊細。足元から木々の温もりを感じる街道ですね」

「おい、ノボル、帰ってこい!」

「はっ⁉」

「よかった。我に返ったみたいだな」


 大規模環境破壊の首謀者はケラケラと笑った。

 前途は開けている。否、拓けている。

 相変わらず大地から瘴気が漏れ出てはいるが、クッション性に富んで足腰に優しい道は、地平線まで続いていた。


「ええ? 聞いてない! 聞いてないよ、こんなの!」

「まあそりゃあ言ってないからの」

「なるほど、そりゃ簡単な装備でいいわけだ。これじゃ迷いようがない」

「おう、どんどん進むぞ。周囲の警戒と食料探しは某がやるから、おぬしは蟲珀魔こはくまの気配を探ってくれ」


 道中は快適だった。

 景色がほとんど変わらないことだけは苦痛だったが、木々をかき分けながら進むよりはるかにマシであることに変わりはなかった。


 そして感覚的に1時間は歩いた辺りで再び森が始まった。

 ここまで一薙ぎということか。【戦技:水飛沫】恐ろしいものだ。

 そしてまたここでも一太刀。


「さて、もう1里じゃ。ずんずん進んでいくぞ」

「……ああ、行こうか」


 何も言うまい。これが蟲珀魔こはくまの暴威か。

 そりゃロイドたちが湧き立ち、ローザリンデが貞操を賭けるだけのことはある。


「おお、見ろ、難を逃れかねた、シカの子がおるぞ」

「うわ、スプラッタな絵面⁉ そりゃそうだよな。木々をものともしない壊滅の波動だもんな。察知なんかできないよな」

「いやいや、ノボル。よく見てみろ」


 そういうと一升かずますはウッドチップと肉片の間から鹿の角を拾い上げた。


「青く光ってる?」

「うむ。こいつは魔獣化したシカじゃ。瘴気に当てられたのじゃろうて」

「そうか。これがロイドたちが恐れる理由か」

「そうじゃな。まあ某は既に魔獣のようなものだし、蟲珀魔こはくま使いも瘴気に当てられることはない。二重の隷属の拒絶じゃな」

「なるほど。瘴気が俺の主人になれないってことか」

「そうじゃな。まあ瘴気溢れる大地を行けるのは、我らくらいの者よ」


 瘴気と奴隷制に共通項があるなんて思わなかった。

 いや、蟲珀魔こはくまの力がそれほど多岐に渡って影響を及ぼすということなのだろう。


「おや? あそこにあるのはもしや?」

「ん? 何か見つけたか?」

「おお、これはやはり魔楓じゃ?」

「マカエデ? それも魔物化しているのか?」


 一升かずますが興奮気味に駆け寄ったのは一本の木。

 どす黒い樹皮は禍々しい雰囲気を醸し出している。


「さよう。見ておれ! ふん!」


 太刀で一突き。


「見よ、この黒い光沢。極上の樹液ではないか! おぬしも舐めるか?」

「それ、原油か何かじゃないのか? 人が飲んでも大丈夫なものには見えないが」

「いやいや何を言う。樹液は黄金のみを愛する事なかれ、じゃ。おぬしも味わってみい。はまるぞ」


 そう言われても、ドロリとした黒い液体なんてなかなかお目にかからない。黒密にしては透明感が無いし、金沢カレーくらいじゃないか?

 ……そう思ったら舐められる気がしてきた。


「どれ、うん。甘い。甘いな。黒糖に似てる」

「黒糖? が何かは知らんが、美味いならけっこう。いやはや、これは僥倖じゃのう」

「なあ、一升かずます? 上機嫌なところ悪いんだが、その樹液って香りは強めだったりするのか?」

「ん? まあそうじゃな? 少し強いくらいじゃがどうした?」


「いやあ……、一触即発なんだよ」

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